保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

小噺

「おーい!かあさん」

 若い男が、母を呼んでいます。若いといっても、見た目は貧相で、痩せこけ髭は伸びきって目は落ち窪み、若者らしい活気は全く見てとれません。それもそのはず、男は幼い頃から病気持ちで、それも一個や二個の病気ではなく、臓器も継ぎ接ぎのような有り様で、生きる病例とでも呼ぼうか、病気が生きているとでも言ってしまった方が正しいのではないかというような有り様。この歳まで生きてこられたのが奇跡で、余命宣告を三つほど無視しているという、悪運の強い男でした。

 呼ばれた母親が襖を開けて入ってきます。母親もやつれていましたが、昔はきれいだったのがうかがえるような顔をしています。この家族は男の寿命を伸ばすために、すべて私財を擲ち、身に鞭を売って働き、そうしてどうにかこうにか、今日までやって来たのです。

「どうしたの。今日はいつもより顔色が悪いじゃないか」

 男はげほげほと咳をしながら、心配する母親を制しました。

「待ってくれ、母さん。一生に一度の頼み、いや、この一生はずっと頼みを聞いて貰っていたようなものなんだが、それにしても、もう俺は長くないだろう」

「そんな縁起でもないことを言わないでくれよ」

「まあ、最後の頼み、これはもう恥を捨てて言うんだが、デリヘルを呼んでくれないか。一生の一度の、最後の頼みなんだ」

 男はもう、これを言うのもやっとというような感じでしたが、母親にはデリヘルというものがピンと来ていません。

「デリヘル?なんだいそれは?」

「デリバリーヘルスのことだ。父さんならわかると思う。父さんにデリヘルを呼んでもらってくれ

 母親にはやはり謎でしたが、仕方がなく、仕事中の父の携帯に電話をかけました。運が悪く、父親は携帯を忘れてしまったようで、電話を掛けてもいっこうに出る気配がない。母親はどうしたものかと思案していましたが、ふすまの向こうからいよいよと言った調子の咳が聞こえ、急がなければと思うものの、デリバリーヘルスという言葉がわからない。デリバリー、ヘルス、二つの言葉がしばらく頭の中でぐるぐる回っていましたが、母親はふと思い付き訪問医療に電話を掛けました。

 

 ピンポン、とチャイムの音がなり、母親は急いで医者を迎え入れ、遠くでチャイムの音を聞いていた男はやっと来たかと胸を高鳴らせます。

 白衣を着た女医が母親に案内され、男の部屋に通されました。男はコスプレのオプションまでつけてくれたのか、と思い、それほど白衣に対するフェチがあるわけではありませんでしたが、親の暖かい心遣いだと、ありがたく受けとることにしました。

「今日は、どうなされましたか」

「苦しいんです」

「どの辺りが、苦しいんですか」

「言わなければ、ダメでしょうか」

「はい、やはり、言っていただかないと我々にはどうしようもないので・・・・・・」

 男は、「おかしいな」と思いつつも、デリヘルの経験がないものですから、「こういうものだ」と思い込み、これは言葉責めなのだと納得していきました。

「早くイきたいのです」

「そんな、逝くだなんて。逝ってはいけません

「そんな後生な。ぼくをイカせるのが仕事ではないですか」

「確かに、生かすのが私たちの仕事ですが」

 しばらくそうして押し問答を繰り返していると、双方が勘違いをしていることがわかってきました。

「すいません。俺は親に恥ずかしながらデリヘルを頼んだのですが、どういう手違いか、医者を呼んでしまって・・・・・・」

「いえいえ、いいんですよ」

「俺はやはり、永くないんでしょう?」

「そうですね・・・・・・」

 女医は男があわれに思えてきました。もう、手の施しようがなく、どうやっても死を待つだけで、恥をかき捨ててまで頼んだのに理解されず、病気以外のなにも知ることなく死んでいくのだと。

「情けというか、同情というか・・・・・・最後に、手で処理するくらいならしてあげてもいいですけど・・・・・・」

「いいんですか?!」

 男はもう、喜んで承諾し、いきり立ったぺニスをしごいてもらいました。病室の中で過ごした今までの人生にはなかった快感でした。

「ああっ、もう、イくっ!イきます!」

 男が大声で喘いでいると、襖が開き、母親が泣きながら言いました。

「そんな縁起でもないことを言うんじゃないよ」

 

日記

 日記という、もっともつまらないタイトルをつけました。これには人生を連続的な運動として営んでいく上での諦観がありまして、人がどうだとか、他人にはもちろんなったことがないので、あまり悟りきったふうなことを言えないのですが、自分の考えがわたしは(人に比べて)とみに断絶しているように思えてならないのが一つ要因としてあげられます。自分が何を考えていて、それがたとえば一〇日後も一貫している、または理解できる、という自信があまりわたしにはありません……。自分の意思の薄弱さが原因か、自分の感情の起伏が原因かがわかりませんが、自分が考えていたこと、考えるであろうことが全く見当がつきません。なぜ、そのような行動をしたのかがわかりません。

 ふと、昔のことを思い出す時はひどい気持ちになります。厨二病的なことを思い出して恥ずかしいとかではなく、出来事と、それに伴う感情を思い起こすと、それがどうつながっていたか、どうしてそう感じたのかがわかりません。まとも→狂人、もしくはその逆の経路をたどってしまったのかも知れませんが、それほど、自分というものが、文化の違う他者のように理解が遠く及ばないのです。

 今日は、閉鎖病棟のことを思い出していました。それもふと思い浮かぶのは仲の良かった人々で、くだらない話をして笑って、今思えば擬似家族的なあたたかさがあったかもしれません。そしてそれを、当時のわたしは言葉として感情を理解することはなくとも、そのあたたかさが心地よく感じていたことは確かなのです。でも、その当時を振り返るとフリーク的人々の寄せ集めが、吹き溜まりのように思え、さらに、人々と人々のやさしさに安堵を覚える自分が理解できないのです。定期的にわたしの感覚の回路が総取り替えされ、組み直されてしまうのです。そう思うと、何をするにも億劫で、これもまた億劫ですが、ピリオドを打って、視点を固定したくなるのです。

近況

 今を言葉で修飾してもすべてうつろいゆくんだよな。という気持ちになると、なんだかすべてを投げ出したくなります。気分とモード、気持ちが流行りのようにやってきては急かし、振り返るとかつていた場所は懐かしいくせにみすぼらしく思え、かといって今が素晴らしいと言えるかという観点には、未来からどう思えるかを考えなければならず、今を最高にするには立ち止まらなければならない。

 今のモードは? 問いかけられたわけでもなく、日記なのでと言い訳をして物事を書きます。言葉にすれば崇高か、カスみたいなものいいしか出てこない。急に糸が切れたかのように人との接し方がわからない。または、わからないふりをして気を引いているのかもしれない。現在が未来に笑われないようにおどおどと物を書いておりますけれども、恐らく戻ることを考えると、何か変わろうとすることが恐ろしく面倒に思える。人が何をもたらし、私は何をもたらしたいのか。何を得たいのか。全くわからない。会話ができません。

 実存主義かわからないけれど、人に存在を知覚されることが苦手というか、それによって自分が存在しているということを自分が認識してしまうのが嫌。で、自分が物を考えれば、(これは実存主義ではないですけれど)、我思うゆえに我あり式に自分が存在しているし。酷いときは横たわって冷蔵庫の音、エアコンの音を聞き、目を閉じ、なるべくふわりとすることにしてます。なにも考えていないのか、はたまた寝ているのかわかりませんが、起き、そこから改善でもなく、暇によって動かなければならないと思い、動き、定位置に戻り。時たま、やる気を出すでもなく存在すること、他者に見られることを許せるようになるとこうして文字を書いています。山月記みたい。

 いづれ戻るのだろうか。戻りたくもない。ようやく諦めがついたのに、また他者へ向かおうとする動きのムードになれば諦めを忘れ、諦め始めの馴染みのなさの感覚が身を浸す。

 思うのは、自殺というのは、(私にとって)他者への働きかけであり、私の行動で感情を揺さぶりたいというわがままの発露なんです。だから、こうしてひとりぼっちだと死ぬ気でもないし、自分の死を自分として死ぬことが難しいです。私にとっては。もし、自分本意に死ぬことができるなら、私はきっと気分転換か、考えが未来の自分によって笑われないよう、考えのピリオドとして死ぬだろうなと言うことです。死ぬというアクションで、一瞬でも私が存在していたという知覚を人に与えたくないのです。なので死ねません。人は消えれない。立つ鳥跡を濁す。生きるためにうんこしてきます。

人生(小学六年生まで)

 男は病院から帰ってくると、キーボードを叩き続けた。男は、他者がほとんど苦手になりつつあった。他者よりも、自分が存在していることが不快で仕方なかった。通院の途中、食事をすることの主体性に気づくと、食事をすることと何を食べようか悩むことの主体にも気づく。思考は進んでいく。生きることの主体性。アイワズボーン、生まれることが受動的なら、生きることはなぜ能動なのだろうか。自分は空白を空白として、殺菌室で死んだ動物のように横たわって過ごしたい。決められた時間に決められた食事を取る。決められているから・・・・・・。なるべく考えないで済みたい。

 男はもうすっかり他者に対して愛想をつかされることに頓着しなくなっていた。男の人生は今のところ、人に働きかけ、それが効を奏さないというだけの人生だった。人に期待することを諦めよう。石ころみたいに生きよう。人は火の粉でしかないから、降りかからないように生きよう。どうせ、人は変わる。人はわからない。人は捉えることができない。ぼくの物にはならない。期待する度に外す。ギャンブルだったら破産だ。

 なぜ、男が人生を語り始めたのかはわからない。無為な人生をどうにかして有意義にしようと? 全部文字にすれば、感覚以外空っぽになって代替可能の記憶だけが残るからかも知れない。

 はじめに

 これは面白い読み物ではない。エンターテイメント性はゼロに近いだろう。これはぼくがどのくらいまで正直に物事を語れるかであり、露出狂的とも言えるかもしれない。そして、すこしの物事でも覚えていることをすべて書くことができたなら、ぼくの人生は文字によって表すことのできる程度のものと言うことになる。記憶は文字で表される。例えば味覚や触覚、痛覚が、思い出そうとしたとき、それ自体を追体験することができないように。

 わたしはある人が喋るのを聞いている。もちろん、わたしはあなたであり、著者が居てほしいと思う読み手である。つまり、わたしは存在しない可能性だってある。

 ある人、は二十二歳以上、首に傷がある。手首にも傷がある。臍の下、陰毛の上にタトゥーがある。身長百七十二センチメートル。その他諸々・・・・・・。これは現段階そうであり、最終的にもそうであるだろう物事だ。ある程度の物事は科学が変えることができる。そしてある程度の物事は科学が変えることができない。終わりに近づくにつれて姿は「こうなるかもしれない」可能性を失っていく。生きることは選択肢がなくなっていくことに他ならない。

 最古の記憶は、父親とカップラーメンを食べている記憶。弟が生まれる時期で三歳の時。部屋は薄暗い。たんたんとしている。母親によれば、三歳の時にそのようなことはありえない。ぼくの最古の記憶は、ぼくの最初の捏造である可能性を秘めている。

 四歳ぐらいから保育園に通う。Y君と遊んでいた写真が残っている。誕生日記念に心霊写真の真似事で、背景の滑り台から腕だけY君の腕が写っている。

 よく、漫画のように物と物の間に線があるのかを調べようと凝視をしていた。

 遊戯王トミカトランスフォーマーにハマっていた。

 小学校に入る。この頃くらいまでは太っていた。進研ゼミを始める。

 近所のHさんの兄と近所のグループで集団で登校していた。道程が長く入り組んでいるため。

 S君に動作の緩慢さを理由にいじめられる。母に相談すると、「あなたが悪い」となじられる。語っている現在まで、ことある毎にこの話を持ち出し、中傷される。

 911があった。見た記憶もある気がする。

 本を読み始める。父親に好かれるため、学校にあった経済の本を読む。学校では児童書を読む。

 T君と仲良くなる。未だに仲が良い。

 小学二年生。しゃ行がうまく言えず、言葉の教室に通う。

 オナニーを覚える。床に男性器を擦り付けるタイプ。床オナ。小学四年くらいまでこのスタイル。父の購読していた週刊少年マガジンの水泳マンガ、とネギま!で抜く。

 家にパソコンが来る。家族全員でハンゲームにハマる。

 ごくせんを見ていた気がする。

 カードを近所のHさんに貰う。しかし、兄のカードだったことが発覚し、兄にぶん殴られたHさんが泣きながら「カードを返して」と訪ねてくる。カードを探している間に、Hさんが「死にたい」と言う。なるほど、嫌なことがあるなら死ぬと言う考え方もあるのかと学ぶ。

 小学校三年になる。身長が伸び、体重が変わらなかったので、痩せる。小遣い月五百円をコロコロに使う。お年玉を使うと金の使い方について怒られる。常に金を使うと怒られる。手伝いをすると百円を貰えるシステムがあった。一時間で百円。その頃から働かず。

 弟が養護学校に入る。流石にすこし様子がおかしいことに気付き始める。家庭内での喧嘩も察する。休日、弟が叫ぶののが負担なので、自室に籠る。カーテンを締め切り、テレビでアッコにおまかせ、週刊東京マガジンなどを見る。

 電車男、光とともに、などのドラマを見る。父親の録画を夜勤明けの父親と一緒に見る。電波少年等も見ていたと思う。この時期、やけに障害者のドラマが多かった気がする。

 小学校四年。部活、クラブが始まる。バスケ部(六年まで)、マンガイラストクラブに入る。小遣い(月千円)でコロコロを買う。

 家に帰ると寝るまでずっとパソコンを見る生活の確立。2chまとめサイトをそのままパクって話すと、面白いやつとみなされ、人気者的ポジションに。しかし、性根がクラスカースト上位に向いていないので、キョロ充の気持ち。A君、W君、H君と遊ぶ。一番K君の家で遊んでいた。アパートで、家が近かった。小六の頃、K君がアパートからすこし遠いところの一軒家に引っ越してからは遊んでいない。

 正しいオナニーのやり方を知る。FLASHの着せ替えゲームでいかに裸に近づけるかを頑張っていると、母親に気持ち悪いと言われ、金玉を蹴られる。

 痩せぎすで、歯並びが悪く、斜視も酷いため、外見がコンプレックスになる。親に「目がおかしい」と言われるので人を見れないようになる。

 小学五年生。クラブはお笑いクラブに。小六が二人、小五がぼくとK君とT君、小四がキョンシーと呼ばれていた少年が一人。小六がコンビを組み、残りが四人でユニットを組まされ、全校の前でネタを披露することに。

 銅像のフリをするKと、それにいたずらをしようとするぼくとキョンシー、それを止めようとするT君と。低学年にはウケ、同学年には半々。背の一番高い女子に、「つまらなかった」と言われる。

 六年生のハーフがギターを弾いていた。モテていた。

 自室のCDコンポの使い方を知り、ラジオにハマる。玉川美沙吉田照美伊東四朗高田純次爆笑問題、土日の夜の時間帯の声優、などのラジオを聴く。文化放送が多いのは、父のカーラジオがいつも文化放送だったため。

 父は顕彰会の信者だったため、ぼくを集会に連れていってくれた。田舎で、他に行くところもないので着いていくと、山のなかに小屋があり、ビデオを見せられる。進研ゼミ的成功体験。信じるものが救われる的な。

 時間が長引くと、同じ信者だった、父の同僚か友人がぼくに一つ飲み物を買ってくれるときがあった。なるべく眺めていられるように、ミュシャの絵が印刷されたコーヒーを買って貰う。

 父親が電話口で怒鳴る。

「原爆は落ちなかったじゃないか!」

 リビングに声が響く。母と知らないそぶりで下を向いて飯を食べる。

 缶コーヒーのおじさんとはそれから一度も会っていない。

 T君の勧めで「NHKにようこそ!」を買う。本にハマり、小遣い(月二千円)を本に使う。乙一大槻ケンヂにハマり、大槻ケンヂの音楽からプログレ等にもハマる。

 誕生日プレゼントに自転車を買って貰う。これまでは、みんなが自転車に乗っているのを走って追いかけていた。すごい速さで走り、急ブレーキをかける。すっ飛ぶ。

 マラソン大会で上位三十%くらいに入る。運動会は嫌い。部活はもっと嫌い。

 部活が終わるまでT君が待ってくれるので、T君と帰る。同じ部活の人とは申し訳なさと劣等感で話せない。ラジオごっこしたりして帰る。人を笑わすのは簡単だった。

 T君と共同で何個かブログを作る。遊戯王をやっている息子を持つ育児ブログにコメントをすると、「小学生とは思えないしっかりした子」と言われ、喜ぶ。事実、よくできた子供だったし、親に手間はかけなかった。親に見つかると文句を言われるので、なるべく行動を隠していた。察されないことが一番。

 小学六年生。バスケは上手くならないまま引退。五年生四年生、同学年の六年から始めた奴にも抜かれる。ぼくといじめられっ子だけ一度も試合に出なかった。練習中、転んで手にヒビ。腫れ上がるので、親に頼み込んで医者に行かせて貰う。最後、引退の時、ぼくにだけ引退する世代に向けてのプレゼントがなく、笑いながら「なんか、無かったですw」と言う。「おう、そうかwあとで渡すわw」「わかりましたwww」

 クラブはマンガイラスト倶楽部。カイジの模写をしていた。

 絵のうまい、陰キャラ女子が好きだった。

 家に帰ればパソコンばかりなので怒られる。親と一緒の部屋で寝起きしていたのを怒られる。寝るときにずっと口元に当てていたパンダの絵の描かれたブランケットを没収される。

 小遣い二千円を本にすべてつぎ込む。マンガ含めて三百冊くらいあった。月に一度、イオンモールに連れていってもらい、ブックオフで買えるだけ買う。たまにCDも買う。いきものがかりスガシカオ、ソウルドアウト(洋楽はどれがどのバンドだか読めなかった)。

 副委員長になる。友達に「これマジでくせえぞ!」と塩酸を嗅がせてクビ。特に塩酸を嗅いではいけないとの注意もなかった。「これから気を引き締めて副委員長をやり直すか、やめるか、どっちにするんだ」と怒鳴られる。やめる方を選ぶ。

 理由なく怒られることが多かった。

 らき☆すたハルヒを見ていた。

 日曜日に母方の祖父が死ぬ。危篤だから、祖父の家に行く準備をしてくれ、と母に言われ、五分後には死んでいた。痰を喉につまらせて死んだ。後に母から、「祖父はすこしボケていた」と聞かされるが、気づかなかった。

 通夜、葬儀、すべて祖父の悪口だった。孫には優しく、ぼくは気づかなかったが、相当偏屈だったらしい。飲んだり打ったり暴力を振るったり、ぼくにのみ優しかった。ぼくにはなにも気づかせることなく、祖父は生きて自分勝手に死んだ。本当にこういう風に死にたいものだ。

 

人間観察を考える

 一時期、十年くらい前は「趣味、人間観察です」という不思議系女子が学年に一人はいたものです。ぼくの周りだけかもしれませんが。そして、そういう女の子がハブられたり、ネットで「趣味が人間観察の奴は痛い」みたいなスレッドが立っていき、今では人間観察という言葉を知らない中学生もいるんじゃないでしょうか。

 

人間観察をしている、と言うことについてばかり考えられている

f:id:freak_tanatra:20180407191010j:image 人間観察で検索すると、大体が「趣味が人間観察の奴は~」みたいな「人間観察のやつを分析する」記事ばかりでエッシャーのだまし絵みたいな構図になっています。そもそも趣味として人間観察は考えられてきたのでしょうか。人間観察というのが変わっているように見られたい奴の道具、逆張りのための言葉に思われているのではないでしょうか。例えると、「犬を可愛がる私かわいい」「単眼娘がかわいい俺異端」のような構図ですね。インスタにあげる写真で、写真なんかより写真を撮る自身が伝わってほしい、のような。

 

今と昔

 そう、インスタ。インスタの話をしようと思っていました。十年前はSNSなんてありませんでした。サイトでした。掲示板でした。あってもmixiでした。リアルな関係をそのままネットに持ち込み、独り言を言うように写真や言葉を伝えることなんてできない時代です。今考えてみれば、露出狂のように自分をさらけ出す場所があり、みんな「あいつのちんぽは右曲がりだ」となんとなく暗黙で知り、リアクションもない今がおかしいのかもしれません。ちんぽは例えです。ぼくがfc2で女装アナニー動画をあげていたこととは関連ありません。

 昔は自分のことをクラスメイトにアピールするのは一番最初の自己紹介の時しかありませんでした。わざわざ趣味の話など、自分からするのは気が引けますし、自分が話したいことから逆算して話しかけるのはオタクの悪いクセです。もちろんこれは「人間観察」をアピールとして使っているという仮定ですけどね。

 よく考えると、今の時代は大人間観察社会です(ディストピア感あるな)。人が自分のことを言い、それを拾うだけでも人間観察です。そうでなくても、ネットには知らない人が水を買っただけで泣いたり、ヒカキンは変な顔をしている動画があります。変人を見ればツイッターに載せる、五人組か? 

 

 あの娘は一体何をしていたのだろう

 そう考えると、人間観察をするあの娘がしていたのは今のぼくらと何ら変わりのないことです(もちろん、本当にしていたら、の場合ですけど)。

 趣味として、能動的に人間を観察することについて考えてみましょう。趣味としては人間観察は悪いものではありません。人間がいればできますから、鳥取県以外ならどこでもできます。散歩してもよし、喫茶店にいてもよし、遠出してもよし。お金はかかりません。他の趣味と同じように、すこし極めるとお金がかかるかもしれません。例えばクラブに行けば「クラブに行く人」を観察ができ、猫カフェに行けば「猫カフェに行く人」のサンプルがとれます。そう考えると都会の方が面白いかもしれません。田舎は車社会なので、歩いても老人、子供、きちがい、の三種類しかいないからです。それらのサンプルを取り、ノートなどにまとめていたのかもしれません。

 

 

 今まで、人間観察をできるだけ肯定的に捉えてきました。観察していることを公言すること自体にはどうかなと思うものの、人間観察自体は悪いものではないと思います。てか、『隣の関くん』の女の子とか人間観察ですからね。ストーカーだって人間観察ですし、以外とみんな人間観察しているものですよ。でもぼくにはやめてください。思考盗聴と集団ストーカーをしていることはわかっています。やめてください。