保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

さみしいよね子

 ずっとさみしい。思うのだけれど、さみしいとは自然の中になくて、自然に湧き出るものではないか。人間以外の動物は、敵か味方は置いといて、同種が側にいる。見えるところにいる。人間は壁を作り屋根を作り、狭い部屋で一人になる。しかし、それ故にさみしくなる。動物だって群れからはぐれたら、焦るのかもしれない。一人とは、獲物になることで、自然ではないということなのかもしれない。動物的な感性が、一人は危ないと告げ、一人だと女にモテないと告げ、一人だと種の存続に関わると告げる。自然に学ぶことはたくさんあるし、自然から切り離された存在として人間を考えることはあまりしたくないのだが、物を考えられる以上はある程度の理性である程度の野生を抑えたい。怯えるから人に会うなんて、いい結果を残してこなかった。やはり理性の方が正しい。

 さみしいというのは本能が自動的に出す周波で、感情ではないのかもしれない。おなかが減ったと感じ取る程度の能力なのかもしれない。そうならば、さみしさを感じ取らないようにする能力より、さみしさに耐える能力が必要だ。何をしようにも意味がなく時間が無為に過ぎていく。ただただ責務のように乗っかっていくさみしさを消費もできず、ただただつらい毎日だ。幻覚を見たい。

勝ち負けがあるのなら負け続けているんだろうな

 人と接すれば接するほど、ぼくは馬鹿だと認識させられ、相手の頭の良さに感服してしまう。でも、こうして自分が悪いと簡単に引き下がってしまうことは、ある人には負けだと思われるんだろうな。ぼくはすぐ人に合わせてしまう。自分がないわけではなく、自分を濃く出すことは自分に合わせることを人に強要してるみたいで嫌なのだ。へえそうなんだ、ぼくはこう思うで、平行線になるよりかは歩み寄ったほうが仲良くなれる。寂しさの処世術だ。こんなもの、正直、何の意味もない。折れてるといえば折れてる。ヤンキーに話しかけられてへらへらしてるおたくみたいに、同調しないことで角が立って疎遠になったりぶん殴られるのが怖いだけだ。一番、勝ち負けのように考えてるのはぼくだ。自分が強くある人間が羨ましい。空っぽのままで居たくない。自分を強く持ち、貫き通したい。さみしさなんて軟弱なもので自分を人に沿って変えたくはない。

日記

 イヤホンが壊れたとか、どうでもいいことしか書くことができない。重大なことは多くの説明を必要とするし、そのための気力すら今のぼくには湧いてこない。ぼくにはさしたる思考もない。あるとすれば、人それぞれという諦観で、それ故に人に自分の意見を表明することの諦めがあり、どうしようもないという気持ちだけが渦巻いている。

 言いたいことは一つもない。聞いてくれるものでもないだろう。部屋で延々と言葉をこねくり回しているが、中身はない。感情を文章にしてみたらと提案され、久しぶりにブログを書いている。そもそもぼくに感情があるのだろうか。ありきたりな厨二病でこれを言ってるのではなく、ぼくは数時間前何を考えていたかが全く思い出せないのだ。ただ、頭が空っぽなんだと思う。馬鹿と言うより、白痴だ。日がな日中スマホをいじって、目が疲れれば眠くなって、我に帰ればさみしくなる。腹が減ればスーパーまでの170mを歩き、まるで、金の計算ができる猿だ。生きる意味も価値もない。生きる価値なんて客観的なものに生死を任せる気にはならないけれど、意味は主観だ。意味を執拗に求めると自壊しかなく、だましだましでみんな生きているのだろうか。しかし、生きる意味に生死を賭す価値を見出すかどうかは主観なのだ。つまりはみんなが意味がない人生を生きることを享受していようと、ぼくが意味のない人生を生きることを享受できなければ意味がないのだ。

 内面の話は楽だ。定型の反省や自己嫌悪にいつも陥るクリシェ。反省猿の系譜を持った人生。しかし、外の話はそうもいかない。説明と動きがある。ぼくはもう少しも動きたくない。現実と現在を享受して生きていきたい。未来に夢を見たり、現実を獲得しようともがきたくない。孤独や想像の力を高めて、自家中毒にもならず、骨になっていきたい。

別れましたなんて誰も聞いてないのに話させてくれ

 彼女と別れた。当てつけなのか、わからないけど目の前でブロンを飲んだ。半分以上飲んだところで止められた。トラウマでいいから記憶に残りたかった。首を切りたかった。でもそれじゃ死なないということがわかってるからだった。ギリギリのところで死なないくせに、死にたいということをアピールしたいだけだ。つまりはロックンロールサーカスやマジシャンと一緒なんだ。ブロンが効いてきて、うまく文章が打てない。浮かぶ文はすべて言い訳や自分を悪者にして反省したように見せかけるいつものやり口で、自分が嫌いになる。

 首を切ったところで血が出るだけだから、彼女を悪者にするだけだから、やめた。死にたい。生きてても、死体になっても、寂しく一人ぼっちだ。

近況

 うまくいかない。一ヶ月以上、更新していなかったのは、多くの物事に押しつぶされてしまって、何も吐くようにして書き散らすことができなかったからだ。今、ゲロとして、説明として文を書くことはできるかもしれない。でも、ゲロを昇華することはできない……。

 

 躁鬱というのはそういうものなのかもしれない。クソをしたい時が現れて、クソをして流す。それだけのことか。残らなかったら良い方で、残るものは汚点のみだ。

 ゲロを説明するのは大変なことだ。日々を思い返すだけでも辛くなる。それに日々を説明する度に必要な、ぼくがどのマイノリティに属しているかなんて説明はもうし飽きた。疲れた。

 ぼくは夢を持ちたい。ただ死を待っている現状。死を待つということは、死に向かってのマラソンだ。辛い辛いと思いながら死を恋い焦がれている。長生きしたいのに。