保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

死にたいことが免罪符かのように

カレンダーにバツをつけるように、一ヶ月に二週おきに心療内科へ通う。その足並みが家の柱に身長を刻むようになればいいのに。変わりない日々が続き、メトロノームのように秒針が、長針が、短針が、そしてカレンダーが、ぼくの人生を少しずつ前に進めていく。前に進んでいくと、崖しかない。ゲームセンターのメダルゲームを思い出す。後から後へ人が来て、最後尾はどんどん最前へ近づいていく。そして背中を押される。飛び降り自殺までの日にちをめくるように、日々をすり減らす自分が見える。そしてその自分はまだ遠いと安心している。遠い分、干渉できず、変えられない未来として地縛霊のように確かに存在している。

蛙かおたまじゃくし

 物干し竿がないので、カーテンレールに様々なものを吊るして生活をしている。洗濯物、着ることがないため洗ったのかどうか定かではない服、風鈴、ドライヤー・・・・・・。殺人鬼が獲物を飾るようになんでも吊るしているのだが、そうなるとカーテンの明け閉めにやたらと時間がかかるので、時おりすべてを床にぶん投げる。そうすると、曇が動いて光差すように部屋が明るくなる。その時、初めて陸に上がる生き物の気持ちでやたらと感動したりして、自分は当たり前のことに何をやっているんだと思わなくもない。自分で自分のことを形容するのは恥ずかしいけれど、白痴のようで、よく言えば子供のように思える。

 無垢や子供らしさは、それ自身への肯定を伴ってはならないような向きが自分から発せられる。似非天然キャラへの嫌悪なんかが例になると思う。人間、少なくない程度の人が無垢やイノセントでありたいと思いながら、それを願望や祈りのまま近づくことも遠ざかることもせず、向こう岸を見るように子供を見ていると思う。ぼくの偏見である。ぼくは自分の狭い視界で、自分を見て人間とはと学びとることがよくある。賢くならないまま幸せになれたらどんなに幸せだろうか。白痴志願のぼくは、賢くなってしまったチャーリィゴードン(アルジャーノンに花束を)のように、過去を羨みながら歳を取る。

営みから遠く離れて

 5ちゃんもヤフー!ニュースも正しい人にまみれて腹立たしいばかりで、本音なんかなんも素晴らしくないよと思ってしまう。浮いているみたいな自分の立ち位置はどこからどう見ても正しくなく、それでさらに卑屈になってしまう。人のことを気にしないようにするには、人のことを気にしないで済むくらい人と触れ合わなきゃいけない。病院の予約が取れなかったり、たまに乗る電車で目線を気にしたりがほとんどのぼくには難しいな。童貞が女体を見て目を丸くしたり、狸の村の狸が人里に降りて人間を学びとるように、バカにされないようにしながらビックリしたのを隠しながら、それなりを装うので精一杯なのがぼくの人生なのかも知れない。

 

 病院に行った。まあ、病院に行くくらいしか用事がないので、ぼくは足じゃなくて心的疾患に歩かされているみたいなものです。可愛らしいナースがいつも尻に注射を打ってくれる。肩でもいいのだが、肩だと三日四日痛みが引くので、尻に打たれたあと、いそいそと服を着ていると「タトゥーあるんだ? いつ入れたの?」と言われた。そういえばタトゥーあったなと言われてから思い出す。人から見える自分というのを脳裏に再構築するのが苦手です。人から見える自分が人から見える自分を見ている自分を見るはめになるので。

 帰り道、駅を線路沿いに歩く少女の群れ。少女たちは無垢を装わされているかのような淡く青いワンピースとこれまた淡い帽子姿で列をなしていた。こんな制服は見たことがなく、新しい教団のための合唱部みたいだなと思った。すがること自体が救いかのように物事を信仰していけたらと思う。

 いろんなことが苦手になっていき、昼間に洗濯機を何回か回し、何回か詰まり首をかしげ、そうすることが人の営みなのでしょうか。何一つ確信が持てないまま、首をかしげている。人の営みから気づけば遠くへ来たものだ。

子供たちはどこに消えた(日記)

 都会に住み始めて、初めての夏が来たような気がした。そう思って過去をなぞっていると、大学一年の頃も都内に住んでいた。全く記憶がない。都会(それも東京の人々と比べてというより、過去の自分のいた地方から見ればの都会)に住み始めて、思えば遊ぶ子供を見ない気がする。街を歩けば、私立の子供なのか、それなりの制服から棒の細さの足を出した子供が最後尾を揺れて待つように歩いている。都会には私服の小学校はないのだろうか。ぼくの田舎には一つ制服で通うような小学校があった(と思う。ぼくの記憶は都合良くというか、調子良く色んなものを捏造する)。しかし、電車に乗るようになる高校生までその存在を知らなかったし、一時間上下二本の電車が向かう先、子供たちがどこで降りるのか、そもそも向かっているのか帰っているのかもわからなかった。

 子供たちはどこで遊んでいるのかと思う。都会で、どう遊んでいるのだろう。近くの公園へ向かえば無邪気に砂場遊びをしている幼稚園児。小学生はどこへ? 電車に乗れば制服の小学生。中学生は? 流石にみんな制服か。中学生は高校生かわからないけれど、毎日ぼくの家の前をテトリスみたいに次から次へとやってくる。

 

 きっと、というか、確信として、そして当たり前の事として、ぼくは老いている。成長しているとも(まだ)言えるかもしれない。色々なことが思い出せない。ゲシュタルト崩壊のように見慣れたはずのものが急に「そうだっけ?」という形に見えて、自分が五分前に急に生み出されたような気持ちになる。自分の部屋の窓の大きさに、感嘆し、恐怖し、そんなことを繰り返して七月を迎えた。暑くて寝付けないから、冬はどうやって寝ていたかを思い出そうとしたけれど、何一つとしてリアリティがあるように思えず、調子良いデタラメが寝そべっていて、それをなぞっているように思えた。たまに昔のことが真に迫るように思い出され、のたうち回ることがある。経験したところなのに、新しい傷口のように新鮮で鮮明に映る。のたうち回らないでくれと、過去の自分は懇願していたのに。祈っていたのに。様々なこと、大きく足を踏み出すこと、踏み外すこと、恨みを持つこと、いろんなことを絶対だと、未来の自分もそう思っているはずだと、昔は未来の自分を味方につけていろんなことを決断していた。でも、今はやはり昔の自分と意見が相違し、過去の足跡にのたうち回っている。成長する、歳をとるということは、そういうものなのかもしれない。過去の自分が恨めしそうにこちらを涙目で睨みつけている気がする。未来の自分にさえ憐れまれるなら、未来の自分さえ敵ならば、どう今の自分は動けばいいのだろう。

 子供の頃から幾分か背も高くなって、子供の頃には見えない物も見えるようになってきた。大人になって、子供への無理解が、視界から子供を消しているんだな。昔は一学年上の先輩は絶対に喧嘩で勝てない存在だったし、大人びていた。今では中学生か高校生かもわからない。子供を見る目が遠くなり、画質が悪くなっていってる。そして、自分の想像によるところの子供像を探し求めても、自分の子供の頃にさえわからないところがあるのに、探そうなんて、見たこともないツチノコを探すようなものかもしれない。子供たちはどこへ消えたではなく、子供たちはぼくから消えたのだろう。

 祖母が死んだ。二三か月前に入院し、そのまま引きずられるようにして死んだ。そんなに仲良かったわけでもないし、頭の悪い人の常として子供や孫がたくさんいるので、向こうとしてもあまり関心があるわけではなかったと思う。

 生きることは困難さを増していってる。

 父親は手負いの獣みたいに、生きることへの反抗を態度で示している気がする。よりつまらなくすることで、一種の寓話にも見える。父親は多くの物事が気に食わない。もうケチをつけることでしか社会とかかわることができない。父方の親族は叔母が統合失調症、大叔父が殺人未遂、あまりいい血筋ではない。そしてぼくはその血筋を受け継いでいるように思う。

 あまり、不幸だと境遇を書き連ねる気にはならない。それは理由にはならないから。もう二十二にもなっているから、あらかた境遇には慣れてしまったし、慣れですべてを許せそうになる。自分にさえ、幼少期の自分は軽視される。花枝と増山で飲みに行ったとき、祖母の話をして笑いを取ることができて安心した。森と飲みに行ったとき、父親の話をして笑いを取れた。不幸を笑いに変えられることは救いだ。不幸からコミュニケーションに昇華することができることの確認をしている。

 文章を書くことは難しい。どうしたって笑いを取れない。ぼくの文章の書き方は落ち込みきって、投げ飛ばす。いつもそのやり方でお茶を濁している。

 ぼくの人生はおもしろいらしいけれども、ぼくが順序よく喋ることが得意にならない限り日の目を見ることはないだろうと思う。それに、一貫性のない思考を持った人間を順序よく語れば意味がつながらない……。