保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

日記

 病院に行くために、実家から借りている部屋に行き、何もしなかった。部屋から病院に行き、実家に帰った。やはり、何もしなかった。

 それ以前は、まあまあ趣味を行えたり、本を読めたりしたのだが、少しのルーティンの崩れで、何もできなくなってしまった。don'tもcan'tでも、何もできないと、何者にもなれない。だから自己嫌悪に塗れる。やけにお腹が痛い。

 オーバードーズも、リストカットも、瀉血も、何もかもがつまらない。ぼくには恨むべく人々がいなくなってしまった。少し大人になって、ちゃんと諦めがつくようになりました。過ぎ去った人々の背中に血を塗るように我が身を切るのはもうやめました。やめたと思いたいです。人のせいにして自殺するには周りに人がいなすぎる。

 ぼくは喧嘩が出来ない。喧嘩になると、すぐに怯えてしまって、メンタルが弱くなり、震え上がってしまう。だから言いたいことが言えない。言いたいことが言えたらなあ。穏やかな流れのような相手の言葉に遡上するような言葉さえ言えない。そうですか。なるほど。知らなかったです。言えば言うほど透明になっていくみたいだ。

 消えたい。死んでしまいたい。想像力や体力がないと、そういうことばかり考えてしまう。もう、自分に失望するのは飽きました。入院も飽きました。病気も飽きました。そうやって思い込んでいます。しかし、生活に顔を出すのはその辺りのネガティブだ。

 生きてても何も楽しくないです。病気を恐れて外にも出ず、ただただ消えていく時間の秒針が、きりきりとぼくの心臓を締め上げているようだ。わかってるのは外に出てもどうせ楽しくないし。

 どうせ、この言葉がいけないのだ。どうせ、駄作ができる。どうせ、生きても意味がない。どうせ、何者にもなれない。どうせ、死ぬことは無理だ。全てを実行に移す前にトカトントンとぼくを萎えさせてしまう。ただ屍のように横たわっています。ぼくはただ疲れ切っています。ぼくの才能のなさがひどくむかついて、握った拳が固まって、疲れ切っていて開くこともできない。もう無理なんです。自分の野郎をぶん殴ってやりたい。できないことができないということが今は全然許容できない。

三つの掌編

好きなようにいぢめる

 

 彼には痛みというものがなかった。いや、痛みを認識してはいた。しかし、それはさりとて「痛い」と言ったり、のたうちまわるものではないと思っていた。彼はやたらめったらピアスを開けたし、リストカットもレッグカットもネックカットもしたが、それは痛みのなさの確認だった。それと同時に痛みの確認だった。痛い、痛いという感覚はある。しかし周りの感じるような痛みではないと思う。苦痛であり、不快ですらある。しかし、それを拭おうとしたり、どうにかしようとしたりはしなかった。無関心に体についた傷痕を眺めては何も思わなかった。  彼のそういったことは、離人感という言葉で表せられるものだったのだ。今となって思えば。離人感、聴き慣れない言葉だが、自分が自分でないような感じ。自分を当事者だと思えない気持ちのことを指す。離人感は長く続くと解離を起こし、わかりやすく言うと他の人格ができる。  職場で倒れてから、彼はずっと、意識はあるのに体を動かすことをしなかった。起き、病床のベッドから窓を眺めてるような、そんな感じで目を開ける。そして目を閉じたときに寝る。そのうち別の人格が彼を動かし始めた。精神病院には入院できる期間が決まっていたし、彼の両親は新しい厄介を被りたくなかった。そんなわけで、恋人である私の部屋に彼はいるのだった。 「なにしてるのー?」 「あ、うぅ……。な、何もしてないです」 「嘘つけ。逃げようとしてたんじゃないの?」  私は彼をなでてやる。彼はぷるぷる震えて、仔犬のような目で私を見る。 「に、逃げようとなんてしてないです。ぜったい」 「ふーん、そうなんだぁ。いい子にしてたんじゃあお仕置きはなしにしないとだね」  彼は少し震えが止まって、潤んでた目は少し俯いて物を考えるようだ。  彼は痛みをよく感じるようになっていた。私は人を噛んでいないとよく眠れないという悪癖があって、彼をよく噛んでいた。退院してからも、それまでと同じように噛んでみるときゃあきゃあ喚くので、それはそれですっかり面白くなってしまった。彼も、痛いくせに結局なすがまま痛みを受け入れるのが好きらしい。 「う……おしおき、してください」 「逃げようとしてたんじゃないんでしょ? じゃあお仕置きするようなことないじゃない」 「そ、そうだけど……」  私は彼の首を掴むと、少し押し上げるようにして壁に押し付けて呼吸をできなくさせる。 「悪い子だなあ」  彼の首から血流を感じる。彼は苦しそうな顔から諦めたような顔になって、目をつむり、出来るだけ湧き上がる咳を抑える。首を絞める手を止めようとすることはない。そろそろかな、と思って力を弱める。はひゅーはひゅーという呼吸音とそれに混じって小さな咳が聞こえる。彼の目は潤みながら少し嬉しそうだ。彼の手を取り、強引にベッドに放り投げる。ベッドの上で彼の上に乗ると、首元に向かって歯を突き立てる。  首を噛むのと絞めるのじゃ大きな違いがある。彼が呼吸できるから長い間楽しめるし、いろんな管や筋肉や骨の存在を認識できるのはやはり歯しかない。それを破壊するように歯で強く圧迫する。人間は強い。いや、強弱の話ではないな。人間は壊れにくいように出来ている。それが人間の意思とは別に。 「いあい。いあいよお」  彼が泣き出すと、以前の彼とは全く違うんだなあと思ってかわいいと思う。以前の彼が好きでなかったわけではないが、こういう小動物らしさは今の彼しかないなと思う。 「ん、やめる?」 「えと、あとすこしだけ……」 「ふふ」  それから首元を痣で染めるようにがぶがぶ噛んで、彼がもう少しかわいい悲鳴の音量を上げたときを見計らってやめた。 「よくがんばったねー」  彼を胸に埋めてやり、頭を撫でてやる。自分でやっといてなんだが、少しこの瞬間が好きだ。彼は被害者で、私が加害者なのに、彼は庇護者を見つけたかのように胸の中で安堵する。それが非常に所有している感じがあってぞくぞくする。 「ね、ピアスあけよっか」  彼の左耳はほぼ自傷のように適当に穴を開けられ、それが埋まり、痕ばかりになっている。逆に右耳はというと、何故か彼は一つも開けていなかったので、綺麗なままになっている。乱雑な机の上から、ニードルを取り出す。 「いい?」 「う、うん」  言い終わるのを待たずに耳にニードルを刺す。彼の体がびくっと反応する。ニードルをすすすと通して、ニードルの尻にピアスをあてがい、そのままピアスをはめる。 「今度は私の好きなようにさせてね」 「今度?」  この人格になる前の記憶がない彼は不思議そうに聞いた。返事もせずに耳を愛おしく眺めていると、彼は「いいよ」と言った。

 

赤子に刺青

 男が一人、車椅子に座っている。男は小柄で、華奢で、姿勢がよく、車椅子に座っていると言うよりかは納められているというような塩梅で、車椅子を押されると人形が運搬されているようにしか見えない。  男の名前は小見川涼という。閉鎖病棟に入って、小見川はナースステーションから一番近い病室でいつも眠っている。眠っていないときは動くのを止めている。電池が切られたみたいに、すっかり動くことをやめている。日に何度か、足が動かなくならないように病棟内を散歩させられるが、ナースの服の裾を掴んで、一歩下がったまま、下を向き、ゆっくりとしたペースでついていっていた。食事もナースが老人用の刻まれた食事をスプーンにすくってやり、ようやく口を開く。そして飲み込む。ほぼ、すっかり生きる気力をなくしてしまった人間なのだ。半年前、生涯は自分の手に負えないと悟った彼は人生をぶん投げてしまったのだった。ぶん投げられた人生は、屋上から木に落ちて、奇跡的に無傷という形で帰ってきた。  小見川は二十七歳だった。幼少期の思い出が、その後の人生を破滅的なものにしてしまった。小見川は自分が愛されるに足る人間だとは思えなかったし、自分はその前段階の、人の憎悪を向けられないように生きることしか出来ないだろうと思っていた。憂うべく挫折などなかった。挑戦するほど屈折してない人間ではなかったから。何もかもに通用する無力感が、彼を殺した。ビルの屋上が肉体を殺し損ねて、精神だけが地面に叩きつけられて死んだのだろう。  たまに、ベッドから、自主的に目を向けて、窓から見える桜を見ていることがあった。ナースが話しかける。 「桜、好きなんですか?」 「うん……」 「お花見の季節ですね」 「おはなみ?」 「そう、お花見……」 「おはなみってなに?」 「お花見っていうのは……」  これが病院に入ってから、初めての会話だった。それから、声をかければそれに応じ、言うことを聞くようになった。話してみてわかったことは、今の小見川の知能や人格は子供と同レベルになっているということだ。後遺症で記憶もなくしているらしい。 「うー、おはなみいきたいなあ」 「外出許可が出ますかねえ」 「うーん、はやくー」 「そんなに早く許可は出ませんよ」  一時間後に医者からナースと同伴なら外出しても良いと許可が出て、ナースと小見川は外に出ることになった。 「わあ、きれい」 「ですねー」 「さくらのはなもってかえっちゃだめ? おちたやつ!」 「汚いかもしれないんで、ダメだと思いますね……」 「むう、そっかー……」  小見川は小一時間落ちた桜の花びらを集めてまた散らしたり、落ちてくる花びらをキャッチしたりして遊んでいた。 「そろそろ時間ですよ」 「えー、はやいー」  元の知能と人格に戻らないとはいえ、最初に比べるといくばくか快復の兆しが見えてきていた。  小見川が好きだったのは佐原というナースだった。佐原は小見川の担当看護師だったし、小見川としては佐原の高い背が気に入っていた。  佐原は一週間に二度、小見川を風呂に入れてやった。自分から何かをしようという意思が見られないから、風呂に入れるのも人が介助しなければいけなかったのだ。  小見川は脱衣所に着くと、両手を上げた。服を脱がして欲しいという意味だ。服を順番に脱がしてやると、ぼーっと立ちすくんでしまったので、バスチェアーを指差して「座って」と言う。その通りにしてちょこんと座ると、小見川はこっちを見て、待っている。小見川の背中には綺麗な薔薇のタトゥーがあって、佐原はそれに見惚れる。 「お花、好きなんですか?」 「うん、すきー」 「なんの花が好きなんですか?」 「ひまわりかなあ」  薔薇じゃないのか、と独りごちながら、体を洗う。 「タトゥー、綺麗ですね。好きな絵です」 「たとぅー?」  そうか、記憶がないのかと思い出し、まだこの子供は自分の背に咲く薔薇の花を見たことがないのかと思うと、いたずら心にも似た何かが、初めて見せてやりたいと思った。佐原は泡をシャワーで流した。 「こっちむいて」 「んー?」 「で、後ろ向いて」 「わあ、はながさいてる!」  浴室の鏡越しに小見川は自分に咲いている一輪の薔薇を見た。小見川はとても嬉しそうに体をねじり、角度を変えて自分の花を見た。 「ねえねえ、さわらさんのはなはどんなの?」 「ははは、タトゥーは全員に入ってるわけじゃないんですよ」 「そうなの?」 「自分からこういう模様や絵を入れたいって人に言って、その人にお願いして入れてもらうんだよ」  小見川はわかったようなわからないような顔で「へえー」と返事をした。背中を鏡に映して花を見ようとし続けていた。 「もう入浴の時間終わりだから出よ? またお風呂入る時も見れるしさ」 「ほんとー? つぎみたときはかれちゃったりしてない?」 「大丈夫だよ。ずっとこのまま残ってるから」 「はーい」  渋々という形で風呂から出た小見川は体を拭かれてる最中もどうにか背中が見えないか体を捩っていたが、病衣を着せられて花が隠されると諦めてぼーっとしていた。  それから小見川にとって、お風呂の時間が一番の楽しみになった。自分に綺麗な花が咲いているというのも大きな喜びであったが、それよりも佐原がタトゥーを好きと言ってくれたのが嬉しかったのだ。

 

犬吠埼泥棒日記

 自殺の名所が散歩コースの一つだ。無職なんて散歩くらいしかやることがない。今まで、四回ほど自殺者が自殺者志願者である頃に会ったことがある。彼らは皆一様に、僕を胡散臭そうに思ってそうな顔を向け、「宗教勧誘か? それとも自殺防止のボランティアか?」といった顔をする。彼らにとって幸か不幸か、僕はどちらでもない。死にたい人間が死ぬことにはそれなりの決意がいるだろうし、それを正論や道徳や感情で否定するのは、あまりにも人を蔑ろにしすぎていると思う。僕がもしその崖から飛び降りる人を助けたとして、死にたい人は生きても死にたいだけだと思う。そんなことを思うのは、僕も軽い鬱だからだ。散歩とか言いながら、自殺の名所に吸い寄せられてるだけなのかもしれない。彼らの考えに興味がある、というのも不躾かもしれない。ただ、人と喋ることがない生活をしているから、人と喋りたいだけかもしれない。多くの場合、人は怖いものだ。けれど、もう死ぬ人はなぜか怖くなかった。人は失うものがある時だとか、恐れる時に凶暴になる。もう死ぬ人は何も恐れない。だから自殺を止めようとしないのかもしれない。生きようと思う人、それは僕にとって怖いからだ。僕と喋って生きたいなんて思われても困る。なるべく彼らの自殺の決意を揺るがせないように喋る。
 今日は崖を見下ろしている、白いワンピースの女性が立っていた。彼女は長い黒髪もあいまって、すでに幽霊かのようだった。腕時計を見る。もう終電は過ぎている。おそらくこっち行きの最終電車で来たのだろう。
「こんばんは」
 僕が話しかけると、驚いたように振り向いた。彼女はいずれ消えゆくものの大抵がそうであるように、美しかった。なぜか他の自殺者よりも、この少し後に死ぬだろうなということを意識させた。自殺者は僕より年上が多い。彼女も三十歳前後だろう。
「海でも見てたんですか?」
「…………えぇ」
「ちょっと、お話ししませんか? 怪しい者ではないですよ。怪しい者は誰だってそう言いますけど」
 彼女は少し笑った。
「コンビニ行って、酒でも買ってきますよ」
「あ、私も行きます」
 田舎だからコンビニは結構歩かないと辿り着けない。二人とも初対面なのに、なぜかよく話せた。
「本当は自殺しにきたんでしょう?」
 彼女は驚いた顔をする。そのあと肯定するか逡巡した様子を見せた。
「安心してください。止めませんよ。宗教勧誘もしないし、自殺者を狙った連続殺人犯でもないです。ただ……人と話したいだけなんです」
「そうなのね……」
 彼女は憐むような顔を見せる。自殺者に憐まれるとは。
「悪趣味ですかね? こういうの」
「悪趣味とも言えなくもないですね。私は気にしないけど。君、華奢そうだし、君のほうが心配。こんな夜中に」
「まあ、なんとか運が良いのか悪いのか、命の危機に関わるようなことはなかったです」
「そう……」
「どっちにしろ、どうでもいいから散歩してるのかもしれないです。通り魔に刺されようが、チンピラにコンクリートに埋められようが。今日は生きるの目が出てしまったんだな、と。死ぬことに消極的だけど、生きることにはそれ以上に積極的になれないんです。幽霊の気分で散歩して、自殺志願者がいたら話しかけて……。生きようとする人間は怖くて、なんか喋れなくて……。って僕ばかり喋ってますね。なんかすみません暗い話ばかりして」
 彼女はくっくっくっと口元を隠しながら、漏らすように笑った。
「な、なんかおかしなこと言いましたかね……?」
「いや、自殺志願者捕まえて、『暗い話してすみません』って面白いなって」
「は、ははは……」
 そんな話をしているとコンビニが近づいてきた。持った買い物カゴに大きめのビールを二本、彼女が入れた。僕はビールが飲めないから、チューハイの五百ミリリットル缶を一つ入れて、レジへ向かった。僕が財布を取り出そうとすると、それを制して、「どうせ持ってても意味ないから」と言って、彼女は財布を開いた。驚いたのはその中身で、特に凝視しているわけではないのに、札束が見えた。彼女は諦めて帰ることもできるし、これから適当に旅をすることもできるわけだ。そう考えると急に生身の人間に思えてきて、複雑な気分になった。それでも彼女の顔は、未だにこれから消えゆくものの美しい顔をしていた。
 コンビニから出ると、彼女は今までの方面とは反対方向の道を指差した。
「ここに灯台なんてあったんだね。初めて来たから知らなかったよ」
「入ります? 入れますよ」
 高校の頃、頭の悪い高校だったからピッキングが流行っていた。僕より頭の悪い奴は店の物を盗んだりして捕まっていたが、僕はそいつらより目的も度胸もなかったから、もう使われていない灯台に入ってぼーっとしていた。鍵が未だに変わってなければまだいけるはずだ。「ちょっと待っててください」と言ってコンビニで針金とドライバーを買う。
「じゃあ、行こっか」
 自分の地元なのに、彼女に手を引かれ、灯台へ向かう。灯台の門は身長より少し高く、僕は彼女が門を登るのを手伝った。門を跨ぐ際、薄ピンクのパンツがめくれて見えた。パンツが見えて照れ隠しに笑う彼女と、パンツを見た照れ隠しに笑う僕がいた。
 ピッキングをしようと思ったが、鍵はもうすでに壊されていて、誰でも入れるようになっていた。保存のための管理もされていないのか、扉がぎいぎい音を立てた。頂上へ登る螺旋階段は急で、思ったよりも疲れる。
「ねえ、君」
「はい?」
「君ってなんて名前なの?」
「千葉、ですけど……」
「ふーん」
「結構、こう言っちゃなんですけど、今から死ぬ人に思えなくなってきました」
「え、なんで?」
「今まで自殺志願者に名前なんて聞かれたことなかったし、お金も結構持ってるの見ちゃったし、もしかしたら死のうか迷ってる人だったなら、僕が背中を押してしまうことになるんじゃないかって思えてきて、そう考えれば考えるほど生身の人間に見えてきて」
「……。安心して。死ぬよ」
 彼女ははっきりと言った。
「私は死ぬよ。ちゃんと死ぬ。今ここで君に乱暴されたっていいし、お金をあげてもいい。ちゃんと全部諦めてる」
「いや、乱暴はしませんけど……」
「じゃあお金いる?」
「まあ、欲しい欲しくないで言ったら欲しいですけど……ってそうじゃなくて!」
「そうじゃなくて?」
「……なんでもないです」
「言ってみてよ」
「嫌です」
「ねーえ、言ってみてよ」
「……『なんで死ぬの』とか『生きてください』とかは言わないようにしてるんで」
「ふーん、生きててほしいんだ? でもきっと、生きようとしたら君の好きな私じゃなくなるよ?」
「それに、責任だって取れないですよ。死にたい人は今日を死にたいわけじゃなくて、これから先全部を死にたいんだし」
「そうだねー。あれ、こっちのドアは鍵かかってない」
 彼女がガチャリと展望台のドアを開けると、突風が闇から吹き抜けてきた。今日は曇りで、星も何も見えやしない。
「残念でしたね」
「そうでもないよ。こうして我儘も聞いてもらったし、それで充分。お酒飲もっか」
 僕たちはそれから無言で酒を飲んだ。酒を運んだビニール袋が風にさらわれ、空き缶がそれに続いた。彼女はビールと一緒に錠剤を大量に飲んでいた。彼女のビールの空き缶が風に吹かれて、錠剤の殻も飛んでいった。
「セックスさせてくれませんか?」
 もう、彼女は数時間後には消えてしまうのだということが理解できた。消えてしまうなんて綺麗な言い方だ。崖から飛び降りて、ぐちゃぐちゃになって、消えゆく美しさは消え、醜い残りカスになるのだ。ありありと想像できた。だからこそ言えたのかもしれない。僕は圧倒的に生者だ。だから僕の方が強い。
「ん、いいよぉ」
 彼女の表情はなんだかあべこべになっていた。顔のほとんどは死をシリアスに考え固まっていたが、目だけはやたらととろんとして、僕の目を見ながら、後頭部、もしくは曇のことを考えているかのようだった。
 それから僕らは展望台から降りて、階段でセックスをしようとした。けれど、うまくいかなかった。彼女はいくらなにをやっても濡れなかったし、僕もうまく勃たなかった。彼女がぺちゃぺちゃとペニスを舐め、僕は少し柔らかい勃起をした。彼女がほぼ無理矢理ペニスをヴァギナに入れると、僕はぎこちなく動いた。しかし、それだけだった。僕のペニスはすっかり萎えてしまっていた。
「ごめんなさい。自分から誘ったのに……」
「気にしない気にしない! 生きてればいいことがあるよ。あはははは!」
 僕らはとぼとぼと(とぼとぼとしていたのは僕だけだったが)、来た道を帰っていた。彼女は薬のせいかビールのせいか、馬鹿みたいに上機嫌になっていた。
「私は千葉くんのこと好きだからさ。全然がっかりしてないよ」
「ありがとうございます……」
 それから二人を沈黙が包んだ。歩幅はとぼとぼと歩いてる僕と、上機嫌な彼女とでは大きな差があって、彼女は時々僕の十メートル先くらいで、
「はやくはやくー! 死ぬの間に合わなくなっちゃうよ」
と言った。
 彼女は本当に死ぬのだろうか。そんなことばかり考えていると、崖についた。彼女は飛び込みの選手みたいに体を慣らしたり、ぴょんぴょん跳ねたりしている。
「本当に、死ぬんですか……?」
 彼女は僕の顔を下から覗き見た。
「うん、死ぬよ。そうだ。お金欲しいんだったよね」
 彼女は財布から二、三枚取り出し、少し考えたあと、一枚を財布の中に戻して、財布ごと僕に押し付けた。財布から取り出した物は紙幣ではないことはわかったが、なんだったかはわからない。
「ねえ、私が死んでから財布を見てね。それが礼儀ってものだよ。千葉くん。これからの自殺志願者捜索に役立ててね」
「い、生きてみませんか……?」
 言わないと決めていたのに、愛おしくて言ってしまった。彼女はあべこべな表情から、一瞬普通の表情に戻って、
「ごめんね……」
と言った。それから、あの薬と酒の酩酊の笑顔をした。
「じゃあね」
 そういうと、彼女は崖に向かって十メートル歩いた。崖の一番先で、彼女はしばらく下を見た。それから、飛び降りるというより歩くように前へ進んだ。それから、僕は恐る恐る崖から下を見た。暗闇を波の音が揉んでいるだけで、何もわからなかった。多分、とも思わなかった。絶対、死んだ。僕はそれでも何回か呼びかけて、生きているか確認した。呼びかけがやけに響いて、響きさえも消えた頃、僕は帰路についた。道中で財布を確認する。どうして死んだのか、どうして持ち歩いてたのか、わからないくらいの紙幣の中、隠れるように写真があった。健康そうな彼女が、おそらく夫、おそらく子供に囲まれた幸せそうな家族写真だった。なんでこれを僕に遺したのか、なんとなくわかった。彼女は僕のことなんか全然好きじゃなかったのだ。考えていたのは家族のことや愛する夫や子供の顔で、僕がいようといなかろうとただ何事もなく死ぬ人間だったのだ。最期にその想いだけ伝えようと、この写真を遺したのだろう。多分、彼女と一緒に消えた、財布から取り出した物も、写真だろう。僕はこの写真を貰ってよかったのだろうか。本当は一枚でも多くの幸せな家族写真と共に死にたかったのではなかろうか。今となっては僕が命を助けることができたなんて思いもしないが、僕が関わることで、最高の自殺にケチをつけてしまったのではないかと、そればかりが気にかかる。
 こうして、僕は自殺の名所を避けるようになったのです。

日記

 訳もなく、実家に帰っている。母親は明らかにぼくに依存していて、過去いろいろあったことを考えると怒りが湧いてくるような、べたべたとした不快感にやられるような気持ちになってつらい。父親は本当に苦手なので、喋りかけてこないのは本当にありがたい。昨日、なんてことない注意をされて泣きそうになった。父親と会話するとひどく不安定になって死にたくなる。

 こんな中学生の日記みたいなこと書きたいわけではないのにな。

 

 医者によると「今は他者の目が必要な時期だと思います」とのこと。長生きしたくない。楽しいことを楽しいと思える力が今はないから、生きる理由もさして何をしたいとかもない。

 さっちゃんとバンドごっこしている。バンドがちゃんと四人で活動できる日は来ないと思う。悲観的観測じゃない。リアリストなだけ。さっちゃんが「たなかさんエフェクター何使うか決まってないからスタジオで音出しましょうよ」と言う。これは楽しみの予定の一つ。いらないと思ったものを全部売って、ほかの趣味でもやりたい。曲を書いても賛辞どころかアドバイスすらもらえない。感想もレスポンスもない。まあ、そういうものですよね。でも、ぼくが曲を作っている理由って、売れるとか売れないとかライブやりたいとかじゃなくて、友達に自慢したいだけ。だからそれが一番きついな。さっちゃんはなんでも褒めてくれるので良い人。

 不安時の頓服が常用薬になったから、不安時の薬がなくなった。だから常用薬を頓服として、前借りするように飲んでいる。

 田舎は何もない。何もないし家から出られない。そういうのが少しずつ心を息苦しくさせている。酸素ボンベが機能してくれればいいけど。

ウラミ・ツラミ・タノミ

 忠犬ハチ公は、残飯を鋭く狙うことで有名だったそうである。久しぶりに文章を書こうと、もったいぶった話から初めて、じっくりじっくり確信に近づいていく、そしてあとほんの数センチメートルというところでそれはふっと消えてしまう。自分が何を言おうとしたかすぐ忘れてしまう。

 少し考え直して、ふと、何が言いたいか思い出した。ぼくはいつまでこんなフーテンで生きていけるのだろうか。フーテンを辞書で調べてみる。

瘋癲(ふうてん)

・精神的な疾患。→ 精神疾患
・定職を持たず街中などをふらつくこと。またはその人。→ 無職

 どちらの意味もぼくを指す言葉として一応機能するようである。なんもしたくない。さっさと薬でパッパッと頭から思考を消したい。

 ぼくは障害者だ。だから障害者年金で生きている。ということは、生きていけないから生かされているということだ。医者は行きづらい。人とのコミュニケーションの断絶を感じる。ぼくの辛さはリストカットの跡、一気に飲んだDXMの量、そういうショボいものでわかってくれたらいいのだけれど、きっとわかってくれない気がする(これは医者をdisってるのではなく、自分の対人コミュニケーション全ての通奏低音だ)

 JAシーザーの本で、あの時代はフーテンが多く、フーテンはみんなの施しで生きているものらしい。一種の仏教的ともいえる考え方だ。

 ぼくは一瞬ママ活のようなことをしたり、友達や彼女に何回か奢らせていたけれど、それはフーテンと呼べるのだろうか。多分、徳があって、癒し効果があって、それでいて無関心でいてくれる、相互に何も期待しない状態が続かないと無理なのではないか。

 

 あーうまくもねえ酒を眠るために飲み始めました。最近もウイスキーを水でじゃっとやっています。

 困っていることが二つあります。

 一つは、アンチにTwitterに監視されているという想像が頭の中によぎって言えないことが増えます。ぼくの中の正義と悪という概念は人に叩かれないか叩かれるかなんですよ。だから、こんな国家フーテン暮らしをしていると、他の国民の方に嫌われるのではないかと思ってしまうのです。

 二つ目は、ぼくはどう生きるかということです。バンドは全然集まれないし、文章もこれといって上達したという気持ちもない。出会い系で女の子と会うのにも飽きた。もちろん男にも。人に期待を持てなくなるほどすりきれてしまいました。

 真新しいことといったらバンドか。バンドというか宅録ユニットですけど。あー、ドラムとベースとギターとギタボでちゃんとやりたいな。

 

 誰かの好意を利用したい。甘え尽くすだけ甘え尽くしたい。でもそんな思いも二十四には薄れてくるようだ。ぼくは母親と最近すごく仲がいい。父親は病気になったので「めんどくさいから」という理由で腫れ物の自分に触らなくなった。

 擬似家族のママは知らない。ブロックされてるから。パパも知らない。新しい恋人がいてはぼくなんかがライン送っても見る時間も送信する時間はないだろう。バンドメンバーの森も彼女がいてさらに多忙だからラインもしない。ツイッターもしていないようだ。馬鹿話をしてBLを匂わせていたあの頃が懐かしいよ。

 パパとママ、もう一回か、疎遠になる前に戻って聞いておきたいことは、何もメンタルにガソリンが残ってない時、どのような軽食の本を読みますか? ということです。今となればあの引っ越してしまったあの雑然な部屋の本を何冊か盗んでおけばよかったなと思います。でも、盗まなかったのは、その時はこれからも会うかもしれないという淡い期待をしていたからでしょうね。

 

 ぼくは今、ここ数年本をまともに読めていません。音楽雑誌とかは読むのですが、座って文庫本に意識を集中させるということができないのです。なので面白い文芸かかわいいラノベか音楽小説(漫画も可)を教えてくれると幸いです。本というトリップをちゃんとやっていって知識にしていきたいのです。

日常のそれ自体の感覚的な不快

 何も考えていない。何か考えるとすれば何も考えたくないということだけで、息をするだけの消極的な生きる姿勢が猫背になって背筋を伸ばせなくなってく。梅雨になって窓から見える景色が灰色の雲に覆われて、雨音が激しければ自分とは関係ないのになぜかうれしい気持ちになって、それでもやはり自分とは関係ないので何もせずに日々が過ぎていく。

 死にたいのは何もしないこととは関係ない。ほぼ理由なんかない。ただ生活していると息をすることや飯を食うことに生理的嫌悪感が拭えなくなって、吐き気にも似たネガティブな感覚に支配されるだけだ。それは理由というには感覚的すぎる。こういう静物画みたいなブログを書くことは何回目だろうか。そもそも日常とその内側を描く人々にとって、静物画以上の何かを描きとることはできないのではないか。日常は面白くもなく、ただ人々を疲弊させていく。人々とは主語を大きく出したものだ。疲弊しているのはぼくとわずかな人々だけかもしれない。

 自分との距離感がつかめず、感覚的な不快に追いやられてアルコールと安定剤のちゃんぽんをして感覚の息を殺す。感覚だから、自分がなんでそんなことをするのかほとんどわからない。気付いたら薬の殻と空き瓶にまみれて、部屋の汚さを退廃とでも言おうか、とぼくの大嫌いな「退廃」という言葉を出して自嘲する。ただぐずぐずと意思もなく退廃「してしまった」。退廃とはそれを自分で持ち出す以上は退廃していこうという意思が必要だと思うが、ぼくの生活は核戦争後に人々が原始的生活を始めるみたいに、意思ではなく大きな流れに流されただけのただの「結果」だ。

 タバコでも吸って、吸い殻を灰皿に並べようか。酒の空き瓶を重ねてみようか。そんな、数が増えていくのを目にして、少しでも時間の経過と関わっていこうかとふと思う。まあ、貧困ゆえにそんなことはできないけれど。誰か白痴に日付を耳打ちするみたいに、少しの優しさと日常を照らすような知恵のたいまつを授けてくれ。感覚に吐き気を催して、崩れてしまうぼくを崩れたままで助けてくれ。立ち上がってはまた転ぶのはわかっている。もう立ち上がりたいという気持はわずかにしかない。崩れたままを許してくれるような優しさに触れて、許されながら生きていたい。ほぼ甘えだが、甘えだということはわかっている。恥ずかしげもなく言えば甘え以外の生き方はもう飽き飽きした。嘔吐の後の酸っぱい臭いは嗅ぎなれた。頼むよ。