保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

散歩

 昼頃、春の陽気にあてられて六キロメートルをぼんやりと歩いた。大きな公園があったものの、私の記憶力では今何を語るべきかがわからない。選別することができない。いびつに大きく回った一周は引き伸ばされた写真のような、星座のような円をマップアプリに描いた。

 家に帰ると、何をしていいのかわからなくて、網戸を前に体育座りをする。スマホを見ていると夕暮れはもう終わっていた。オレンジを剥いてしゃぶり尽くすと、手がべたついた。靴下で拭くと、靴下は鮮やかな色になってしまった。何をしたらいいんだろう。何を私はしていないのだろうか。混乱しているわけではない。今になって思えば、躁がなんとなくの範囲を広めたのだ。私はなんとなくコートを着た。なんとなくバッテリーを持った。なんとなく靴を履いた。なんとなく外に出た。

 記憶力はないのに飽き性だから、適当に歩くことにした。電車は下り方面。線路に沿ったら知らない住宅街だ。住宅街はどこでも同じで、住宅街とはすこし外れたところに生まれた私からしたら、ずっとすこし外れたところにあるのだろう。音楽を聴いていたら初めて東京に来たみたい。失恋を引きずってるみたい。いろんなことを考えているけど、どれも固執するほどの距離ではなくなっていた。元カノのことや、元友人のことや、元同級生のことを思い出した。時折強がりみたいに足元の小石を蹴っ飛ばすけど、どうせまた追い付いて、蹴り飛ばして、見失った。みんな見失っていけばいい。

 いろんな東京が耳元で鳴っていて、おそらくこの人たちは東京という土地と個人的の記憶を結びつけるみたいに祈っているのだと思う。風船を木の枝に結びつけて飛んでいかないように、またこの場所に来たら思い出せるように。私は記憶力がないので、出来事を覚えていられない。デジャヴを見たら、前にもここに来たことがあったのではないかと記憶の方を疑ってしまうくらいだ。蹴り飛ばす小石と、靴のなかで違和感を発し続ける小石。どっちがいいのかわからない。なるようになるのか、なるようになるまで待てるのか。不安になるくせに答えはでない。

 どこにでもある三叉路が地元の道に似ている。遠いために歩いては行けないが、親の車に乗るとよく通る道。たまに夢のなかに出る。私は夢の中で帰れないと嘆く。現実の私は帰りたくないと嘆いている。

 市外局番が03から042になるほど歩いた。どこへも行ける気がする。一晩どっかの漫画喫茶で泊まってもいいと思う。子供の冒険のように一歩だけ日常の外に出て、高揚感だけ持ち帰って馬鹿にされたい。あまりに遠く歩きすぎたから、近所に貼られた猫の捜索のポスターを思い出した。猫なんて一匹もいないから、都会では猫を食べるのだろうか。野良猫のことを思い出す。小学生の頃、誰かが公園で猫を飼おうと言い出した。みんなでツナ缶を買って、クロと名付けていた。一週間後、友人のいとこがその猫をもらっていった。クロはエミリーと名付けられた。私は野良のくせに名前で呼ばれるような人でありたい。でもそれが向いていないことだってわかっている。

 時々思い出したように空を眺めて、なにもないことを確認する。偽札だと知っているのに透かしを見るみたいだ。元カノと入った菓子屋に、思いがけないルートで遭遇する。一駅歩いたのだと気づく。戻るなら今のうちのような気もする。でも、戻るほどの気力がある訳じゃない。私はすでに臭いのついたものを嫌うために、見慣れた景色に落胆するようになっている。まだまだ歩く。カップルが歩いていたり、自転車を買ってもらえない子供が走っていたりする。カップルを見ていると繋いだ手で何か持っているのではないかとの思いに固執してしまう。昼間はベビーカーを押す夫婦を見て、葬列のようだと思った。私の祖母は死にかけている。

 祖母が死んだ。千葉への下り列車を待つスーツ姿の私があまりにも遠い次の発車に時刻に項垂れている。わかっている。帰るという現実を受け止めきれないから、高速バスに乗らなかった。遠回りして時間がかかっても電車を選んだ。東京から初めて電車で千葉に向かう。空想が飛躍して、この事を真実としてツイッターにでも呟いてみようと思うのだが、誰も興味がないからこそ嘘だと見破られない嘘はなにも価値がないことに気づいてやめた。

 もう一駅歩いた。帰路を歩くほどの体力はなかった。駅に入るかを悩み、うずまきのように駅との距離を縮めて、意を決して駅の階段を上る。車中は一回壊されてボンドで修復された陶器の人間たちばかりだ。私を責めている気がする。二駅先の最寄りへは七分弱で着いた。一時間以上歩いたのに。

 改札で先を行く人が、トラウマをフラッシュバックさせた。後ろや横を並走する人が私を笑っている気がする。私の知り合いな気がする。鍵をメリケンサックになるように強く握りしめた私は、後ろを振り向けずにいそいそと階段を上る。散歩は終わった。iPhoneでは私は今日十四点八キロメートルを歩いたらしい。躁病だ。眠たくない。腹も空かない。なにかをしたい。理性では押し止めようと、なにもするなと騒いでいる。私と冷静な観点の私、そしてそれを見る私に私は苛まれている。病的だよくそったれ。近いうちにまた病院に入るような気がするよ。

体育館裏の思い出

 amazonをうろうろしていたら、場面設定類語辞典というものがあって、もう説明しにくいのでページを見てもらうしかないのだが、試し読みをしていると懐かしいことを思い出した。

 

場面設定類語辞典

場面設定類語辞典

  • 作者: アンジェラ・アッカーマン,ベッカ・パグリッシ,小山健,滝本杏奈
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2017/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 私の小学校では、校長が話をする体育館の壇の下、土台部分の奥まったところがトンネルのように空いていた。おそらく壇上に上がらずとも右から左、左から右にと移動できるようだろう。まあ、使い道は小学生の行事ではないし、そんなことをせずとも壇上の奥に布がかかっていたので、布の奥で移動すればよく、使い道はなかった。体育館掃除の担当になっても使い道がないので掃除しなくても良いと言われていた。小学生が腰をかがめて通れるくらいの狭いトンネルはいつ使ったのかもわからない物が放置され埃が積もり、蜘蛛の巣が張っていた。

 私は小学校四年からよせばいいのにバスケ部に入り、自分が運動ができないということを知った。それから三年間は自分が運動ができないということを確認するために部活に行き、自分は人より劣っているということに気付きながらボールを投げ、今日も劣っていたなと思いながら帰っていた。四五年生のころは雨の日が嫌で嫌で仕方がなかった。六年生は毎日体育館で練習していて、下級生は外で練習だったのだが、雨ともなると全員が一緒くたになって体育館で練習することになる。六年生は飛びぬけて下手な私を笑えばいいほうで、笑いがなくなってくるとただただ愚鈍な人が邪魔をしている、と敵意を持って認識される。それでも耐え抜き(退部は一人もいなかった。退部というシステムがなかったからだ)、六年生になっても何も変わらなかった。うまい五年生が飛び級で練習に参加しているのを、愚鈍グループ(流石にそうは言われていなかったが、実質は名前がなかった。「レギュラーはパス回しの練習、二軍はシュートの練習、あとは隅で個人練習」と、名前がなかった)はぼんやりとまともにバウンドもしないボールを触っているふりをしていた。

 私はたまに涙が出てきそうになった。自己嫌悪なのか、情けなさなのか、子供の心情はわからないが、泣くという行動によってあらわされる一種のストレスであり、言葉にできない不快だろう。体育館の倉庫に行ったり、トイレに行ったりして短期間泣いていたが、どちらも練習場所を横切らなければならなかったので目立つし長居はできなかった。そこで編み出したのが先述のトンネルであった。そこなら隅から裏に移動するだけで自然だしばれない。暗がりで埃に咳き込みながら、ぼんやりとした。それからは毎日トンネルに通っていた。先生たちはだれも気付かなかった。

 惨めながらも、私は勝負をしていないということで言い訳してなんとか涙をこらえていた。みんなが知らないことをしているということだけが誇らしかった。私は今でも体育館裏にいるのではないか。勝負をせず、負け方でなんとか自分を保っているのではないか……。

コンビニバイト・キロバイト

 これは私がコンビニバイトをしていた時の話だ。と、言っても今もコンビニバイトをしているから、前の店で働いていた時の話になるのだけれど。

 

 八年間も働いていた、勝手に寄り添うように思っていたコンビニが潰れることになった。当時女子高生だった私は二十五歳に。校則でバイトが禁止されていて、先生の目を盗んで少し遠くのコンビニを選んだものの、そこは先生の家の近くだったらしく、時折疲れたようにハイボールを買っていくのを平均週三で眺めていた。先生は最近禿げてきている。

 八年間も働くと、バイト間でも仲間意識が湧いてくる。私は最後の日くらいはということで、古株のバイトだけで集まろうと考えた。古株は何人か居たが、飲み会に参加するのは私を含めて四人しかいなかった。そのうち二人は夜勤なので、ほとんど話したことはない。もう一人は年上の女性で、どうしたわけか私の勤務時間すべてその人がいて、何勤と言っていいのかわからない人だった。私の仕事始めも仕事終わりも、何も言わずに仕事をしてくれているので、私は毎回「悪いなあ」と思いつつ、「この仕事おねがいします! お先です!」と言ってコンビニから帰ってしまう。そして翌日はその人に「おはようございます」と言いながら仕事に就く。お願いした仕事は片付いている。

「飲み会行きませんか?」

「飲み会?」

「ほら、もうここ潰れちゃうでしょ? だから長い間働いてる人だけ集めて飲もうかなって」

「なんで?」

 なんでと聞かれてたじろいだものの、それなりに寂寥とかエモとかを理由として答える。彼女はわかったのかわからないのか、そのどちらでもないような顔をして、ぼんやりとした目。「この日暇?」とバイトの最終日の日にちのカレンダーを指しながら言うと、「用事はないけど」と言われる。「とりあえず、出席にしとくね!」と押し切った。

 バイトの最終日、もうほとんどすることはなかった。物がない棚の方が多いし、入荷もない。店長の妻が久しぶりに店に来て、売れ残った菓子を持っていってもいいと言う。なるべく多く袋に詰める。店長の妻が世間話か、店の潰れる理由を教えてくれた。客足が遠のいたとか、よくわからない帳簿上の微減で潰れると思っていたのだけれど、そうではなかった。店長が過労で体を壊してしまい、もう店長家族は悔いのない寿命の使い切り方を考えているらしい。と言っても店長の姿を見たことはなかった。私が来る前にはもう体を壊していたらしい。お菓子を袋に詰めていると、万引きをしている気分になったり、コンビニは店長の暗喩で、こうして万引きしている自分はウイルスなのではないかと思ったりした。

「ねえ」

 働いている彼女に声をかける。

「お菓子持ってかないの?」

 店長の妻が「あはは、いいのよ。あの娘は」と言った。

「えっ、でも、あの人クリスマスの後、いつもクリスマスケーキ何個も持って行ってましたよ」

「ああ、あはは、あの娘甘いもの好きなのかもねえ……」

 あの娘かあ。彼女は一体何歳なんだろうか。私が働き始めた時は三十歳くらいに見えたものだが、今でも何一つ変わらず三十歳くらいに見える。バイトを始めた時──つまりは私が若かった頃だが──は歳上の女の人に母性を見出したりして、彼女を見ながら「こんな人が母親だったらいいのになあ」と思っていた。しかし、私も二十五になってしまったので、流石にと思い、そんなことは思わないようにしている。たまにそんなことを思っていたなあと意識すると、なんだか悪いことをしていた気分になって、彼女の眼をまともに見れなくなってしまう。

 何事もなく仕事が終わり、店長の妻がシャッターをおろし、シャッターの上に「閉店しました」の紙を貼る。彼女に「ごめん、お菓子家に置いてきていい?」と言うと、彼女は「うん」と言って、ぼんやりと立ち尽くしている。このままここで待っているのではないか。「ついてきて、飲み会の場所知らないでしょ?」彼女は黙ってうなづいた。「家行くから少し遠回りになるけど、ごめんね」

 

 夜勤のおじさん達は仲が良く、二人でゲラゲラ笑っている。自然と男と女で分かれて話す。一時間、お酒も幾分か飲み、気分も高揚する。

「お酒強いんだね!」

「私は酔わないから……」

「すごいね! じゃあさ、私が酔いつぶれたら、家に送っていってよ! 家、わかるでしょ!」

「うん、いいよ」

「あ、いいの……? もしかして家近かった? 家近くなかったら、いや、別に近くてもわざわざ送り届けなくてもいいからね? あはは、なるべく酔いつぶれないようにがんばるね!」

「うん……」

「もー、私さあ、八年間も働いて、コンビニのことしか知らないわけよ。それがこんなに簡単にぽんとコンビニの外に放り出されちゃうと、不安になっちゃうな。コンビニのことしか知らないのにさ!」

「わたしも、コンビニのことしか知らない……」

「ねー! もうさ、嫌になっちゃうよ」

「……」

「……これから、どうしようね」

「これから?」

「三ヶ月くらいは何もしなくても蓄えで生きていけるけどさ、何をしたらいいのかな。ねえ、これから何するの?」

「私にこれからはないよ」

「? 働かないってこと? いつも働いてたから、蓄えあるの? いーなー!

………………まだ見たところ三十代でしょ? そんなに長い間暮らしていけないでしょ」

「ううん。まだ十歳だよ。終わったらもう私廃棄だから」

 この人電波だったのか、と思うも、酔いが回った頭では危険とは思えない。変わったところを面白く思う部分だけが働いて、笑い飛ばす。

「あはは! なにそれー」

「本当だよ。私は店長が買ったロボットで、十年前に作られたんだ。十年前、店長が体を壊して、まだ療養すれば治るかもしれなかったから、その間だけ働かせようと思って買ったんだって。でも、長引いちゃってね。ロボットで十年って言うと、もうおばあちゃんだよ。私みたいな労働ロボットはね。中古で売られるかもしれないけど、十年前の型だと、まず買い手はいないと思うな」

「どっかで暮らすとかはないの?」

「暮らす? 誰も雇い手がいなかったら、ロボットじゃなくなってしまうの。ロボットの語源は『人の代わりに労働をする』で、労働しなきゃ存在意義、レゾンデートルがなくなっちゃうから」

「どっかでニートしたらいいじゃん」

「働かなかったら、ロボットじゃなくなってしまうでしょう……」

「人間じゃだめなの?」

「人間?」

 彼女は考えたこともなかったというような顔でこっちを見る。

「存在意義がわからない人間になるなんて、御免だわ」

 なんとも言えない話をされて腹が立ったので、「証拠見せてよ」と言う。意地が悪かったかもしれない。彼女は私の手を取り、女子トイレにつれていくと、洋式便器の蓋に私を座らせた。彼女はジーンズをおろす。臍の下、女性器の上に、小さく穴が空いていた。彼女がポケットから、充電ケーブルを取り出す。「穴にはめてみて」恐る恐る穴に差し込むと、それはカチリと音を立てて嵌った。コンセントに挿すほうの端が、ぶらりと股の間で揺れていた。

 席に戻ると、なにがなんだかなんとも言えなくて、ぼうっとしたまま、時間が過ぎてしまった。水をがばがば飲んでも酔いが覚めたのかわからず、なんとなくそれから酒を飲んで意識の外に信じられないことを投げ捨てようとした。なんとなく時間になって、なんとなくお金を払って、なんとなく解散した。

 帰り道、月明かりが私を照らすと、ひやりと酔いが覚めた気がして、脳裏に彼女が廃棄されるイメージが鮮明に描き出された。大きなシャベルだろうか、それとも回転する歯車か、よくわからない物に彼女が押しつぶされる。血は流れないかもしれないけど、彼女がねじ、オイル、その他諸々になっていく。いけない! と思う。でも、飲み屋からどこに行ったのだろう。わからない。スクラップ工場? 店長の家? わからない。どこへ……。とりあえず飲み屋へ戻らなければ、そう思うと飲みすぎたせいの千鳥足が別の意識を持っているように動き、恨めしく思える。くそっ、頭だけ重く膨れ上がったようにバランスが取れない。気分が悪くなって道端に吐く。頭の中でスクラップにされていく彼女が、こちらを眺めている。──暗転。

 気づくと私はガンガンに痛む頭を抱えて、自分の部屋にいた。彼女を探して助けるよりも、家に帰って寝るほうを選んだのか……。情けない。まだ、どこかにいるのかもしれないと思って、立ち上がると、二日酔いが思ったよりも酷くてすっ転んだ。変に転んだせいか、関節が痛む。また立ち上がろうとする。

「まだ酔ってるでしょう。今日は仕事ないんだし、休んでなね」

 彼女の声。疑問に思うのもつかの間、台所からエプロンを付けている彼女が現れる。

「酔いつぶれたら家に送ってよ、って言ってたでしょう」

 そうだった。いつでも彼女は頼み事を断らないのだった。

「ねえ、頼み事があるんだけど」

「なに?」

「お味噌汁飲みたいな。毎日……」

「それは仕事?」

 仕事ということにした。そうしないと、私の元からいなくなってしまうと思ったから。

今日の半径

 今日もまた日記を書く。半径をぐるぐる書いているうちに、日々からはみ出た滲みを許せるようになれればいい。一種の作為としてちょろちょろ同じところを回る点Pとして、一人称をPにしようと思ったが、友人のあだ名がPちゃんなのでやめた。

 

 朝起きると非常に肩が痛む。昨日は二十時に寝たので、断片をかき集めたみたいに睡眠時間だけが増えそのじつ実を結んだものはない。うつ病の記録アプリ(うつレコ)に起きた時間を記入すると、寝た時間が十二時間弱と言う。まさか(時計を見る)、さもありなん。体全体の重さのせいで起き上がるのに三回失敗した後、寝床のロフトからやわなはしごを降りる。はしごにかけておいたギターがたわんだ拍子に倒れ、ぼわーんと音を出す。流石に下の住民に申し訳ない気がしたが、もう八時だし許してほしい。

 昨日作った鯖の炊き込みご飯を温めて食べる。電子レンジが嫌な臭いになったし、ツイッターでレシピを見てうまそうだと思って作ったのに、そうでもないので悲しい。そもそもツイッターのレシピがうまかったことない。百四十字に縮めて、さらに大袈裟にものを書くからこうなる。キャッチコピーみたいなものだろうか。簡単で六十点ぐらいですと書かれたら作らなかったのにと思う。それから、なんとなくギターを弾きいていたが、自分がいかんともしがたいくらい音痴なのを思い出しやめる。ギターも持ち主に似たのか音痴だ(アコギの方である。友人からもらったレスポールは専ら鏡の前で格好付けるときに使用している)。

 そういえば、昨日、女装被写体の募集に声をかけたんだった。思い出してアマゾンでウィッグを購入。おれはガチ勢だぜというところを見せつけたい。キモがられそうだな。まあ、こういう空回りするときも大事だと、今さら後悔し始めているのを気付かないふりをする。予定をいれる度に、あー、その日まで死ねないじゃんと思う。そこまで毎日死について考えているわけではないけれど、事実として自分が死んだら迷惑する人間がいてそいつに「あの田中って野郎、急に連絡無視しやがって」と思われたくない。それに断ることができない人間なので、予定が近づくにつれてメンタルがやられてしまい。断りかたがわからず、よしリストカットだ、やらオーバードーズだになるので体に悪い。

 またいい加減寝転がっていると、知人に送ったラインの返信が来ていて、不妊だと言うことがわかったと言う。急な話に、レズビアン不妊もなにも・・・・・・とは思うが、どのテンションで返せばいいのかわからず、「ぼくも不妊だからさ」と返す。返した後に自分が不妊だということを思い出す。このまま女性ホルモンをやめていても打っていても、なにも変わらないのかと思うと髭の生えない方がいいかと思う。久しぶりに女性ホルモンを飲む。不妊について考える。不妊について真面目に考えたこともないし、ぼくの場合は完全に自分のせいと言うか選択的去勢みたいのものなのだけれど、不妊と言うのは不具だから、どうしようもない。選択して「しない」を選ぶのと、「できない」は違う。もう書き尽くされてるか、こんなこと。ウエルベックがヴァギナ的悲しさとぺニス的悲しさについて語っていたのを思い出す。穴の悲しみはどうしようもない。その通り。

 チャットアプリ(言い方を変えれば出会い系)で今日は暖かいと言われたので、いそいそと着替え、外に出る。ヒートテックと革ジャンが暖めてくれたが、暑いくらいだ。ブックオフに行く。ねこぢるにハマってしまったので、他の作品は置いてないかを確認。置いていない。そのあと行くところがなくて、ややパニックになってしまったので近くの書店へ逃げ込む。なに買うかと悩んでいると、軽薄な「これ買おうよ」と「もったいない」が喧嘩し始めたのでいそいそと違う書店まで歩く。書店は閉鎖病棟に近いので、パジャマ姿を見ると怖くなり、またまた退散。近くのタリーズに逃げ込む。地方都市なので(今、痴呆と死と変換された)、ハゼに眼鏡かけたような高校生が多いのだが、高校生がいなくて落ち着いた。おしゃれな人も髪の毛がはたきみたいになっている老人もいた。すこし気を取り戻して家に帰る。家に帰ろうと思っていたのだが、そうだと思い、近くの老夫婦と老夫婦には強いその息子らしき中年が経営している古書店に行く。ねこぢるうどん(ねこぢる)とインドぢる(ねこぢるy)があった。買いたい。

 近くの銀行でお金を引き落とす。なにか銀行員が言っているので、イヤホンを外すと、クレジットカードの案内だった。学生ですか?と聞かれたことと、久しぶりに人間と話したことが嬉しかったが、それに気付いたのは「はは、考えておきます」と言って銀行の外に出たあとだった。書店に戻る。先述の二冊と絶対安全剃刀(高野文子)と変身のニュース(宮崎夏次系)を買う。二千八百円。

「あ、学生ですか?」

「あっ・・・・・・もう・・・・・・やめましたね。ははは」

「そうですか」

 ぎり二十二歳なので割引けという思いに気づかず、老人は学割を適用せずにポイントカードの仕組みについて話し始めた。金物店みたいな顔のおじいちゃん・・・・・・。まあいいや。

 おれはサブカルだぞ。という思いが強くなり、またメタな視線で「昼間から酒を飲むのはロックでは?」と思えてきて近所の安いスーパーへ。酒の前に立ち止まりなにがいいのかと悩んでいると、体質的に酒が合わないのを思い出してさらに悩む。メタと体質という自分自身が戦っていると、それをさらに見ている自分自身が、自分達が戦っているという事実に悲観しはじめてまたまた退散。スーパーの自動ドアがわかりづらいので、センサーがついていないほうでまごついてから外に出る。いつもの儀式。それを見ていた雰囲気イケメンと目が合う(雰囲気イケメンとは悪い意味ではない。顔は百点とはいかないまでも、雰囲気がいい。下手うまが一番かっこいい)。イケメンは路肩の花壇(高さ二十センチメートルくらい)に腰を下ろし、安い発泡酒を飲みながら、片手にはタバコを携えて、地べたにおいた空き缶に吸い殻を落としていた。なにしてんのという感じで、感情なくぼくは見つめられていた。もう恋が始まってしまいそうだった。イケメンは斉藤和義森山未來を八二で調合した感じだった。よくも狭い歩道で腰下ろしてるなという気持ちと、酒なんでもいいからおごったら仲良くなれるのでは、と思うが、なに話していいかわからないのでやめた。「どうせ」思考をやめたい。「もしや」思考にしたい。もしや仲良くなれるかも、など。

 家に帰って漫画を読んでいると、髭のボーカルが「若い頃はニルヴァーナを聴きながら太宰治を読むみたいな最低なことをしていた」と語っていたのを思い出した。でもいいんじゃないの。そういうケーキからイチゴほじくって楽しむみたいなことも。

 じゃ、まだイケメンいないか覗いてくるね。

視野半径二時間

 読み終わってもない本を図書館に返しに行く。行動には目的のあるものとないものがある。所作だけで満足するものがある。本を借りて返すうちに、幼児性を帯びる気持ち。それかシーシュポスか。

 スーパーに行き、牛乳、豆腐、お茶、バナナ(バナナはうつ病に効くらしい)、ジャガイモ、玉ねぎ、紅茶、ココア、食パン、台所用洗剤、二十九円の貧困コーラを買う。あまりにも重い。運んでいるうちに肩が伸びきった気がする。

 家に帰り、荷物を下ろし、ブックオフへ向かう。百円コーナーで悩んでいると損したくないと言う気持ちが湧いてきて自分を見つめるメタな視線が出てきて自己嫌悪に陥る。逃げるように五冊の本を買うと、「これはリハビリなのだ」と言い聞かせた。五百四十円よりも疲れる。買った本は老人力赤瀬川源平)、うれしい悲鳴をあげてくれ(いしわたり淳治)、とほほのほ(中島らも)、ぢるぢる日記(ねこぢる)、普通の女の子として存在したくないあなたへ。(村上龍)の五冊。本って買う段階で読む気が失せる。ヤリチンの気持ちってこんな感じなのかな。

 再度家に帰り、足の裏とこめかみ、手の小指に湿布を貼る(疲れがなくなるらしい)(ツイッターライフハックを信じて生きているけど、そのうち新興宗教に入ったらどうしよう)。貧困コーラを飲みながらぢるぢる日記を読む。絵日記の形をとったエッセイ。悔しいながらも面白かった。読み終わった後にWikipediaねこぢるを調べるとダウン症の子供みたいに神格化されてて嫌だなと思った。なにがこんなにムカつくのかと思い、書き連ねてみたら、だんだん自分の評価の基準に気持ちが寄っていって、あーまたメタだよと思いながらやめた。でも本は面白いからずるい。

 次は何を読もうかなと思うと、なにもする気がなくなった。なにが面白くて本を買ったのかわからなくなって、家にあるすでに読んだことのある本だけをかき集めて眺めている。過去に固執する気違いみたいだ。本は書いてあることが変わらなくていい。疲れた。二時間前の自分が何を考えていて、何を感じたかすぐに忘れる。二時間後の自分も全く想像つかない。半径二時間の視野でなんとかこの文章、日記を書いた。