保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

ぼくはもう致命傷を与えることはできない

 また、人と仲良くなれなかった。また、人と終わってしまった。ぼくは訛りを指摘されたあとみたいに自然だった物事から違和感を探しだす。終わってしまった物事はいつでも暖かく思える。今の状態はいつでも喉を焼くように思える。何が間違っていたかを探しても、最初から間違っていたのかもしれない。一度も我々は気が合わなかったのかもしれない。それぞれがどうにかしようとしていても、それぞれの本質からどうにかならない運命だったのかもしれない。固執するのはぼくだけであの人はしこりのように居続けるぼくが腹を立てないように合わせていただけかもしれない。

 人と話すのが、下手になっていた。友人と会ったけれどもうまく喋れなかった。友人が「会うのは一年半ぶりか」と聞いた。ぼくは曖昧に頷くと、下を向いた。半年ぶりだった。友人は痩せていた。ぼくは髪を染めた。友人は対面で煙草を吸うと、初めて会ったときはぼくの側では煙草を吸わないようにしていた。もうつまらなかった。不貞腐れるように下を向いてフライドポテトを睨んだ。隠れるように抗不安薬を飲んでいる友人がぼくを責めている気がした。ぼくのせいで、この人は不安になっている?

 もう、どうしようもないな。諦めて心機一転なんてするのは諦め慣れてない人間のすることだ。ぼくは諦め慣れている。諦めに理由がつかなくなってきた。何も楽しくない。日々の消費だ。自分からそろそろ帰りますかと言った。帰るとき、その人と違う電車で安心した。その人は前に「東京ではじめて友人ができた」と喜んでいた。おめでとう。ぼくと会った二年半前、君は東京にいたのにね。