保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

悲しみを分別しました「失在」と伝える人がいなくて悲しい

 もう、一か月かそこら、失在している。失在と言うのはぼくの作った言葉で亡いように生きると言うような意味、意味で合っているだろうか。雰囲気だ。隠居が近いかもしれない。でも、隠居には何か残されている感じがある。隠居自体に楽しみが隠されている気がする。失在にはそれはない。いなくなってしまったのだから、何もないのだ。最近、ぼくは近いうちに死ぬような予感がする時がある。だから、失在が不在になったときのことを考える。変わりがないのだ。失在とはそういうことを言う。風が吹きました。でも吹かれるものがありませんと言った空虚、悲しみ。

 人と絡もうという気概も、もうない。実存は常に他者の視線によって成されるので、人と絡めば失在ではなくなる。でも、それはきっとつまらない。ふたりぼっちがいいなと思った。他者なんか全員死んでしまえ。ぼくがぼくよりぼくと呼ぶべきガールと出会ったので、他者なんて居なくていいわけです。好きな人は他者ではなく、ぼくなので。一つなので。自分でない人間を同一視するなんて、危険な思想だとはわかっているけれど、そうでもしないと生きられない。自分が二人で、もしくは春琴抄みたいにめくらふたりで、実存しないで生きていくのだ。幽霊になって、それでも生きていくのだ。頼むから今が無限に続きますように! 愛さなくなるまでは生きている。