保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

オカマバーに行った

 オカマバーに行こうと思った。友達に会いたかった。バーに行けばいる友達といった種類ではない。友達がオカマバーで働いていた。彼の性自認は男だが、女装をしている。友達は昼職もしていて、バーで働くのは午後十一時半からだった。ぼくはまっすぐバーに行けばいいところを、近場のカラオケで三時間時間を潰して友達が来るのを待った。一人でオカマバーに行くのが怖かった。ぼくは人見知りだし、下ネタも苦手だし、おっさんも苦手だった。ノリがすべて無理だった。でも、友達に会いたかった。友達を遊びに誘う言葉が思い浮かばない。遊ぼうが言えない。その場所にその時間に行けば会えるというのが嬉しかった。飲み屋で働く友達に飲もうとは言えなかった。飲むのが仕事なんだから、彼にお金を払えないのに飲もうとは言えない。彼にお金を払って話をするのは悲しい。なあ、前までは金もなく原宿を散歩したりしたよな。感傷的すぎる文体で書きなぐってしまいたい。

 彼は来ると、店の路地の前で店の服に着替えた。ぼくはそれを黙って見ていた。彼は「なんでちょっと距離置いてるんだよ」と笑う。「おれ、もうやめようと思ってるんだよね。昼職にも影響出てるし。どっちも中途半端になるって迷惑かかるから」「そうなんだ」それからぼくらは、前はさ……と昔の話をした。ぼくが女装をして暮らしていた頃、親元に帰って男装をしていた頃、今の話……。仲良い間柄だけのなぞるようないつものやり取りを確認するように話して、二人で店に入った。

 いつものオカマと店主の爺さんがいた。客には知らないおっさんが二、三人いた。ぼくはカウンターに座って、だまってカラオケの画面を映したテレビを見ていた。よくわからないお酒を頼んだら不味かったけど大人のふりをしてごくごくと飲んだ。彼と最近の話をした。他愛もない話。好きなバンドの新譜の話やフランツ・カフカの話、最近はどう?……。彼がおっさんを相手しているときはスマホをいじった。いつものオカマが目の前に来ると、適当な話をした。他愛もない、話していないのも角が立つから程度の話。常連の女が一人来た。甘えた声を出した、嫌いなタイプだと思った。端に座ったぼくはスマホをいじっていて、常連たちの、下品なだけの応酬が耳に入る。彼らには彼らのなぞるものがあるんだろう。ぼくは彼とオカマに交代交代に相手にされながら、酔いがまわってきてふわふわした。精神薬は飲んでないはずなのにな。汚い話があって、カラオケがあって、それらの話はぼくを通り抜いた。ありがたい。午前一時半を過ぎていた。

 若い女性三人と若い男性のグループが来た。幸いにも一人の女の人がぼくを気に入ってくれ、ぼくの横に座った。いろいろな話をすることができた。ぼくの難解なセクシュアリティや生い立ち、境遇。MtXで女性好き、性嫌悪。親にあまり好かれていなかったこと、躁うつ病、さみしいこと、彼女と別れたこと。女の人はぼくに好奇心でいろいろなことを聞いた。ありがたかった。人にいろんなことを喋りたかったし、ぼくのことを知らない人には心を開きにくかった。多くの人に理解されないことはわかっていたから、仲良くなってから理解されないより自分をさらけ出してしまってそれでも付き合ってくれる人と友人になりたい。お酒に絡まったぼくらの脳みそは同じ話を何回もした。ぼくは何回もさみしいと言って、女性は何回も若いんだから大丈夫だと言った。ぼくは理解してもらえて嬉しくなった。女の人のボディタッチが、ぼくを汚くないものとして扱ってくれているようで嬉しかった。ぼくは人を触ることができない。人はきっとぼくに触られたら嫌だろうから。ずっと喋っていた。何回も会話をなぞった。耳を近づけて声を聞いた。汚い言葉でかき消されないように。カラオケ、歌わないの? と言われた。ぼくは音痴を理由に首を横に振った。女性が「音楽何聴くの?」と言った。iPhoneに入っている音楽を見せると困った顔をして笑った。ぼくの聴く音楽はあまり知られているとは言えないものだったから。でも、その中にある「銀杏BOYZ」の文字を見つけて、「えー! 銀杏知ってるの?!」と声をあげてくれた。昔好きだったバンドといった風だった。カラオケで歌わされそうになり友達に助けを求めると、「じゃあデュエットで」ということになった。恥ずかしいながらも、一曲を歌った。ほとんど聴いていない。下か、横を向いた人たち。ぼくの横の女性は「BABY BABY」と時折合いの手を入れてくれる。歌い終わるとこっそりハイタッチをした。おっさんたちがまた歌い、ぼくらの声は耳元で発せられるものになる。女の人が触るぼくの髪や、頰や、背中に勇気付けられた。女の人の声を聞くフリをして口臭を嗅いだ。ぼくはこうやって、人と関わっていけば生き延びれるのかなあって思った。人間に存在を証明して欲しい。好意を寄せ合って、自己肯定感を高めていくのかな。女の人の笑顔はなにも翳りがなかった。自信がないことがわからないと言ったふうだ。久しぶりに健康な人と喋った。こうやって人間は育つのかと思うとまるでぼくは人間じゃないみたいだ。

「そろそろ帰ろう」

 女の人の連れが言った。ぼくは悲しくなってしまう。ぼくは真っ暗な部屋みたいなものだから、一人でも灯りが居ないとぼくは真っ暗になってしまうんだよ。ぼくの世界はぼくだけのぼくの偏見に支配されるものになってしまうんだよ。女の人が、「ねえ、私突っ込んだことでも聞いちゃうんだけど」「なに?」「首の傷、どうしたの?」「あー、死のうと思って」ぼくはその場が重くならないように笑って言った。女の人は「なんで?」と言った。ぼくが要領の得ない回答をすると、ぼくらは捉えどころのない話をくるくる捏ねまわした。女の人が思いっきりぼくの背中を叩いて、「そう言うこともうしないの! いい?」と言った。ぼくはお酒で濁った目でへらへらと笑った。本当に、もう自傷したくないと思った。でも、その約束が重くならないように笑った。そうしたら女の人が小指を出して、ゆびきりげんまんをした。ぼくは本当に勇気が出て、「本当に、さみしいなあ」と言った。女の人は「もう」と笑って、「ライン交換しよ」と言った。ラインを交換すると、女の人は連れと一緒にドアを開けて、閉まったドアの内側にはもう女の人はいなくなった。

 ぼくと友人と常連の女とおっさんといつものおかまと店主の爺さんしかいなかった。店主の爺さんはぼくを呼び、身の上を話すように言った。ぼくが親にクリスマスプレゼントとしてゴミをもらったこと、親に宗教に入れられたことを話すと「大変だったのねえ」と言った。「愛情の受け取り方がわからないのね」「自分で何かをすることができないのね」そして最後に「でも、あなたは溺愛されて育ってると思うわ」と言った。えへへ、そうですかねえ。ぼくは頭をかきながら言うと、対人モードを接待に設定しなおして、適当な話で取り繕った。「あんたは、女が好きなの?」爺さんが聞く。「そうですね……へへ」「やっぱり、男に生まれたからには本能がね〜!」声が大きくなって下卑た笑いが耳をつんざく。うるせえ、じじい。お前らは、てめえらは、そうやって老害やってろよ。世間一般と同じステレオタイプをなすりつける、自称アウトローやってろよ。「ああ、ははは……」

 ぼくが黙っていると、自称人生の玄人たちがぼくにものを教えてやろうと近寄ってきた。ぼくは興味ありそうな顔をして、適当に笑った。おっさんがぼくにずっと話しかけていた。身振り手振りのたびに指に挟んだたばこがぼくの近くをふらふらしていた。ゴルフの話。ゴルフは初期費用五万で済むし、一回行っても二万円くらい、ディズニーランドに比べたら安いだろ。レッスンプロに習うのが一番いいな。三十分で五千円くらいだ。安いもんだろ? そして、キャバクラで女の胸を揉んだ話、キスもした話、各地で若い女を抱いている話。汚い話。「なんか歌ってみてよ。君の表現を聴かせてよ」じじいが言った。喋らなくて済むからと銀杏BOYZのぽあだむを入れて歌った。視界の隅でじじいとおっさんがぼくを指差している。なんか言ってる。声を張り上げる。頑張って聞こえないようにしたけど、声が聞こえた。「おれみたいな遊んでるやつについてまわったら、あの子、二年後が楽しみだな」うるせえ。お前たちと一緒にするなよ。ぼくは「恋と退屈とロックンロール」と叫び上げると、友達だけが戸惑ったような顔でぼくを見ていた。「こいつが歌うところ、四年一緒にいるけど初めて見ましたよ」

 おっさんが執拗にキャバクラに誘ってきた。下卑た声で「なあ、初体験! 行ったことねえだろ!」と言った。おかまが友人の肩を叩いて「こいつのおごりでな!」友人の顔は憔悴しきっていた。「すいません十時から仕事があるんで」「大丈夫だよ私なんか寝ないで遊んでたもの」ぼくも行きたくないなと思った。おっさんがキャバクラをおれの話術で安くすると息巻いている。一人五千円で済ましてやるよ。なんで、ぼくは行きたくもないキャバクラで五千円も払わなきゃいけないんだろう。つまらないな。ぼくのさみしいは、そういう表面上のものじゃないんだ。金払っておだててもらって笑うような、そんなものを幸せと思っていないんだ。ぼくと友人は心の深い結びつきを必要とする、夢を追うような馬鹿な若者たちなんだ。そんな穢らわしい大人の世界に行きたくないんだよ。おっさんは意気揚々とウンチクを語り始めた。キャバクラの語源って知ってる? キャバレー式のクラブの略なんだよ、昔はね、テレビでおっぱいがぼろんっていうのはよくある話で……。あはは、いいなあ……。友達は奥でおかまに叱られていた。友達は俯いて、謝罪を繰り返して、時折頭が下がった。あのさあ、この世界……だから中途半端なんだよお前は……。そんな言葉が聞こえた。ぼくは「すいません、本当にぼくお酒が弱くて……寝ちゃいけないと思ってレッドブル飲んだらカフェインにも弱くて、体が震えてゲロ吐きそうで」と言った。おっさんはつまらなそうに「いいよ。行きたくねえ奴と行ったってつまらねえからな」ぼくはいそいそと帰る準備をした。友達も荷物をまとめた。会計は一万二千円だった。帰り際、「そうやってかえすんだな。お前は」おかまが友達に向かって凄んだ。ドアを閉めるのが早いか、おっさんが「おれがキレると怖いのはおめえが一番知ってるだろ?」おかまが「はい。あれはほんとに怖いっすねえ」

 二人がつまらない体育会系の男に見えた。ぼくは、こうなりたくないなと思った。社会に適合できないお山の大将のおかま。つまらないな。オカマバーに若いおかまがいないのは、若いおかまたちは社会に適合できているからだとわかった。二十そこそこで手術したり、容姿や声を女に変えて、おかまとしてではなく女として生きているんだ。そうあるべきだな。そうしなければならないな。八百万だかそこらで、整形して、胸を入れて、その結果場末のオカマバーで、「胸触ってみる?」とか言ってるなら、本当に悲惨だ。ずっと、見世物小屋をやっていろ。

 ドアを閉めると友達が「なんだよあの女……」と言った。「もう二度と行かねえ」友達は着替えて、煙草を吸うと何も言わなくなった。ぼくが延々と愚痴ると、友達は「おれが行ったら、たなかが行くことになるだろ?」と言った。ぼくは彼の優しさに気づいて、またそれに今まで気づかなかったぼくを恥じて「ごめんね……」と言う。「いいよ。やめようと思ってたし」電車に乗ると朝焼けが街に射していた。乗り換えの駅に着くと、二人して降りて、「じゃあね」「また遊ぼうな」「また、散歩しようね。店なんかじゃなく」「おう」今度は気兼ねなく、彼は仕事じゃなく、飲めるのだろう。飲むなんてしなくていいな。会えるのだろう。会うのだろう。また、遊ぶのだろう。