保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

写真と動物園

 ここ数回の記事の続きだ。

 

 閉鎖病棟の隔離室にいたのは一週間程度だった。何もない部屋だから、やはり時間は長い。もちろんすぐに退院したわけではなく、隔離室から準隔離室、個室、四人部屋と移り、なんだかんだ三ヶ月病院が定める最大の入院期間まで腰を下ろしていた。好きでいたわけではなく、医者が退院の判子をなかなか押さなかったからなのだが、やはり最後には愛着がわいてきていた。

 最初はふてくされていた。長くとも一週間かそこらで出れると思っていたからだ。

 大学院の研究で来ている女がいた。ぼくは患者A、もしくは症例Aか・・・・・・と思いながら話をしていた。音楽の趣味が合い、幸いにも話は止まることはなかったが、ぼくの冷笑的な部分が彼女とは本質の部分で違うようだった。夢を語りたがる患者Bが「私は将来本を書いて人生逆転満塁ホームランを狙ってるんだぁ」と言った。院生の女は人を傷つけない種類の笑みを浮かべていたが、ぼくは「ぼくはスリーアウトチェンジを狙っていたんだが、失敗してここに来た」と言った。根本的相違。

 女は「あなたには病院に対してよくないイメージを持っているようですね」と言った。「まあね。ぼくはまだ準隔離室にいる。廊下に面したドアは開くことがない。ドアには窓がついている。こちらからも見れるが、向こうからも見れる。こちらはドアを開けられないが、向こうはドアを開けられる。窓から人を見ていると、ぼくは動物園の動物になったみたいだって思うんだよ」女は困惑した笑みを浮かべると、「私は動物園の客に見えますか?」と聞いた。「そう見えてなきゃ、ぼくにとってあなたは動物の仲間ってことになりますね!」女は次の日から来なくなった。冷笑や悲観は人を遠ざける。

 患者の人々は優しかった。もちろん、規則や看護師がいたからに過ぎない面もあるだろうけれど、大体は優しかった。成仏を待つ霊のように静か。霊たちは悔やむことがあるので、悔やむことを増やそうとはしなかった。静かな人々は寄り添って日が昇り落ち、退院までの日にちをなるべく悔やむことがないように、いたずらに延ばさないようにしていた。ジャックニコルソンも、ネイティブアメリカンの男もいなかった。たまに患者が暴れることもある。大きな鎮静剤が打たれる。彼の姿をもう一度見ることはなかった。

 いろんな人間がいた。二十年以上受験勉強をしている男、自傷行為の代わりに中絶をする女、幻聴の話しかしない男、ストーカーをして入れられた老人、足腰の悪い若い女性たち、痴呆老人・・・・・・。もちろんこれは露悪的というかいささか趣味の悪い一面を集めただけに過ぎないけれど、そういう一面があるのは紛れもない事実だ。

 外に出れるようになると、幾分か自由が出てきたので、酒やら薬やらを購入してはボディチェックをすり抜けて病室で飲んでいた。破滅的な気分になって薬を大量に飲んで、ゲロを吐いた。翌翌日、医者はぼくを呼びつけ「私では君は治せない。病気じゃないよ君は。もっと根本的な捉え方なんだ」薬のせいか記憶はないが、ぼくはなにかまたジョークを言った。入院の世話をするケースワーカーが「君は、ふざけているのか!」と怒鳴った。病院で人間が怒るのを見たのは初めてだった。自分が見捨てられているとことに気づいた。こうして、晴れて病気じゃないと認定され、ぼくは任意入院というかたちになった。ぼくは人々がぼくのことを見捨てていると言う事実がとても恐ろしく思えて、数日後(それは病院が許す最も早い退院日だった)に逃げるように退院した。数人の見送りが「やれやれ」と言う表情で手を振っていた。冷笑は人を遠ざける。自分を冷笑していたとしても。

 病院は今住んでいる場所に近いから、たまに患者に似ている人を見かけてびくびくする。それでもたまに、病院が懐かしく思える。閉鎖病棟のフリークスが愛らしく思える。でもそれはとてもむごいことだ。過ぎ去った過去がいとおしく思えるのは、ひとえに現在に影響を及ぼさないからだ。写真を眺めているのと同じだ。安全なところから眺めるぼくは、ドアの向こうの動物園の客の目をしていることだろう。