保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

明日天気になぁれと蹴ったビーサンは体育倉庫の屋根裏に

 そのホテルに入ったのは三度目だった。風俗を利用したのは二度目だった。一度目は二十の時で、デリヘルを呼んだ。二度目は二十一の時で前の彼女とだった。十三上の既婚者で、今は四つになる男の子がいる。僕は二十二になった。大学を辞めて、無職になって、女に金をもらったりして生きている。生きているらしい。伝聞の話のような、おぼつかない生活が僕の目にかすみつつ横たわる。九月下旬からは、精神病院の閉鎖病棟に入っている。今回は、初めての外泊だった。前の彼女はなにをしているのだろうか。僕よりはまともなんだろう。夫と仲良くしているのだろう。なくなった金を思い、僕のことは忘れているのかもしれない。

 朝、僕はひたすらに落ち込んでいた。どうせ忘れる楽しいのために飲んだ酒の副作用、二日酔いで頭が鉛のように重く、慣れない人の家のソファでの睡眠は浅かった。吐いたらゲロにまみれた安定剤がトイレの中に浮かぶのだろうか。そんな暗澹たる気分の中で、死と孤独のモチーフが繰り返され、スマートフォンに照らされた目は並んだラインのアイコンを見ていた。出会い系サイトで知り合った女ばかりだった。テキトーな甘い言葉や餌のような弱さの吐露の中で、人を安心させ、僕は人に媚びる徒労の中で人に好かれている幻想を享受していた。なんのためになるんだ。人を消費していく堂々巡りの中で、自分がうす汚れて思えた。死んでしまおう。そう思った。満足することのない心が、横に転がった友人二人さえ見えなくさせた。人に愛されたい。裸を見せ合ったり、抱き合ったりしたい。それにちょうどいい女はいなかった。一日で帰れる場所に平日の昼間から暇な女はいない。長い夜明けに見せかけるカーテンが午前八時を暗く彩っていた。ふと、風俗に行こうと思った。すぐに財布の中身を確認すると、友人が起きた。

「なにしてんの?」

「財布の中身確認してる」

「あー、今日どうする?」

「風俗に行ってくる」

 友人は虚を突かれたような顔をした。僕は続ける。

「今日、おっぱいを揉まなきゃだめなんだ。きっと、今日以外はない。明日はないかもしれない」

 理解のある友人は笑って、僕らはファミレスで朝飯を食べた。ファミレスでは風俗を決め、時間を決め、女を決めた。前に行った赤ちゃんプレイの風俗に決めた。女は母乳の出る女にした。

 電話をかけた。男が出て、話すと母乳の出る女は予約が入っていた。四時までに病棟に帰らなければならない僕は一から二時にプレイを始めていたいので、残った二人の女のうち、若くない方を選んだ。若い女の前で、自分の痴態を晒すのに抵抗があったのかもしれない。僕の一つ上の女はきっと僕を軽蔑するだろうとおもった。場慣れしている女ならきっとなにも思わないだろうと思った。四十の女の写真が載っていた。おそらく加工した後にモザイクをかけた顔が、おそらく笑いかけていた。胸が揺れる動画を見た。オールヌードのオプションをつけた。手慣れた調子でホテルに行くと、コンセントでスマートフォンを充電させて、女を待った。

 女は四十と言ったが、四十八くらいに見えた。身長は百五十くらい。洋梨の体系を黒い服でほんの少し細く見せていた。女に落胆もなにも感情を持たなかった。この女は五分後には裸になっている。そう思ったけれど、それはただの事実の確認だった。前は感情の高ぶりがあった。今回は、ただの空洞に愛の形をした肉感を投げ込んで欲しいだけだった。僕には女を一人の人間として認識する余裕はなかった。女の黒いストッキングを見ると僕のペニスは立ち上がった。閉鎖病棟ではホルモン投与は受けられない。僕は自分のペニスに対する嫌悪さえ忘れた。もがき続けて、何もかもなくなって、原始に戻っていた。人がいて、触れられることがたまらなく嬉しかった。

 女は部屋を薄暗くし、ベッドに座った僕の前に座ると、僕の服を脱がし始めた。子供のように服を脱がしてもらうと、脳裏に子供の頃の記憶が再生された。親が僕の服を脱がす映像。たぶん嘘の記憶。自分を納得させるためのでっち上げの記憶。親と仲良い日はなかったように思う。今更どうにかしようなんていう、気持ちもなかった。ただ、それぞれが合わなかったんだと思う。でも、女に「なんて風に私のことを呼ぶの?」と聞かれた時に「ママ」と答えてしまう自分が少し、恥ずかしかった。ママとなった女は僕のペニスを触ると僕を押し倒して、僕はやや小太りの女の肉を上に感じた。女の胸を触った。顔を埋めた。勃起したペニスが腹に当たった。僕は今、人と触れ合っている。名前も歳も、何も知らない。でも裸を知っている。他の名前のある、裸を知らない人よりも、なぜか落ち着いた。太宰治は風俗に行くと、「僕は親にしか乳房がないものかと思っていた」と言っていたという。でも、太宰治は母親の乳房を知らなかった。

 女と風呂に入った。女が手で体をなでるようにして洗った。親に身体を洗ってもらった記憶はなかった。少し考えて、作り上げた。ずっと、これを追い求めていたのかもしれない。当たり前の性サービスが、親の愛に思える。女の手が首と左手に当たるとぎこちなくなった。首にはネックカット、左手にはリストカットの痕がある。赤黒い、僕のマグマの跡地。風呂から上がると、身体を拭いてくれた。ベッドに転がると、勃起したペニスが少し萎える。失礼にあたるかと思い、ペニスに力を入れる。女が僕に覆いかぶさる。女は乳首を舐めたり吸ったりし始めた。ホルモン治療で膨らんだ乳房は面影だけを残し、乳首が立ったように膨らんでいる。女が乳首に歯を立てると、嬉しくなった。前に、身体を売った女に身体中を噛まれて痣だらけになったのを思い出した。「もっと強く」と言うと力が強くなった。

 女は身体中を噛むと、「ママだけのものよ」と言った。演技を見て、僕は喜んだ。きっと僕は人の物になりたいのだ。人に執着されたいのだ。親の物のように扱われていたからだろうか、それとも僕を僕として見られて執着されたいのだろうか。おでこにキスをされ、「もっと」とせがむと僕の身体中にキスをしてくれた。他の風俗と赤ちゃんプレイの風俗の違いは、前者では女が演技をするのに対し、後者は双方が演技をするところではないか、と思った。僕は演技と子供帰りと素の中で、何も言葉が出なかった。うめき声と喘ぎ声と泣き声をあげながら、裸で女とベッドにいる。あばらの浮き出た自分の体を隠すように、女の裸がある。何も分からなかった。人がそこにいる。それだけで安心をした。まるで赤ん坊のようだと思った。僕は満足だった。

 女がアナルをいじり始める。「アナルがひくひくしてるよ?」と女が言った。女がローションを手に取り、指とアナルに塗った。暖かかった。指はするするとアナルに入り、前立腺をくりくりと刺激した。アナルが慣れてくると、女は指を抜き、アナルビーズにコンドームをかけた。アナルビーズを入れられながら、僕は最初に付き合った人のことを思い出していた。男の人。僕の初体験は、入れられる側だった。

 そこで、ふと気づく。

 この女は、僕の経験と欲望のキメラなのだ。

 僕は愛された経験から、満たされなかった親の愛を作り上げようとしている。親は乳首を舐めない。前に来た時は分かっていたのに。獲得した愛が、僕の目を曇らせた。性愛、恋愛、それらを組み合わせたものでないと信じられない。親に愛されると言うことがつかめない。親に乳首やペニスを触られるという形の劇を演じることでしか、わからない。歪な形でのままごと。

「いいって言うまで射精しちゃだめ」と言われたが、乳首とペニスとアナルを同時に刺激され、あっけなく射精した。女は僕の腹の上の精子ティッシュで拭き取ると、僕の横に寝転がった。僕は女に抱きつくと、女は僕の頭をなでた。

「ここに来れば、いつでも頭をなでてあげるから」

 女は言った。僕は抱かれながら、女の体重で、腕が痺れるのを感じていた。薄暗い部屋の照明が、女の顔にシワを刻んでいた。性欲の曇りで見えなくなっていたシワ。冷静になると、女はもっと歳をとって見えた。腕の位置を変え、女にまた抱いてもらい、頭をなでてもらった。

「それまでは、次までは、がんばって」

 女は、僕の首の傷をなぞって言った。僕が返事を曖昧に返すと、部屋はより一層暗くなった気がした。でも、多分またこのホテルに来て、女を呼ぶだろう。その時には死にたいのだろうか。もしかしたら呼んだ後、死ぬのかもしれない。でも、呼ぶまでは死なない。おそらくは、というより、そうだろうなという確証のない自信。

 また風呂に入って、服を着た。少し、頭がはっきりして、言葉が出てきた。二十二歳に戻ってくる。女は世間話を始めた。店の話、客の話、地元の話、朝ごはんの話……。荷物をまとめて部屋を出ると、ホテルのエレベーターの細い窓から、光が射していた。

「こうしてさ、外を見て、晴れていると落ち込むのよね」

 と女が言った。たぶん、本当だろうな。何を言っていいかもわからなくなって、僕は

「でも雨も嫌じゃないすか」

 と言って笑った。女の本当を笑い飛ばした自分が嫌になった。女は

「雨もちょっとね……。曇りの日だけは『嫌いじゃない』の。好きでもなくて、『嫌いじゃない』よ」

 と言った。二人は笑う。でもこの言葉は本当かどうかわからなかった。エレベーターから降り、ホテルの外に出ると、太陽はやはり強く、僕らの影は短く伸び、日射しに目を細めた。手を振って別れると、僕は駆け足で坂を下った。もし、最後の言葉が本当なら、曇ってくれと思った。

 そして、きっと女が風俗をやめたなら、晴れていても何も思わなくなるだろうと直感した。昼間から、ホテルをハシゴしては部屋を暗くして、終わると晴れている。擬似的な夜を断罪する日射しのことを考えた。でも、曇っていてほしい。僕が死ぬまで、僕がもう一度行くまでは、曇っていてくれ。