反日常系

日常派

くすりをたくさん

 また手を出したふわふわだ。ブロンが効くまでの数十分数時間を克明に文章にするなんて分かりやすい狂気にぼくは参加しない。ぼくはなぜまたここに戻ってきてしまったんだろう。と思う。

 数時間前、パパとぼくは一緒にいた。安心できる関係で、二回も昼寝をしてしまった。このまま朝まで一緒にいるもんだと思っていた。パパと寝て、あわよくばぎゅーをして朝に帰るような暮らし。さらに言えばずっとこのままここで暮らせないかとさえ思う。家賃の何割かは出すから。炊事家事洗濯するから・・・・・・。なんて、本人には言えないことをここに書き連ねる。

 そこから普通に電車に乗って帰った。さっちゃんから貰ったギターがあった。スメルズライクティーンスピリットを弾いて虚無になった。ぼくの部屋は少し乱雑に物がおかれていた。無が乱雑している。物はあっても何もない。死にたい。また孤独だ。と思うと最近ツイッター、ライン、現実で話したオーバードーズの話を思い出してきた。身近に迫ってきた。抱え込んでやるとそれは可愛らしい誘惑に思えた。ロラゼパムをほぼ三日ぶんの上限だけ飲んで、あと、それでも足りなくなって、酒を買いに行った。5%と6%のを一本ずつ。350ml×2本。それをキャス中に飲みきると、足りなくなってブロンを買いに行った。84錠は売っていなくて、84錠は一回にしては多いから、ちょうど良い60錠を選んで、また家に帰る。そしてキャスをする。もう飲み慣れた大きさの糖衣錠。甘さでプリンを選べなかったことに後悔をして、それを書き消すように薬を飲んだ。で、今キャスをしている最中。ブロンが効いてきた。胸が多幸感でふわふわ浮いているみたいだ。パパに叱られたい。お薬パパの管理にしてもらって、毎日のぶんだけ手渡されるんだ。なーんて妄想をしている。いつもは泣きながらしている空想も、ブロンがあれば笑いながら話せる。依存かなあこれは。ぼくはパパの子供でありたいなと思った。なのに、臆病から一回も「パパ」と呼べなかった自分が情けない。パパの子供になって、それでいて生活のパートナーで、なんて空想がリアルになったら良いのにな。ずっとパパのそばにいれたら良いな。パパが顔をしかめない限り、そばにいることを許されたらなあ。パパについて知っていることは少ないけれど、恋心でもあるまい風邪薬の胸のときめきのせいにして、別人格のせいにまでしてたった一言を言います。「好きです。どうかぼくから遠ざからないで。パパ」なぎからいえるのはこのくらいです。一緒にいれたらなあ。ぼくといるときはぼくが気を使わないで済むように気を使ってることもわかるけど。ぎゅーしたいし、添い寝も良いな。ぼくに勇気があればなあ

横たわる

 なんだか、家にいる時は何も出来なくて横たわっていることが多いです。鬱の始まりだなとわかってしまい、余計に落ち込んでしまいます。うつヌケでは気温差が激しいと辛くなるって書いてありますが、ぼくもそのパターンだなと思いながら辛くなっています。これから病院に行く用事があるのに外は雨で、明日も外に出なきゃ行けないのにぼくは鬱で、何もこなせる気がしません。自殺とは自分を殺すと書きますが、その文字のとおり、なんにも出来ない自分を刺殺か絞殺してやりたい時があります。どうせしないんですけど。

 これから一時間半かけて病院へ行き、一時間半かけて戻ってくるのか。そもそもそんなことできるのか? こんな体調の悪さで。早く気温か自分が安定してほしい。病院だと元気になれるのは気温が一定だからかもしれないなと思いました。

 横たわって文字を打つことくらいしかできず、頭の中も乱雑なので、まとまった文章を書ける気配すらありません。なにもしたくないです。ていうか消えたいです。嫌いな人の存在とかどうでもいいくらいただただ自分の体調が悪い。嫌いな人のこと考えなくても、不安か不穏になって、その時々の薬を飲みます。不安か不穏かわからずどっちも流し込む時もあります。治るのかというと、なんだか眠くなって、寝て、起きて、また辛いだけです。手首を切ったり薬をたくさん飲んだり、わかりやすく堕落して、退廃(笑)だと気取れれば少しは楽なのでしょうけれど、簡単な退廃はただの堕落だし、詰め将棋みたいな話で、こうすればこうなる、ああすればああなるというのが多すぎて、何も手がつけられません。ぼくは治りたいというのに、楽な方向へ、自分を罰して、自分を否定できる脳は残っているという証明をする、という道を否定出来ない。現状を打破するものは何一つ見つかってないけど、現状を否定する術だけは知っている。なんの意味もないのに。

 手首を切ったり薬を飲んだりという逃避を続けていると周りが避けていくというのはもう学んだのでなるべくやめたいですけどね。なぜ自分を罰する方向には動くのだろう、身体。世が悪い親が悪い訳ではなく、ただただ自分しか否定できない。昔の総理が流行らせた自己責任。さっさと死んでなくなりたいです。そのためにも動けないくせに病院に行くだろう。行ってきます。

今でも幸せ

 ここ最近は人と会うことが多く、その数々をちゃんと描写すると楽しいや幸せという形容詞が似合うのではないかと思われてきます。しかし、躁鬱や解離を理由に社会からドロップアウトしている身からすると、その形容詞が付くことによって他人から攻撃されるのではないかと身ををすくめてしまう。鬱についての本を読んでいると、「鬱の療養は部屋でじっとしていることではなく、楽しいことを楽しいと感じてすることなのだが、そこの勘違いで前者の療養をしていないと批難されることが多い」というようなことが書いてあって心から同意した。どうせこんなブログ、ぼくのことを好きな人とぼくのことが嫌いな人くらいしか読んでいないのだから好き勝手書き散らせば良いのだろうけれど。

 金曜日は人付き合いがうまくいかなくて、さっさと死にたい気分になっていたら森が家に来て鬱に良い食材を置いてギターを弾いてくれました。それからバーに行くと、金曜日ということもあってか、ハッピーな雰囲気にあてられてしまい、ぼくらは根暗なんだと再確認しながらすごすごと終電を前に帰ったのでした。

 土曜日の記憶はありません。

 日曜日はぼくの曲をなんとか形にしたい一心で友人(ドラマー)とスタジオに入り、試行錯誤してようやく、「ぼくはドラムがようわからん」という結論に達しました。

「タムで刻んでみるとかは?」

「すごいださい」

「もっともたった感じに演奏できる? リンゴスターみたいに」

「うーん、どうすればいいかわからないな

「すみません……」

 月曜日は病院の友達と遊び、喫茶店でぼんやりとおしゃべりをしました。他愛もない話(病人の他愛もない話とは人生や生活上の不安になるのですけれど)をして、そろそろ頃合いかと外に出ると大雨が降っていました。ぼくは別の友人と食事の約束があるからとそこで別れてしまったのですが、雨に降られずに帰れたのかが気がかりになりました。気がかりにすることで罪悪感を少しでも少なくしようと思うけれど、考えれば気がかりになって脳みそにこびりつきます。また遊べたらいいなと思います。晴れた日に。

 それから羽川さんと会い、食事をして、他愛もない話(どうしてぼくの他愛もない話は生き死にが絡んでしまうのでしょうね)で笑い、うまくいかないことに対して平行線上を巡り、そのくせに頭の回路がこんがらがり、二十一日(疑似家族のパパと遊ぶ約束があるのです)に期待をして、昔の不幸を吟味して、喋り疲れて解散をしました。

 

 楽しい日々にも終わりが来るのが当たり前です。夜は無邪気な子供のようにぼくの顔をしかめさせます。暖かい布団に潜ると、途端に涙が出てきます。布団に入ると、自分の幼少期が思い出されるのです。白黒思考のせいで「幸せな幼少期を送っていない以上、百パーセントの幸せは得られない。この夜の辛さは死ぬまで続くだろう。ならば生きていても意味がない」と思い、いっそのことアルコールや市販薬で気分を上げようと思うのですが、こういうときに気分をあげると自殺衝動だけが上がり、閉鎖病棟に行くことをぼくは経験でようやく学びました。最近、森には「たなかは一人で酒を飲んじゃダメ」と断言されました。そもそも素面の自分の気分も信用できない病気ですから、酔った時など余計信じることができません。楽しい日々。楽しいのだけれど、それをマイナスにする夜が潜り込む。いくらプラスを重ねてももうマイナスはひっくり返せないのではないか。簡単な例えに逃げるなら、底の開いたコップに水を注ぐようなものではないかと思ってしまうのです。時折言いようがなく寂しくなり、涙を流して眠る時があります。ぼくが三十になった時……。いや、それでは遅いか。二十五……。ともかく数年後、ぼくが同じ理由で幸せや楽しさの目の前でふてくされた顔をしていたならば、もういっそのこと刺し殺してやりたいと思う。今だって幸せなはずなのだ。それが昔の出来事に左右されるなんて馬鹿らしい。馬鹿らしいとわかっているのにな。楽しい日々に失礼だ。

そういえば

 そういえば、なんて書き方をするけれど、ほぼ一年前に祖母が死んだ。なんとなく思い出す程度の仲だったのだ。詳しく書こうとすればするほどするりと逃げていく、金魚すくいのような日々だった。

 祖母とはさして仲が良いわけではなかった。祖母には血の繋がった子供が二人いて、孫が三人いて、そのうちの一人がぼくであった。小さい頃、(弟が知的障害と身体障害を持っているために)親が働きに出るときに一緒に預けられた記憶が何日かぶんだけあるだけだ。父親も祖母のことを積極的に語ろうとはしなかった。が、祖母が創価学会を信じているのに対して、父親が創価学会を敵対視している新興宗教を信じていることから、小さい頃から「そういうことなんだろうな」とぼんやり認識していた。嫌な子供であった。祖母はたまに家に来てはお茶を飲み、他愛もない話をして帰り、ぼくの母親は祖母の悪口をぼくに吹き込むという調子だったので、ぼくもなんとなく祖母が苦手になっていった。

 大学を辞めた後、祖母は家に来て「蕎麦を食べに行こう」と言ってぼくを連れ出し、友人の車で創価学会の会館に入り、勧誘をしたことがある。それがきっかけになって、祖母とぼくは疎遠になった。父親に宗教に入れられてからは宗教が嫌いになっていた。母親に宗教嫌いを吹き込まれたというのもあるだろう。

 死ぬ二三ヶ月前から、「覚悟はしておけ」という話は聞いていた。覚悟もなにもなく、死んだらそれまででしょとしか思わず、なんとなく過ごしていると、祖母が死んだ。それまでの話だけだった。

 葬儀には別れた旦那や血の繋がりのない甥まで呼んで、ようやく一番小さいホールがそれなりに見えるほど人が埋まった。創価学会式に葬式を執り行ったが、父親の一存で骨は父親の宗教の墓に入れることになった。真新しい墓を見て「お前も死んだらここに入るんだぞ」と父親が元気なさげに笑った。父親と仲の悪い母は渋い顔をして何も言わなかった。和尚は「邪道の宗教を信じたことによって、死後、良い世界に行くことはありませんが……」と御託を並べた。

 

 人が死ぬことはどんなものなのだろうと思う。そんなこともわからず何回か自主的に死にかけて、なんとか助かっている。明日死にたくなるか、明後日死んでいるかもわからない。ある人には死は救済で、ある人には恐るべきものだ。どちらにしろ「それまででしょ」と思考停止しているぼくには辿り着けない思考だ。自分が生きたいのかどうかすらたまにわからなくなる。

 前に閉鎖病棟認知症のおばあさんが一言だけ意味のあることを叫んだことがある。

「何もわからなくなる前に死にたい!」

 いつも意味の通らないことを叫んでいるおばあさんは、いつもみんなに粗雑に扱われ、悪口を公言されていた。しかし、そのときだけはみんなが静かに頷いた。「たしかになあ」とおじさんは言った。「病院の外で死んでくれ」と看護師は言った。

 それから数日後、いつもより訳がわからなくなって、いつもの数倍の声で叫んでいたおばあさんがいて、その翌日におばあさんは病棟から消えた。死んだのかは定かではない。

 

 祖母の葬式では、みんなが祖母の死に方を称賛していた。祖母は痛み止めを使わず意識が混濁することもなく、ただただ死んでいった。そろそろだと病院から連絡があり、真夜中に家族が向かっている最中にひっそりと死んだ。ああしてボケずにポックリ死にたい、というのが一番飛び交った言葉であるように思う。それなら、「死にたい」と思っているうちは死ぬべきではないのではないかと思った。意識がはっきりしているから。生きる理由も死ぬ理由も考えているうちは、生きる理由がなくとも、死ぬ理由があっても、死ぬのはださいのではないだろうか。そんなことを一年経ってようやく考えた。信仰の道を見つけられず、邪道を生きているぼくはこの一年で三回入院して、二回手首を切って、一回致死量らしい薬を飲みました。そんなことをぼんやり考えながら、自分が考えていることを生きる理由にはできまいかと思ったりしてみるのです。

乗っ取ってあげるからね

 人には誰しも、他人には言えない関係があるものだと思う。それはなにも不倫だとか浮気だとか世間一般の倫理に反するからという理由ではなく、面白くないから、話したってどうしようもないからという理由なこともある。

 ぼくには数年来、もう三年以上になると思うが、出会い系で連絡先を交換した女性と会話している。ぼくは子供を演じて意図して平仮名を多くし、向こうは「あらあら、~ですよ」と大人の女性を演じていた。雪の日には「ゆきふったよ!」「足元に気を付けるんですよ」、雨の日には「あめふってる……」「外に出れませんね」と。それだけの関係がこれだけ続いたのは奇跡というか、暇のなせる技だったのだろう。それが、昨日、急に彼女が豹変した。ぼくが悩みを相談していた時であった。

「すっごい好きだった人がすっごい憎くなっても、忘れられるかな」と、ぼく。

「あたらしくまた好きな人や人間関係が増えたら薄れると思います」と、女性。

「忘れたいな。嫌な人のこと」

「あー、もう燃やしたらいいんじゃない? 燃やしなよ。全部」

 驚いて返信もできないぼく。

「嫌な人のものとか写真とか、穴開けてから燃やしたらいいよ!」

「少しスッキリすると思うよ」

「手紙なんか釘で打ち付けてやりゃよかったのに!

 驚きつつも返信を考える。もう手紙は捨てていた。

「とっておくか悩んで、やっと風が吹くみたいにゴミ箱に入れたんだよ」

可燃ゴミだもんね」

 なんだか、同い年と喋っているみたいであった。二十三の、困ったことばかり言う女の子。付き合っているわけでもないけれど、よく遊んでいて、UFOや妖怪の話をしては困惑した人間の顔を見て笑う女の子。という空想。ぼくのインナーチャイルドは、未就学児から大学を中退した無職の男に引き戻され衝撃を受けた。彼女の二面性は、彼女によると病気でもなんでもないらしい。彼女の二面性だって外見の三十九の女性と中身の二十三かそこらの女の子を行き来しているのだろう。誰もが、人に言えない自分が潜んでいるのかもしれない。意図的に子供に戻ろうとしなくとも。解離性障害でなくとも。

 彼女はしょっちゅうメッセージを送ってはぼくの邪魔をした。

「いまなにしてるの」

「ねえ」

「ねたのか」

「おい」

 大人の方の彼女はそんなことはしなかった。それに二十三のぼくは「本を読んでるんだよ」と返す。

「ねえ」

「本読んでるのを見てる」

「ほんよんでるのをじゃまするろうじん

「まだ三十九でしょ」

「もうねようよ。いやなひはねむるにかぎるよ」

 なんだかこうも平仮名でこられると年下な気さえしてきてインナーファーザーでも出てくるんじゃないかって気持ちになってくる。幼いの方の彼女に釣られるようにちゃんとした方の自分が出てくる。

「そうだね。今日は話聞いてくれてありがとね」

「れいはいいよ。だってわたしいやなことしかいってないもん」

「おやすみ」

「まだ寝てないでしょ」

「うん」

「やっぱりね」

睡眠薬は飲んだよ」

 こうしてまた下らない会話の幕が開ける。瞼を擦り目を開けるものの、夢の中かさえも定かでない中、ぼくはこんなことをタイピングしていた。

「当たり前だけれど人には二面性があって、その中には敵意とか嫉妬とか不快とかマイナスな感情がある時があるんだよね。それが何かの拍子で見える時があって、その度に初めてそれを見た気持ちになるんだ。毎回出会っては忘れちゃうんだね。周りが優しいと。そして、人にはマイナスがあることを思い出したら最後まで付きまとってくるから、死にたくなってしまうんだ。眠っているときだけは忘れているでしょう。だから永眠したい。二人目がいるような君は病気じゃなくてただの二面性だって言うけど、ぼくのは病名がついて解離性障害って言うんだ。難しいかい? 多重人格だと思ってくれていいよ。たまに別のぼくがぼくの体を乗っ取って、ぼくなんかぶっ殺してくれと思うよ。なんでもないよ。難しかっただろ?」

「んー、わたしがのっとったらぷりんたべさしてあげる」

「はは、ありがとう。じゃあ乗っ取られてこようかな」

 ぼくは歩いてドラッグストアまで行って、プリンを買った。プリンなんかより咳止めの方が幸せになれることはわかっていたけれど、プリンを買った。

 プリンを食べながら、糖衣錠を越えた甘さに少し生きても良いかもななんて思ったりした。

 二十三の彼女は放置子だった過去を語り始めて、親みたいな人ばかりを好きになった過去まで話した後、ぼくと一緒に「親なんかポイしよね」と言った。ぼくも恵まれたとは言えない家庭環境だった。虐待されて解離するなんて、不幸の典型例みたいで嫌だなと思った。でもなんとかなるだろうという結論になんとなく二人で達した。ぼくらはなんとなく信じたのだろう。死にそうなときに現れる、プリンを食べる人格を。