保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

さみしいよね子

 ずっとさみしい。思うのだけれど、さみしいとは自然の中になくて、自然に湧き出るものではないか。人間以外の動物は、敵か味方は置いといて、同種が側にいる。見えるところにいる。人間は壁を作り屋根を作り、狭い部屋で一人になる。しかし、それ故にさみしくなる。動物だって群れからはぐれたら、焦るのかもしれない。一人とは、獲物になることで、自然ではないということなのかもしれない。動物的な感性が、一人は危ないと告げ、一人だと女にモテないと告げ、一人だと種の存続に関わると告げる。自然に学ぶことはたくさんあるし、自然から切り離された存在として人間を考えることはあまりしたくないのだが、物を考えられる以上はある程度の理性である程度の野生を抑えたい。怯えるから人に会うなんて、いい結果を残してこなかった。やはり理性の方が正しい。

 さみしいというのは本能が自動的に出す周波で、感情ではないのかもしれない。おなかが減ったと感じ取る程度の能力なのかもしれない。そうならば、さみしさを感じ取らないようにする能力より、さみしさに耐える能力が必要だ。何をしようにも意味がなく時間が無為に過ぎていく。ただただ責務のように乗っかっていくさみしさを消費もできず、ただただつらい毎日だ。幻覚を見たい。