保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

ぼんやり

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この記事の続きです。

 

 漫画喫茶の二人掛けの席はぼくとお姉ちゃんとぼくの荷物でいっぱいになった。といってもスーツケースとトートバッグだけなのだけれど。窮屈で近寄った二人の顔をデスクトップパソコンの白ぼけた壁紙が照らした。シャワーのあるところだったから(田舎にはこのような漫画喫茶はなかったので驚いたけれど、実際普通なのかもしれない)、シャワーを代わる代わる浴びて、喋ることもなくて、すぐに寝た。寝る前に彼女に連絡をして、家がなくなったと言った。友達に追い出されたことにした。

 朝起きると、まだ八時だった。田舎も都会も街は十時までは寝ているものなので、ぼくらは眠い目をこすって、料金に追い出されるように漫画喫茶を出た。料金を折半分出そうとすると、「いいから」と制される。半ばわかっていて、財布を出した自分が情けなかった。瞼のようにシャッターを閉じた街の中を、お姉ちゃんの出勤時間まで時間をつぶしがてら散歩する。喫茶店がやっていて、二人でぼんやりと話し込んで時間をつぶした。人といることが楽しかった。お姉ちゃんといるということが楽しかった。ここから渋谷までの道を訊いた。駅で二人別れる。背中をいつまでも見ているのは恥ずかしかったから、振り向かないで電車に直行した。お姉ちゃんを見た最後だった。つまらないことで、不仲になってしまった。電車に乗るとすぐに携帯を弄って、彼女に連絡をした。渋谷で次の住居を探そうと言われていた。

 渋谷に着くと、彼女から十数万円を貰った。申し訳ないと思いながら、受け取らざるを得ない、厚かましくならざるを得ない現状が恥ずかしかった。彼女の自由にできる全財産だった。一日中電話をかけて、敷金礼金保証人なし無職でも住める場所を探した。もちろんそんな場所は少なく、不動産屋では門前払いだった。

 シェアハウスで一件即入居可能の所があり、翌日に内見の予定を入れた。その近場の池袋で漫画喫茶に泊まった。住所不定無職、それが自分だった。申し訳なくて、死んでしまえそうだった。辛くなって、ラインを入れて友人に連絡をした。簡単な懺悔をしたかった。神は信じられないから、常識人である友人に打ち明ける。彼女は結婚していること、ぼくは浮気をしたこと、お姉ちゃんにお金をもらったこと、彼女にお金をもらったこと……。こんなことはなんてことはないのかもしれないし、なんてことはなくないのかもしれない。ぼくは呆けているから、どちらなのかわからないけれど、友人は「しかたないよ」と言ってくれた。友人は忖度してくれた言葉をかけてくれる。ここの都合の良いシステムは神と一緒かもしれないな。そんなことを思った。

 内見を終えると、すぐに契約をした。チャラい不動産の社員が「お二人はどういう関係なんですか」と聞いた。適当にごまかした。

 やっとのことで決まった住居だったが、一か月後には諸事情で引っ越していた。金銭面は障害者年金の遡及申請が通ったことで問題はなかった。しかし、お姉ちゃんとはすでに縁も切れて、彼女には浮気がばれて別れていた。指先一つでつながった縁が、指先一つで切れていった。シェアハウスから移ったアパート六畳の部屋では独りがやけに身に染みた。結婚している友人がなんとなく両親のように思えて、子供ぶった老獪さでずる賢く孤独を露出した。友人に「ぼくには母性が足りないんだ」と言って甘えた。不幸ぶることで、同情の霞を食べて生きていた。友人夫婦にぼくは名前をもらって、それ以降ぼくは友人夫婦が両親のように思えていた。友人に「それは仕方ないよ」と言われた。当たり前か。死んでしまおう。そう思えた。両親のように思えた人から、突き放されたのだから仕方ない。死んでいるところを見せつけて、せめて一生の記憶に残ろう。そう思って、ネット配信を始めた。友人夫婦が見ていることを確認して、サイレースを二十五錠、レキソタンを二十錠、ブロンを八十四錠、酒で飲む。カッターを出して、思い切り首を切った。らしい。らしいというのは翌日に警察から聞いたことだからだ。

 白昼夢じみた、やけに現実味がない中、奥まった空間に机と私服警官しかいない場所にぼくはいた。

「ここは?」

「警察ですよ。自傷他害の恐れがあるので、一旦身元を預からさせていただきました」

「はあ……」

「あなた、昨日もリストカットで救急車呼んでるでしょう」

「はあ……」

「これから役所に行きますので、市役所が開くまで待機です」

「はあ……」

 そこからどうやってパトカーに乗ったのか、それすらも記憶が定かではない。気付くと、役所のおばさんがいた。

「入院しますか? どうしますか?」

「はあ……」

「はあ……じゃないですよ」

「入院したほうがいいんですかね?」

「しましょうよ……」

「します」

 そこからまた記憶が飛ぶ。自室。入院のために服や歯ブラシを探す。役所。タクシー。病院。主治医となる女を、睨みつけるようにして口上を述べる。私は両親の愛を受けずに育ち、弟が障害児、そういえば性同一性障害な気だってしたな。あとは彼氏にぶん殴られたことだってある、リストカットは何回も……飾り立てる不幸には枚挙にいとまなく、それが年輪であり、身長を刻み付ける家の柱だった。それしかなかったといえばそれしかなかった。不幸しか持っていないから、不幸が素晴らしく思えた。そうなってくると、不幸ばかりを集め始めた。学がなかった。幸福になれるほどの、頭が足りなかった。そのことに気付くには、ここからさらに何ヶ月もかかった。そして、その長い時間を閉鎖病棟で過ごすことに決まった。医者が裁判官の法廷では、気狂いには反論の余地はなく、行動の結果だけが罪として降りかかる。情状酌量の余地なし。気付くころには隔離室の窓一つしかない場所でぼくは眠っていました。

 

続きます。