保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

新年あけましておめでとうございます

 眠れないのでブログを書きます。二〇一八年になりましたね。めでたくもないし眠たくもないです。二〇一七年はいいこと特になかったです。退学したし彼女とは別れるし何回も自殺未遂するし閉鎖病棟に入れられるし。まあいいです。良いことなんて忘れるものかもしれませんね。晴れの日が印象に残らないように、辛い酸性雨だけが物の形を変え、人間を形作るのかもしれません。でも歪に姿を変えて歴史を体に刻まなくても、何も思い出せなくとも健やかな暮らしをしていたい。

 

 よく読んでいるブログを見ていたら、なんだか論を打って「この記事が最終回です」と言っていた。その人とはなんの関わりもないのにムカついてしまった。TOMOVSKYのイショライターって曲がある。格好つけて遺書書いて死ぬ奴を揶揄する歌だ。そんな気持ちになった。一抜けピじゃないでしょう。一抜けた奴が、格好つけないでほしい。全てをやりきったみたいなこと言ってるんじゃない。ぼくは逃げられた気がしている。同じぬるま湯に浸かっていた、同じモラトリアムを過ごしていた人が大人になった気がしている。ぼくは子供だった、と同時に大人でもあった。大きな自意識が小さな器の中で纏足のように歪に骨を曲げていた。

 ぼくは二十二歳で、四月に同級生はほとんど就職する。軽音楽部の友達も、ギターを売り、バンドアカウントは停止状態。先輩は何をしてるのか知らない。時たま会社の愚痴を言う、時たま昼飯の写真を載せる。ブロックしてしまったので今のことは知らない。大人にならないでくれと思う。ギターを弾かないお前と、ぼくは何を話したら良いのだろう。社会人のお前とぼくは何を話したら良いのだろうか。話が合わなくなっていく。夢を嘲笑されるのが怖い。友人がもう過ぎ去ったところにいるぼくは留年生を見るような目で見られるのだろうか。夢を見て「昔やってたな〜」と格好つけられるのだろうか。一抜けた人間が、かくれんぼの鬼のまま数十年経った子供を哀れんで見ている。

 ぼくはもうぼくが若くないことを感じている。こう書くと、二十二歳の若年寄ごっこかと思われるかもしれない。でも、三十くらいまでは自分が一番若い年寄りだと思い込んでいるものだ。人生で一番美しかった時は二〇の時だった。アデンアラビアじゃないけれど、ぼくはそう言われても仕方がない。社会は一貫した人間を好むから、ほとんどの人々は二十二歳から六〇まではほとんど変わりがないのだろう。老いるということは今までの自分を絶え間なく否定し続けることではないか。今の自分を否定し、未来を夢見ることではないか。自分を否定し続けることを辞めた人間から退行を始め、究極は死に至る。にも関わらず、社会の四〇年の一貫は過去の否定をすることを許さない。もしかしたら簡単に否定できるのかもしれない。けれど、社会に出てからの否定とは決別と結びついている。地位や名誉や金や人間関係を諦めなければならないのかもしれない。ぼくには社会経験がほとんどないから、憶測かもしれない。大きな影を見て怯えても、実態を見ればなんてことはないのかもしれない。獣の吠える声も、実は木々の風に吹かれる音なのかもしれない。何かしなければならない。でも、ぼくは二十二歳だ。何かをしたら、四〇年間、ずっと同じ人間で居続けることになるかもしれない。そういう歳だ。その点でぼくは年老いたように感じている。しかしまだ同じ人間として生きていく見込みが立っていない分若いのかもしれないな。ぼくはこのカスみたいな、何者でもない生活が、気に入ってしまっている