保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

もういいやってなる

 たまに、いや、しょっちゅう、寝れない時なんかによくある。もう死んでいいかなって思う。結局は死なないのだけれど、死ねるボタンがあったら押している。なぜかを考えてみた。

 

  1. 人に構ってもらう(思ってもらう)やり方を知らない
  2. 未来に対する想像力が足りない
  3. マンネリ化する現在に耐えきれない

 

 このくらいだろうか。順に説明する。隙あらば自分語りもしていく。

 まず①は、私が人に話しかける勇気が足りないということだ。人に話しかけて、うざがられたらどうしようと思う。既読無視とかされると一番心に来る。やめてほしい。あと、話しかけることができても、そこで安心してしまって何も言葉が出ないやつといつもの会話してると指がだるくなってくるやつ、やめてほしい。私の家庭は手がかからない子が一番いいというような価値観だったため、話しかけるととても嫌な顔をされた。障害児の弟に手を焼いていたというのもあるだろう。小さいころは一人遊びの達人だったのに、なぜか大きくなると寂しさを覚える。そのくせに話しかける能力は発達していない。友人に話しかけても、正直友人と何話していいのかわからないし、人と話したい時って大体「死にたい」みたいなメンタルなので、人を困らせたくない。家庭で道化を演じてきていたので、対人関係が道化を演じるの一択しかなく、本音が言いづらい。それをこじらせて、もう死んでしまおうとなる。これはもう精神衛生悪い人間しか理解できないと思うけれど、孤独は十分死ぬ理由になる。それに死ぬことを美化しすぎているために、

私「もう死ぬね」(死ぬ)

友人「○○(私の本名)〜!……私がちゃんとしていれば……!」

みたいな展開を欲しがる。人の心の中で思われ続けたい。夏目漱石のこころとか読ませるからそうなるんだ日本人は(ソースは私のみですけど)。もっと、死んだ人間のこと忘れてましたわという現実を書いておけ。そうしないといじめを苦に遺書書いて、命を生贄に捧げ、いじめっ子を破壊みたいないじめられっ子が後を絶たないと思う。いじめならともかく、私の場合は完全に八つ当たりである。

 ②は、芥川龍之介風に言う、ぼんやりとした不安である。過去はもう体験していることだし、もう獲得できない獲得していたもののことだから、鮮明だし美化しやすい。けれども、未来は何があるかわからないから、美化はできない。人間はわからないものを怖がるってジョジョの敵が言ってたし、私もそう思う。別に辛くなくても、「今がピークなのでは?」「去年がピークなのでは?」とか思い始めると、前向きに「よし! 死のう!」ってなる。やめたい。リスクカットみたいな感じでカットされるリストやネックやレッグの身にもなってほしい。人と話してても、「この人との最盛期は終わったな」って思うともう話せなくなる。+50が+30になっただけなのに-20だと思ってしまう。その20が人に捧げられてたりすると、嫉妬でもう何もできなくなる。ただ、ひどい別れ方をして、どのように相手の中に残るかの勝負になってしまう。

 ③は、何もない現在がつまらなく感じるということ。過去はハイライト、良いところや動きのあるところだけを見れるので、現在と比較すると現在が異様につまらなく見える。ミニマルテクノをぶつ切りに聴いてるのと通しで聴くのと同じ感覚。そりゃ通しで聴くほうがたまに飽きる。しかも、現在は未来に変容があるかどうかは全くわからないのだ。もう、無理よねって気持ちになる。まだ学生の頃なら「あと三年で高校生」とか思っていられるけれど、もうこの歳になると「あと四十三年で年金か」って長すぎる。漫☆画太郎の漫画読んでる時だって、コピーされてるページまじまじと見ないでしょ。

 

 このように、もういいやってなる理由を考えてみたのだけれど、逆に、今まで死んでいない理由を考えてみた。

 

  1. 寝れば治る
  2. 構われれば治る
  3. めんどくさい
  4. 意外と死ねない

 

 ①はもう真理である。朝起きた瞬間死にたい時あまりない。朝起きた十五分後に死にたくなってても、十五分は死にたくないので、コナンの時計型麻酔銃ほしい。枕元に置いたり、常に付けたりして、「わっ死にたい!」ってなった時即自分に撃ちたい。そして起きて、「よっしゃー!」のテンションで十五分生き抜きたい。正直、睡眠薬めっちゃ欲しい。睡眠薬たくさん飲んでも死なないとはよく聞く。なら、朝昼晩欲しい。頼む。

 ②は原因が人寂しさの時に有効。人に話しかけられないので、死にたい時は「死にたい!!!! ウワー!!!!」とTwitterでつぶやきまくることを主に活動させていただいてるんですが、それが功を奏して、「大丈夫?」とか言ってくれるともう好感度も幸福度も爆上げなる。でも私は美人じゃないので、まあそんなことは滅多にない。ていうか、(三十五回に一回くらい)すごい仲良い友達が見兼ねて話しかけてくれる(すごいこちらも気を使うし、助けたいという意図が見えるので「ありがとう! 死にたくなくなったわ〜」って嘘をついてツイートもできなくなって布団にこもって寝る)だけなので、それもまあ嬉しいんだけど、そんな仲良くない頭が生殖器みたいなフォロワーに慰められて「何がわかるんだよ!!」とか八つ当たりしたい。かまわれてる感と八つ当たりのスッキリでとても元気になれる。あとこのコースで治るんかなと思ってたら、すこし冷たくされて「はい、死ぬ〜〜」ってコースもあるから最後まで責任を持って面倒を見て欲しい。私たちメンヘラは小動物なんや。さみしいと死ぬうさぎちゃんなんや。頼む。あと、助かろうと思って、いのちの電話にかけると順番待ち二時間くらいした挙句に、クソだるそうな対応されて「また死にたくなったら電話してくださいね」という約束を取り付けさせられる。いや、今死にてえんじゃい。今をなんとかしてくれ。俺は今なんだよ!

 ③、だいたい死にたい時って鬱なので、動けない。それにだいたい夜。店やってない。ホームセンター遠いから縄買えない。縄買っても不器用だから首吊りの形にできない。飽きる。コンビニですぐ死ねる何か売ってて欲しい。毒まんとか、頼む。

 ④、これは自殺失敗あるあるなのかわからないんですけど、ガチで死のうとして失敗すると、何するのにも「どーせうまくいかないんだろうなー」って思う。死の成功体験がないから。自殺未遂を一回も経験してなかったら「死ねるかも!」ってわくわくすると思うんですけど、一回失敗するとやりきった感で燃え尽きてしまって「あのころ程のパッションはないから無理だろ」ってなってしまう。それに閉鎖病棟を経験すると、「もうめんどくさいからあそこには行きたくない。一発で死にたい」ってなり、死ぬことへのハードルが高まる。無理。

 

 これは死なないからよかったねという話ではない。死にたいのに死ねないからただただ消耗してしまうという話だ。どうにかしてくれ。投げっぱなしでさいなら