保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院しました

 入院しました。入院の際、担当医に「前回スタッフと口論になったため、今回口論になったらもうすぐに退院ということで……。そして入院も五月の九日までしか居れませんので」と完全に精神科からも溢れたキチガイの扱いをされてしまった。もう、どこにも居場所がない。

f:id:freak_tanatra:20190501174557j:image

 口論をした記憶が無い。口論と言えるまでのことをしただろうか。愚痴ってはいたが……。自分と世間のズレがあることがとても悲しい。そこを認識しないとぼくはずっとキチガイのままだ。

 病室は個室で、個室についた瞬間に財布をなくしたことに気づいた。財布をあらかた探したが見つからず、病院に探してもらう。クレジットカード、キャッシュカード、マイナンバーカードを止めて、交番まで行く。死にたい。交番まで行って、遺失届を出した。それから疲れきって寝ていると看護婦長さんが来て、警察が来てるから、とあらかたの説明を受けた。どうやら、受付に財布を置き忘れ、次の会計の順番の人の財布と勘違いして渡してしまったという。次の人も確認が取れ、家までスタッフが赴き、荷物の確認を頼んだものの、拒否していて、どうしようもないという。警察に財布の中身と財布の特徴を再度言うと「これは事件性が低いから、持ってる人が警察に届けるのを待つしかないね」とのこと。もうどうしようもない。なにするにも金もないし、帰る金もないし、引き出すカードもないし、ものを買うカードもない。病院に独りぼっちだ。ほぼ軟禁のようだけれど、帰る日は決まってる。なんかもう死刑台の階段を上ってるみたいだ。五月九日までになんとかならないと、実際問題生きていけない。なんでこんなことが起こるんだろう。ファッキュー。病院よ、頼むからいっその事殺してくれ。

大学を辞めてからの数か月

 大学を辞めた。大学を辞める前も半ば辞めていたようなものだったし、まじめに行っていた日々を思い出そうにも、日々自分の鼻が明かされるような、居心地の悪い無能感ばかりが思い出されては、忸怩たる思いに肩までどっぷり浸かってしまう。大学生活で得たものは、どうしようもないのだという確信と、無駄にした時間の取り返しのつかなさだけであった。

 大学二年の時に手首を深く切って、浴槽に浸かって死のうとしたのだが、うまくいかずに救急車に乗った。それが親に知れて、自殺防止のためか、大学近くのアパートを引き払い、実家から通えと無理やり押し付けられた。親とは折り合いが悪い。往復六時間もかけて大学に通うのがうまくいくはずもなかった。徐々に行かない日が多くなり、行ったとてストレスでズタボロになりながら帰っていた。

 大学を辞めようと切り出したのは親からだったが、親の脳内では「ぼくが辞めたがっていたから辞めさせてあげた」という設定になっていた。そのせいか、親がぼくに辛く当たってくるようになった。まあ、いいけれど。勝手に悪者にされるのは慣れている。

 大学を辞めてから、貯金とも言えないような奨学金の残りで病院に通っていた。生きてもさほど意味はないのに、と思いながら東京の病院の近場までの高速バスを待つ。それが母親に「近場の精神科にしなさい」との一声で、逆らえるはずもなく近場の精神科に行くことになった。近場の精神科医とも折り合いがつかず、また、診察に親が口をはさみ、嘘を吹き込むので診断名は徐々に現実と乖離するようになって、適当なものになっていった。親はいつも、ぼくを医者に連れて行くときに「感謝しなさいよ。あんたなんかを病院に連れて行ってやってるんだから」と言って、それから僕を詰った。

 嫌になって、自分の金で病院に行くようになった。どうせ、診察費などは自分持ちだったから、交通費が増えるだけだと高をくくった。親は、ぼくのお金が無くなれば働いてくれるだろうと楽観的に思っていたし、ぼくは、自分のお金が無くなれば死ねばいいだろうと楽観視していた。近場の精神科に行くために、一時間に一本の電車を乗り継いで、三四十分歩いて病院に向かった。医者とはやはり折り合いが悪かった。

 日々お金が減っていくから、楽器を売った。ぼくが持っていても弾けるとは思えなかった。弾く能力はあった。弾く気力はなかった。部屋から徐々に物が減っていった。本だけはいっぱいあった。これも読めない。あれも……。ということで、興味の持てるもの以外を売ることにした。段ボールに本を詰め込んでいたら、すべての本が段ボール四つに入った。母親に頭を下げて、車をブックオフに出してもらう。車からブックオフに本を運んでいる最中、段ボールの底が抜けて本がばらばらと落ちた。地面に這いつくばって本を集めた。昔、興味あったものがぼくを見つめているような気がした。無言で責められているような気がした。小説家になるためにはみたいな本たち、中学の頃よく読んだライトノベル太宰治カート・ヴォネガット……。集めてブックオフに持っていく。それなりのお金になって、すぐに病院への交通費と医療費に消えた。今ではあまり、過去に対して真剣なまなざしを持って接することができないでいる。過去に対する現実感の喪失。そして誠実ではない現在。やはり、売らないでおくべきだったのだろう。

 鉄道自殺するだけで、天才になれるだろうかとよく考える。神聖かまってちゃんは人生終わりみたいな感じで出てきてるのに二十三歳でサマーソニックに出てる。NHKにようこそ!の佐藤くんは二十二で人生終わりだと言ってる。ひどいもんだよ。何もないのに今年二十四になります。高校生になって、「うちの学校には涼宮ハルヒなんていないし、変な活動をする部活もない」とやっと気づくオタクみたいに、すべては終わってから気付く。そのくせに何かが起こるための何も準備していないんだ。

もうそろそろでおしまい

 実家に帰った。五月の一日に入院が決まったのは、実家に帰るバスに乗りながらだった。日に日に飯を食べる気力すらなく、風呂に入ることさえ出来ずに部屋が散らかっていくのを見ていた。なんだか現実感が喪失していて、これならオーバードーズしていた方がリアルだなと考えてみる。実家に帰ると父親は日に焼けた古本みたいな色をして、笑うでもないのに目を細めていた。

 何も聞かずに五月の一日まで置いてくれと言った。ぼくから父親からどちらからも話しかけず、テレビだけが空回りするみたいに騒いでて、母親が何か言うと、それでようやく母親を介して会話みたいなものが雰囲気の中に漂った。それから、父親から話しかけてきた。それは母親から前もって聞いていた内容だった。父親の原因不明の頭痛は心因性のものらしく、父親は同級生の紹介で精神科に通っているらしい。残念に思うでもなく、ざまあみろと思った。高校生の時、精神科の薬を捨てられたことを思い出していた。

「お前は、何種類の薬を飲んでいるんだ?」

 半分笑いながら言ったのは、父親なりの気の使い方だったのかもしれない。

「三種類。頓服は別に三種類ある」

「そうか。俺は四種類だよ」

 なんとなく、マウントめいたものを感じてしまうのは被害妄想だろうか。何も返すでもなく、父親は父親なりの悲劇の主人公で、ぼくはぼくなりの悲劇の主人公なのだと思うことにした。誰しもが悲劇の中を演じるので精一杯なのかもしれない。これを書いているのは、ぼくという一人称が存在していると声を大にして言いたいからなのかもしれない。ぼくの目から見ると、世界はこんなにも醜悪なのですと、同情を引きたいだけなのかもしれない。

 母親から父親の克明な病状を聞くのは、いくら父親を憎んでいるとはいえ辛いものがあった。同情なのか、因果を思うものか。父親はストレスがかかるものがすべて苦手になってしまい、外に出るとストレスがかかり、歩くのが幼児のようにおぼつかなくなってしまうという。ストレス性は誰のせいだろうかと、自分を責める要因にしてしまう。犯人がわかりきっているから、自分が悪いから、話を聞くのが辛いのだろうかと思う。弟は髭を涎で濡らしながら、何もわからずうめいては動いた。弟は障害者年金で自分の施設代とオムツ代などを払っていると母から聞いた。なんだか、「お前はどうなんだ」と聞かれているようで辛くなる。弟は何もわからずにすべてを一人の世界で終えているのだろうか。父親のストレスの原因になっているのだろうか。ぼくはせめて、少しのことが出来ないより、何もわからない幸せな白痴でありたいと思った。罪悪感も覚えず、自分のマイナスを自分のマイナスで補完していく生活。三人とも、悲劇の主人公を生きながら、悲劇自体が人生を終わらせる要因にならない悲しみを背負っている。

 みんなが浮かれるように「そろそろ平成が終わる」と言う。ぼくらはいつ終わるのだろう。いつ終わって、いつ終わらないのかがわからない。いつ終わるのかが決まっている物事すべてに嫉妬してみたりして、それでも終わるのを待っている。神が自分を見放すのを待っている。エリ・エリ・レマ・サバクタニなんて言える日を待っている。

いつでも消えれる女の子

 朝起きて、食パンを二枚とバナナを一本流し込む。そしたら長い長い無が始まる。これは昨日よりはまだ元気だから書けている文章。昨日は夜、逃げ込むようにスーパーへ駆け込み、ストロングではキツくなってきた体に流し込むアルコールを買った。助けてくれとすがるようにほろよいを飲む姿は悲劇的ですらなく喜劇だが、体はほろよいすら拒否して、冷奴をゲロに変えた。もう、限界が来ているのだと悟った。オーバードーズすれば尿閉塞を起こし、酒を飲めば胃液に変わる。もう無理なのだ。現実逃避も限界なんだと悟った。現実で戦えないから現実逃避の場に来ていたのに、体は否応にもより克明な生を求めるのだ。友人がDXMをオーバードーズして地獄を見た(この酷い感覚は経験した人にしかわからない)。ぼくは一週間で四百くらい錠剤を飲んで、尿が出せなくて騒いだ。体はリアリティを求める。脳は嘘を求めているのに。

 なにもすることがなくなって、そうだと思い付き、『NHKにようこそ!』を見始めた。小学生の頃に友人が勧めてくれて、これをきっかけにぼくは本を読むようになったのだった。そういえば、と、その友達がラインを送ってきてくれていたのを思い出し、「今、『NHKにようこそ!』見てるんだよね」と返した。すると、友達は「ああ、そんなのもあったね」と言う風に返事をくれたので、「ああ、これに固執していたのは俺だけだったか」と思った。幼児退行のように昔のことを思い出しても、そこにはもう誰もいない。何にすがれば良いだろう。助けてほしい。助けてと言えない人々のSOSが死にたいなのだ。キャスをして、人々を繋ぎ止めるためにうめくように言葉を発した。そうして言葉と言葉を口から発していたときに気付いたことがある。運良く、意味ある言葉の連なりになったものを発見した。

 それは人生に逆転はないと言うことだった。キャス中に発見したことだから、言葉が口語に近くなるが、許してほしい。男と女だったら、人生に顔が占める割合は女の方が大きいはずだ。しかし、ぼくは閉鎖病棟でとてもかわいい女性を見たことを思い出す。そして、今までの入院で「ブス」と呼ばれるに値するような人は、ほとんどいなかった。だから、きっと、人生は総合力なのだろう。五角形か六角形のグラフで、顔やコミュ力があって、知能があって、才能があって。そのどれかが突出していれば助かるものではないのだ。きっと、全部満遍なく普通以上なければ普通すら難しいのだろう。もう、それに気付いたときは力のない笑いしか出なかった。いくら少しのプラスを伸ばそうと頑張っても、マイナスをゼロに引き上げる方が何倍も難しい。顔か才能がダメ人間の生き残るすべだと思っていたのに。それすらもないのに。現実逃避すら出来ないのに。

 もう、ぼくの言葉のすべては、「助けて」と言えない故の、それに互換性のある言葉なのだ。もう、助かりさえしないのなら、せめて、いつでも消えれる女の子でありたかった。顔も良かったらいいな。せめて、消えるのなら、綺麗に終わりたかった。ぼくはおめおめと生きている。手首の傷はしくじった数。首の傷は本気でも無理だった数。もう生きているのに死臭がぶら下がっている気がする。なぜかぼくの部屋には酸っぱい臭いがする。胃液の臭いだろうか。ごみを出し忘れているせいだろうか。こんなにおめおめと生きているなら、人生のグラフで自殺の能力だけは高かったらいいのに。ピリオドを打ち忘れたみたいに、ぼくはいつかから止まったままだ。死にたい。さらに言えば、助けを・・・・・・。

短文

 ぼくはこの文章をうまく書ける自信がない。生活さえおぼつかないぼくに何が書けるというのだろう。一週間前の自分の言動と今の自分の言動に一貫性がない。一週間で四百錠も薬を飲んだ意味がわからない。友達を失うような言動をした意味がわからない。昨日の自分が動けた意味がわからない。医師に何を言ったのかがわからない。

 

 なぜこの文章を書き始めたのかもわからない。なにもする気が起きないから短く終わらせるつもりだ。飯さえうまく食べれない。食欲がない。性欲は元からない。なにもする気が起きない。来週からまた入院します。離人感がひどくて何も自分の身に起こったことだと認識できない。ごめんなさい。何も出来ないド鬱なので、頭を振り絞っても何も出てきませんでした。何も出来ない方の鬱なので、自殺の方に振れていないことだけが幸いです。