保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

気うとい一日

 風俗に行こうと思った。さみしかった。ぼくの友人は「きみは皮膚感覚に飢えているのだ」と言う。ぼくもそう思う。しゃべる相手なら大学に行けば河原で石を拾う感覚だ。でも、誰も、ぼくに触れようとしない。

 ぼくに性欲はない。女性ホルモンを打ち、飲んでいると自然と睾丸は収縮し、生殖機能と一緒に性欲は消え失せた。

 それにしても、なぜ風俗なのか。他にも触れあえるグレーなサービスはいろいろある。理由はひとえに、ぼくが風俗嬢を下に見ているからにすぎなかった。金を貰って股を開く女なら、ぼくだって受け入れるはずだと。他の汚い男よりはいくらかましだろうと思った。結局、ぼくは姦淫の女に石を投げつける民衆にすぎないのだ。

それにネタにしたかった。笑い話にでもすることで、気持ち悪い人たちとは違うと思い込みたかった。

 電話をするまでは早かった。思いついてからすぐに電話をした。昼休みに、後輩の前で電話した。後輩は大笑いする。ぼくはそれを見てなぜか安心した。「とりあえず若いやつ」と頼んだ。人間がペットショップみたいに売買されている。でもそれは社会も一緒だろう。二番目に短いコースを頼んだ。五時間目には出たかった。

 

 方向音痴のぼくが指定されたレンタルルームにたどり着くまでには、三回の電話が必要だった。そのたびに電話受付は適当な道案内でぼくを迷わせ、導いた。やっとの事で無料案内所を曲がり、登るにはやや長すぎる階段を抜けた。

借りた部屋はまるで独房だった。トイレとシャワーを除けば、インターネットで見た隔離室にだって見えた。着いた報告の電話をすると、シャワーを浴びろとの指示を受けた。見えない人間から指示を受けてその通りにするなんて、スパイ映画だなと思った。ぼくの小さい陰茎が冷たいシャワーに震える。昨日したリストカットの包帯が水に濡れて慌てる。

 ぼくが電話したのは赤ちゃんプレイの風俗だった。家族についてはここでは語ることはしない。語る価値がないものだったのだ。思えば十五からの人生は皮膚感覚と家族感覚の獲得に努めてきた人生だった。友人を母と慕い、触れあった。ままごとさえありがたかった。二十も近い男のままごとなど、自分の目にさえグロテスクに映る。

 チャイムが鳴った。ぼくは体についた水滴を拭いていたところだったので、慌てて股間を隠し、ドアを開けた。自分の膨らみかけた胸と浮き上がった肋骨が浴室の鏡に反射している。

 女は小奇麗な身なりをしていたが、少しごつかった。女が何か言ったが、聞き取れなかった。少し作ったような声色だけが、残像のように頭に残る。部屋に上がると、ぼくはベッドに体育すわりをした。やがて、自分の体が恥ずかしくなって服を着た。女は包帯に目をやりながらも何も言わなかった。服を着たぼくを、女は笑った。「これから裸になるのに、服を着るの?」「ええ、まあ」と、適当な返事をすると、女に料金を渡した。携帯のクーポンを見せた時、とても恥ずかしかった。ぼくは女を買っている。しかも、割引した女を買っている。割引された女の乳を吸う、女を買った男。地獄だと思った。性欲なんてハナからないが、何もしたくなくなった。ただしゃべりたかった。「あの……」言いかけると女は「シャワー浴びてくるね」と言った。ぼくはベッドにもたれながら、ぼんやりと点いていないテレビを眺めていた。黒い画面に映る自分が欲の権化や穢い存在に変わった。影はぼくを眺めていた。窓から飛び降りてやろうかとさえ思った。窓はなかった。

 女はタオルで胸と女性器を隠しながらぼくの目の前に現れた。「わかってるとは思うけど」禁止事項の説明が始まった。フェラは別料金、下半身に触ってはいけない、何一つとして現実として身近に迫るものはなかった。下半身に触ってはいけないって、本当に風俗なのかと思ったが赤ちゃんプレイの風俗だからだろうと納得した。この一回限りでほかの風俗に行ったことはないので、それが正しい理由なのかはわからない。

 ぼくは女に説明した。女性ホルモンを打っていること、そのため射精はできないこと……。女が興味深くもなく、無関心でもない態度で聞いてくれたのは幸いだった。

 女は器用に胸と女性器を隠しながらパンツを履き、キャミソールの色の希望を訪ねた。ピンクと水色どちらがいいか。「ピンクでお願いします」女はキャミソールも上手に乳首を隠しながら着る。どうせ見るのにな。女はベッドでおろおろしているぼくに世間話を投げかける。

「若いねー。大学生?」

「あっ、そうです」

「なに学んでるの?」

「あっ、文学です」

「いいなー若くて、若いって楽しいでしょ?」

「あっ、そうですね」

 会話のキャッチボールのボールをなに一つ投げ返せず、ボール拾いみたいになっていた。

 女が僕の隣に座る。二人とも少し沈黙した。正直に風俗は初めてだと伝えると女は興味なさそうに「へえ〜」と言った。

 女がぼくの隣に座る。ぼくは許可を得て膝枕をしてもらった。女が話しかけてくる。

「なんで女性ホルモン打ってるの?」

 ぼくが答えに窮していると、女は質問を変えた。「女性ホルモンを打つのをやめれば、男に戻るの?」「ええ、まあ、それなりには」

 おそらく、たいていの人が思うように、男は男として生きるべくだと考えているのだろう。母子とまではいかないまでも、それなりに年の離れた少年に、年の功の生き方を伝授してくれているのだろうと思った。元いた道に戻れとの含みを感じる。説教臭くていやだなと思った。どうせぼくがどのような手段を通してもグロテスクどまりなのは知っている。グロテスクどまりの、二極化のどちらでもないところで安寧を求めているだけなのだ。沈黙が続くと、女はぼくのピアスを弄び始めた。くすぐっかったが、遊びみたいな手の動きが、それはそれでよかった。

 膝枕も飽きて、起き上がると、ぼくは女に促されるまま裸になった。収縮した睾丸に似合わず、陰茎は勃起していた。ぼくはとても恥ずかしい思いにとらわれた。テレビの中の黒い影が「お前もやっぱり男だな」と嗤っている気がした。女もそう笑っているのだろう。胸を揉んだ。意外と硬かったが、当時おっぱいを触ったことのなかったぼくはそういうものなのかと納得した。匂いも嗅いだが、無臭だった。ここに来る前にほかのホテルでシャワーを浴びてきたのかもしれない。他の男に乳房を吸われてきたのかもしれない。抱きついたら、女は「あー、いい匂いがする」とお世辞を言った。「ナンパとかされない?」と聞かれた。誰が好き好んでオカマにナンパをするんだと思って「いや、されないですよ」と言った。女は「二丁目とかでさ」と言った。誉め言葉になっていないと思った。

 しばし抱き合っていると、女はぼくのやや膨らんだ胸をいじりだした。どこに幼児の胸を弄る大人がいるんだと思った。彼女に性的サービスの能動性は求めていなかった。ひどい話だけれど、肌と肉を求めていたのだ。胸を弄られるたびにひくひくと動く陰茎を今すぐ切り落としたかった。ぼくは許されたいだけだった。すべての責任のない幼児になりたかった。乳首をなめるだとか、どうでもよかった。乳首をなめさせられ、女はわざとらしく声を上げた。性行為のこうした、双方が奉仕しあう側面もぼくは嫌いだった。ぼくは元来、人に奉仕することが苦手だ。

 ぼくらは横になった。横になると女の首の皺が見える。人間はこうして死に忍び寄られているのかと思いながらも、陰茎は勃起していた。女は陰茎に手を伸ばした。「触っても、何も出ないですよ」女は話も聞かず、手を上下し始めた。感じるふりをするのは男女で変わらないんだなと思った。女は固いやら大きいやら、うそを言った。いらない嘘だ。ぼくは男でありたくないのに、なんでそんなことを言うんだろう。死んでほしい象徴が、いまだ健在であることを女の言葉と手で、ぼくは嫌が応にも知らされた。

 時間が経ち、ぼくはあっけなく達した。気が付いたら射精していた。白くはなく、透明な精子だったが、それがぼくの精子でないとは否定できない、明らかにぼくの精子だった。数年ぶりの精子は、女にかかることはなく、いたずらにぼくとベッドを汚している。女は気づくことなく手を動かし続けていた。「出ました」とぼくが言う。女はキツネにつままれたような顔をした。そして、精子たちをティッシュで拭き取ると、「すごい! やっぱり君は男の子だね!」と言った。ぼくは釈明みたいに、「本当に、ホルモンを打ってから出たのは初めてなんです……本当なんです……」と言い続けた。女は笑う。ぼくがぼんやりとくしゃくしゃになったティッシュを眺めていると、女は「じゃあ」と言ってシャワーを浴びた。

 シャワーから出た女に何回か抱きついたら「シャワーを浴びたほうが良いんじゃない?」と言われた。やることはやったのだから、終わりということなのだろう。ぼくは一人で狭いシャワールームに入って、リストカットの包帯を濡らさないようにシャワーを浴びた。まだ萎えきっていない陰茎がしつこく主張していた。髪を洗いたかった。でもここにはドライヤーがなかった。女にドライヤーで髪を乾かしてもらいたかったのに。シャワールームから出ると女からバスタオルを渡された。体を拭いてほしいなと思ったけれど、言葉にできなかった。ぼくは女の着替えをぼんやりと見ながら立ち尽くしていた。ぼくは自分の主張の出来なさが身にしみた。何も言わなくてもわかってくれる母を求めていたけれど、それはそろそろ二十歳の人間にはもたらされないものなのだろう。そして、二十年間でみんなは主張する能力を身につけるものなのだろうということを学んだ。口ごもりつつ、「服を着させてくれ」と女に伝えると、女はにこやかに応じてくれた。僕はそれだけをしたくて金を払ったのかもしれないとさえ思った。服を着た僕らは部屋を出ることにした。僕は帽子を被る前に、「頭をなでてください」と言った。少しは図々しくなれた。

 ホテルの入り口で女と別れると、ぼくは気恥ずかしくなった。性的な行為すべては男から女への侵略であり、男は加害者であり、女は被害者であるという考えがぶり返してきた。ぼくは女を買ってしまったことを後悔した。コンビニに入ってワンカップ大関の大きいやつを買った。飲めもしないのに、コンビニの前で一気飲みをする。喉が焼けるように熱い。耐えきれなくなって、吹き出すように酒をこぼした。二割ほど残っている瓶をコンビニに戻って捨てると、大学への電車に乗った。腹の中で安定剤が酒浸しになっているのを想像した。

 大学に行くと中庭にさっきの後輩がいた。「どうでした? 風俗」ぼくは笑い話にしようとしたことを後悔した。「なんでもないのさ、エログロはすべて安易な過激!」

 ぼくは語れば語るほど、自分が見せかけのリアリティを覚えたばかりの猿に見えて、嫌になった。保健室へ行ってぶっ倒れるようにして寝た。