保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

スターティング・オーバー

 暇を持て余し、高野悦子二十歳の原点』を読み始める。暇を持て余しているのがナースにも伝わるのか、「入院も飽きてきた?」と聞かれる。「飽きてきました。しかし、どうしようもないですからね」というふうなことを言う。今日は日が暮れてから往復三キロ歩いて高野悦子二十歳の原点』を買う。金もないのに。

 読み始めると、「私が思うに私の顔は整いすぎている」みたいな事が早めに書かれていたので、「敵!」と思いながら読み始めることになった。帯と巻頭に写った顔は昭和顔という感じで、さほど美人でもないと思って好意的に読み始めたのだが、数ページで敵対視を始めた。それに読んでいても若者特有の焦燥ばかりで内容は特出した所がないように思える。南条あやのホームページも漁り、メンヘラ学1Aみたいな日々を送っている。ぼくは今年二十四で、まあ原点は四年も前になってしまったわけだし、若くして死んだメンヘラの考えがだんだん掴めなくなっている。

 二年前、名物店主がいるという書店に、友人が連れていってくれたことがある。当時、ぼくは大学を辞めたばかりで、元カノと付き合い始めた頃だった。このブログを読めばわかるようなことを、口頭でペラペラ喋っていると、名物店主は『二十歳の原点ノート』という本をオススメしてきたのが記憶に残っている。結局、読まずに売ったが、その当時に読めていたら共感していたのだろうかと思う。

 高野悦子は煙草と眼鏡を自由だかなんだかと履き違えて掲げている。その当時がどうか知らんが、お前は二十歳の病み垢か。二十歳になってできることが増えただけ。RPGで新しい街に行けるようになったのと同じ高揚感なだけだ。睡眠薬を手にすれば、睡眠薬が新しい装備になるだけだ。カミソリが手に入れば真新しくそれを装備するだろう。指先を切れば、指先の傷を真新しく装備するだろう。そしてそれはぼくにも言える。真新しい物は他人の古着だったりする。そういう側から見れば阿呆としか言えない発見こそが若さなのかもしれない。ともかく、そんな理由でぼくは高野悦子が阿呆にしか思えない。その時代のムードがある。安保闘争のムードが人々にそれなりの物語性を持たせて、浮き足立たせる。そういう文体な気がする。南条あやもインターネット草創期が文体に影響を与えた、真新しく見える文体だったのだろうか。なんだか見飽きたものが増えれば増えた分だけつまらなくなるし、歳をとっていく。そして、ぼくの世代のムードは「終わりのない日常」なんていうぬるま湯のムードだ。どっちらけた日々を何をしてもどっちらけてることをわかりながら生きていくしかない。もう少し下の世代だと「いつか終わることがわかっている」というムードだと思う。ぼくはうまくムードを変えることが出来ず、時代遅れの気分を引きずっている。

 自分のブログの昔の記事を読んでみた。中身はなく、文体の勝利と言った感じだが、まわりに回った挙句、とっちらかって何を言おうとしたのかわからない時もあり、それが若書きと言った感じで苦笑に値する。若さは馬鹿さだから、今書いてる文章も二年経てば何言ってるのかわからないと笑われるんだろう。昔の自分は未来の自分さえ味方につけて、勝手に判断をしてきたけれど、今となっては、未来の自分が今現在の自分を理解するなんてことはないだろうとわかる。未来の自分にすら理解されないのなら、生きるという今現在を重ねていくことに少し落胆のようなものを感じる。今しか書けない馬鹿さで文章を書いてる。高野悦子もそうだったのだろうか。「未熟であること」だなんて書いてるからわかってるよな。そんな鉄道自殺なんかしなくたって、未熟であることだって悪いことじゃない。二年後の笑いの種になる。酒に酔っ払って馬鹿にできる。二年前の自分は二年後の自分を、理解してくれないのかと睨むような目でじっと拳を握りながら見つめてくるだろう。しかし、わかりようがなく、げらげら笑うことによってようやく生きていける一夜というものがある。数多くの自分の死骸を登って朝日を拝むような日がある。だから、ぼくは笑われるために文章を書いていかなきゃいけない。笑われるために遺した文章を、理解されないために遺した文章を、理解できないと笑う日が来るのを待っている。

ブログを初めて二年

 よくもまあ書くこともないのに二年もブログをやっているものだと思う。日常を主題とその変奏だと定義してからは良くも悪くも変わりのない日々を、絶えず手を替え品を替え描いているのだが、それは躁と鬱ゆえに出来たこととも言える。

 ここ二年それでもいろんなことがあった。大学を辞めて暇をして、ブログを始め、出会い系で彼女を作り、他の女の家で寝泊りをしていたのがバレて別れ、一人暮らしをし始めるものの、即閉鎖病棟に入る。退院してからは何事もない暮らしをして、行きつけのロックバーができて人と会話するようになって、開放病棟に入って出たかと思うと閉鎖病棟に入り、開放にまた入り、今もまた開放に入っている。なんと非生産的な人生。二回くらい死にかけて、やっぱり死ななくておめおめと生き恥を晒してる。無駄に大きい傷痕が年輪のようについてまわる。こいつはどれだけ失敗したのかと傷は周りに教えて周る。誇らしいことなど何一つない。ぼくはチキンレースに勝利したいわけではない。失敗して死んでしまう、そういう阿保になりたいのに、上手いこと生き延びてしまう。死ぬことはとても難しい。チキンレース形式でしか自殺へ向かえない自分が情けない。飛び降りや飛び込みにしない自分の弱さで生き延びている。

 やはり変奏である。死にたい自分を引きずって、二年間生きてブログを書いている。二年前と違うことは、二年間年を取っただけだ。夭折には遅すぎる二十三歳の五月をやはり生きのばしている。あと半年で二十四だ。くそったれ。誰かと仲良くなって、誰かと喧嘩して、理由を自分に求めてはすぐに見つかって、答えはあるくせに実行に移せないで、人が減っていく。後悔の数ばかり増やして、たまにそれを傷にして。その傷のかさぶたも治癒した頃、傷の中に埋もれた新しい傷は理由を隠してただ左手を汚く彩っている。前より汚くなった手首を見ては、見慣れていつもの自分をアップデートする。ケロイドが痒くなって掻いた。

 死んだ人と、死なない人の違いは、足や手が滑ったか否かだけなのかもしれない。そう考えると、死んだ人々がとても羨ましく思える。もう取り返しがつかないということだけで人の目を惹く。あんな奴らよりぼくのほうが文章が上手い。しかし、生きているというだけで足りない。取り返しがつかないということは、それだけで人々の感傷をくすぐる。生きている奴らの書く文章はむかつく。これ見よがしに出される哲学者の名前でお前の文章は肯定されないよ。これ見よがしに出されるリストカットや薬の画像ではもはやセンセーショナルでもセンチメンタルでもないよ。しかし、ぼくだって病気や境遇で扇情的に傷をつけられやしないかと試行錯誤してる。自分だけは自分のことを死者と生者の中間だと勘違いして、それだけで文章が少し素晴らしくなった勘違いをしてる。おめおめと生きてる、恥ずかしいほどの生者だというのに。そんなことを考えながらメンヘラ神のブログを読んでる。生前はほとんどいいねがつかなかったというブログを。二階堂奥歯も、高野悦子も、南条あやも、藤村操も、死んだだけの一発屋だが、その一発さえあげられない湿気た感情がぐずぐずに爆発も出来ずに朽ち果てる。もう死んだ人間の何を考えていたかだけがわかり、それが死んだことで本当の刻印が押される。おすすめのメンヘラブログをフォロワーに聞いたら、真面目に闘病してる人のブログを教えられた。そうじゃない。ぼくが読みたいのは生きてる人間の感情が早めに消したタバコ達みたいにぐずぐずになってるところ。誰かに向けたええかっこしいの傷口の治り方を見たいわけじゃない。授業中に先生の目を盗んで描いた絵を、こっそり暴くみたいに見せてもらいたいだけ。

 今日もぐずぐずと消した煙草のシケモクを吸うみたいに、抜け殻の人生を繰り返して送っている。ぼんやりとしてばかりいる。

たぶん今日に数多く書かれた自殺の文字のうちの一つ

 入院している。退院してもどうせ生きたい生きたくないに関わらず生きれるかわからないし、出来ることならずっと入院していたい。入院してから病室の外に出ることすら少ない。病院の外には遺失届を出しに行ったことしかない。

 ツイッターでは遠くの誰かが飛び降り自殺したことを知らされて、遠くの誰かが死ぬ瞬間を見て、落ち込んでしまった。彼女とぼくにはなんの接点もないけれど、彼女とぼくの違いなんかを考えてみたりして、それすら感傷のズリネタにしてるようで嫌になる。誰かが死のうと思っている。それを知らされた時、何をするのが正解なのだろうか。スマホで撮影するのか、顰めた眉で目を背けてしまうのか、誰かが撮影した動画で悲しくなってしまうのか。答えはなく、不正解だけが不謹慎や道徳の名の元に転がっている。ぼくはここ数年、ツイッターで死んだメンヘラの名前を覚えて、たまに検索してみる。徐々に忘れ去られて、言及したツイートの数が少なくなって行くのを見ている。死んでも何も残さない。そう思っていたのかもしれないけれど、それをまた感傷に擦り付けては傷を悪化させる。

 ぼくは視野半径二時間の脳みそで、三時間後の気分や気持ちは推測できないというようなアップダウンの激しい人間だ。だから、死なないでくれと言った三時間後にはぼくが死んでいるかもしれない。だから死なないでほしいとは誰に向かっても言えない。だけれど、死んでしまった人も半径二時間の脳みそで、三時間眠ってれば死ななかったのかもしれないなんて思ってみると、それだけで辛くなる。共感なんて役に立たない。終わってしまえば多くの人の感傷がそれぞれの解釈の共感で、一時的に傷をつけるだけ。

 遠くの誰かが電車を止めたり、飛び降りたりして、それに迷惑をこうむった人が愚痴を言って。ぼくは幸い、話す友人が数人いるけれど、ぼくは悲しくも社会とは繋がっていない。社会はぼくの目には黒く渦巻くよくわからない物で、恐ろしくしか見えない。もしかしたら優しいのかもしれない。けれど、ぼくは一歩踏み出すことが出来ないからずっと足踏みをしてる。黒く渦巻くよくわからない物に一矢報いることでしか関係が築けない気がしてる。命を使って、片道燃料でぶつかって死ぬしかない気がしてる。一歩踏み出して、落ちて、死んでも何も残さないことは優しい。道徳や不謹慎が守ってくれている。なんて気分になってしまった。ウェルテル効果(自殺のニュースで自殺者が増えるという効果)の午後に、共感で出来た傷で死なないように、ぼくは今日も布団を被り、できる限り感傷から遠くへ逃げ出せはしないかと願いをかける。

 死んだ人は何歳だったのだろうか。何が好きだったのだろうか。ただ、わからないということだけが都合よく形を変えて頭の中を廻る。ぼくはだんだん子供たちが何を考えて死にたいのか、何を思って死ぬのかが掴めなくなっている。「学校辞めればいいじゃん」「あと2年耐えればいいじゃん」なんて、なんの意味もない解決策をしたり顔で言う大人になり始めてる。きっと、そんな解決策より、なによりも大切なのは何の役にも立たない共感なのかもしれない。それすらできない大人になり始めてる。眠っている最中にも、少しずつ。

入院しました

 入院しました。入院の際、担当医に「前回スタッフと口論になったため、今回口論になったらもうすぐに退院ということで……。そして入院も五月の九日までしか居れませんので」と完全に精神科からも溢れたキチガイの扱いをされてしまった。もう、どこにも居場所がない。

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 口論をした記憶が無い。口論と言えるまでのことをしただろうか。愚痴ってはいたが……。自分と世間のズレがあることがとても悲しい。そこを認識しないとぼくはずっとキチガイのままだ。

 病室は個室で、個室についた瞬間に財布をなくしたことに気づいた。財布をあらかた探したが見つからず、病院に探してもらう。クレジットカード、キャッシュカード、マイナンバーカードを止めて、交番まで行く。死にたい。交番まで行って、遺失届を出した。それから疲れきって寝ていると看護婦長さんが来て、警察が来てるから、とあらかたの説明を受けた。どうやら、受付に財布を置き忘れ、次の会計の順番の人の財布と勘違いして渡してしまったという。次の人も確認が取れ、家までスタッフが赴き、荷物の確認を頼んだものの、拒否していて、どうしようもないという。警察に財布の中身と財布の特徴を再度言うと「これは事件性が低いから、持ってる人が警察に届けるのを待つしかないね」とのこと。もうどうしようもない。なにするにも金もないし、帰る金もないし、引き出すカードもないし、ものを買うカードもない。病院に独りぼっちだ。ほぼ軟禁のようだけれど、帰る日は決まってる。なんかもう死刑台の階段を上ってるみたいだ。五月九日までになんとかならないと、実際問題生きていけない。なんでこんなことが起こるんだろう。ファッキュー。病院よ、頼むからいっその事殺してくれ。

大学を辞めてからの数か月

 大学を辞めた。大学を辞める前も半ば辞めていたようなものだったし、まじめに行っていた日々を思い出そうにも、日々自分の鼻が明かされるような、居心地の悪い無能感ばかりが思い出されては、忸怩たる思いに肩までどっぷり浸かってしまう。大学生活で得たものは、どうしようもないのだという確信と、無駄にした時間の取り返しのつかなさだけであった。

 大学二年の時に手首を深く切って、浴槽に浸かって死のうとしたのだが、うまくいかずに救急車に乗った。それが親に知れて、自殺防止のためか、大学近くのアパートを引き払い、実家から通えと無理やり押し付けられた。親とは折り合いが悪い。往復六時間もかけて大学に通うのがうまくいくはずもなかった。徐々に行かない日が多くなり、行ったとてストレスでズタボロになりながら帰っていた。

 大学を辞めようと切り出したのは親からだったが、親の脳内では「ぼくが辞めたがっていたから辞めさせてあげた」という設定になっていた。そのせいか、親がぼくに辛く当たってくるようになった。まあ、いいけれど。勝手に悪者にされるのは慣れている。

 大学を辞めてから、貯金とも言えないような奨学金の残りで病院に通っていた。生きてもさほど意味はないのに、と思いながら東京の病院の近場までの高速バスを待つ。それが母親に「近場の精神科にしなさい」との一声で、逆らえるはずもなく近場の精神科に行くことになった。近場の精神科医とも折り合いがつかず、また、診察に親が口をはさみ、嘘を吹き込むので診断名は徐々に現実と乖離するようになって、適当なものになっていった。親はいつも、ぼくを医者に連れて行くときに「感謝しなさいよ。あんたなんかを病院に連れて行ってやってるんだから」と言って、それから僕を詰った。

 嫌になって、自分の金で病院に行くようになった。どうせ、診察費などは自分持ちだったから、交通費が増えるだけだと高をくくった。親は、ぼくのお金が無くなれば働いてくれるだろうと楽観的に思っていたし、ぼくは、自分のお金が無くなれば死ねばいいだろうと楽観視していた。近場の精神科に行くために、一時間に一本の電車を乗り継いで、三四十分歩いて病院に向かった。医者とはやはり折り合いが悪かった。

 日々お金が減っていくから、楽器を売った。ぼくが持っていても弾けるとは思えなかった。弾く能力はあった。弾く気力はなかった。部屋から徐々に物が減っていった。本だけはいっぱいあった。これも読めない。あれも……。ということで、興味の持てるもの以外を売ることにした。段ボールに本を詰め込んでいたら、すべての本が段ボール四つに入った。母親に頭を下げて、車をブックオフに出してもらう。車からブックオフに本を運んでいる最中、段ボールの底が抜けて本がばらばらと落ちた。地面に這いつくばって本を集めた。昔、興味あったものがぼくを見つめているような気がした。無言で責められているような気がした。小説家になるためにはみたいな本たち、中学の頃よく読んだライトノベル太宰治カート・ヴォネガット……。集めてブックオフに持っていく。それなりのお金になって、すぐに病院への交通費と医療費に消えた。今ではあまり、過去に対して真剣なまなざしを持って接することができないでいる。過去に対する現実感の喪失。そして誠実ではない現在。やはり、売らないでおくべきだったのだろう。

 鉄道自殺するだけで、天才になれるだろうかとよく考える。神聖かまってちゃんは人生終わりみたいな感じで出てきてるのに二十三歳でサマーソニックに出てる。NHKにようこそ!の佐藤くんは二十二で人生終わりだと言ってる。ひどいもんだよ。何もないのに今年二十四になります。高校生になって、「うちの学校には涼宮ハルヒなんていないし、変な活動をする部活もない」とやっと気づくオタクみたいに、すべては終わってから気付く。そのくせに何かが起こるための何も準備していないんだ。