反日常系

日常派

コンビニバイト・キロバイト

 これは私がコンビニバイトをしていた時の話だ。と、言っても今もコンビニバイトをしているから、前の店で働いていた時の話になるのだけれど。

 

 八年間も働いていた、勝手に寄り添うように思っていたコンビニが潰れることになった。当時女子高生だった私は二十五歳に。校則でバイトが禁止されていて、先生の目を盗んで少し遠くのコンビニを選んだものの、そこは先生の家の近くだったらしく、時折疲れたようにハイボールを買っていくのを平均週三で眺めていた。先生は最近禿げてきている。

 八年間も働くと、バイト間でも仲間意識が湧いてくる。私は最後の日くらいはということで、古株のバイトだけで集まろうと考えた。古株は何人か居たが、飲み会に参加するのは私を含めて四人しかいなかった。そのうち二人は夜勤なので、ほとんど話したことはない。もう一人は年上の女性で、どうしたわけか私の勤務時間すべてその人がいて、何勤と言っていいのかわからない人だった。私の仕事始めも仕事終わりも、何も言わずに仕事をしてくれているので、私は毎回「悪いなあ」と思いつつ、「この仕事おねがいします! お先です!」と言ってコンビニから帰ってしまう。そして翌日はその人に「おはようございます」と言いながら仕事に就く。お願いした仕事は片付いている。

「飲み会行きませんか?」

「飲み会?」

「ほら、もうここ潰れちゃうでしょ? だから長い間働いてる人だけ集めて飲もうかなって」

「なんで?」

 なんでと聞かれてたじろいだものの、それなりに寂寥とかエモとかを理由として答える。彼女はわかったのかわからないのか、そのどちらでもないような顔をして、ぼんやりとした目。「この日暇?」とバイトの最終日の日にちのカレンダーを指しながら言うと、「用事はないけど」と言われる。「とりあえず、出席にしとくね!」と押し切った。

 バイトの最終日、もうほとんどすることはなかった。物がない棚の方が多いし、入荷もない。店長の妻が久しぶりに店に来て、売れ残った菓子を持っていってもいいと言う。なるべく多く袋に詰める。店長の妻が世間話か、店の潰れる理由を教えてくれた。客足が遠のいたとか、よくわからない帳簿上の微減で潰れると思っていたのだけれど、そうではなかった。店長が過労で体を壊してしまい、もう店長家族は悔いのない寿命の使い切り方を考えているらしい。と言っても店長の姿を見たことはなかった。私が来る前にはもう体を壊していたらしい。お菓子を袋に詰めていると、万引きをしている気分になったり、コンビニは店長の暗喩で、こうして万引きしている自分はウイルスなのではないかと思ったりした。

「ねえ」

 働いている彼女に声をかける。

「お菓子持ってかないの?」

 店長の妻が「あはは、いいのよ。あの娘は」と言った。

「えっ、でも、あの人クリスマスの後、いつもクリスマスケーキ何個も持って行ってましたよ」

「ああ、あはは、あの娘甘いもの好きなのかもねえ……」

 あの娘かあ。彼女は一体何歳なんだろうか。私が働き始めた時は三十歳くらいに見えたものだが、今でも何一つ変わらず三十歳くらいに見える。バイトを始めた時──つまりは私が若かった頃だが──は歳上の女の人に母性を見出したりして、彼女を見ながら「こんな人が母親だったらいいのになあ」と思っていた。しかし、私も二十五になってしまったので、流石にと思い、そんなことは思わないようにしている。たまにそんなことを思っていたなあと意識すると、なんだか悪いことをしていた気分になって、彼女の眼をまともに見れなくなってしまう。

 何事もなく仕事が終わり、店長の妻がシャッターをおろし、シャッターの上に「閉店しました」の紙を貼る。彼女に「ごめん、お菓子家に置いてきていい?」と言うと、彼女は「うん」と言って、ぼんやりと立ち尽くしている。このままここで待っているのではないか。「ついてきて、飲み会の場所知らないでしょ?」彼女は黙ってうなづいた。「家行くから少し遠回りになるけど、ごめんね」

 

 夜勤のおじさん達は仲が良く、二人でゲラゲラ笑っている。自然と男と女で分かれて話す。一時間、お酒も幾分か飲み、気分も高揚する。

「お酒強いんだね!」

「私は酔わないから……」

「すごいね! じゃあさ、私が酔いつぶれたら、家に送っていってよ! 家、わかるでしょ!」

「うん、いいよ」

「あ、いいの……? もしかして家近かった? 家近くなかったら、いや、別に近くてもわざわざ送り届けなくてもいいからね? あはは、なるべく酔いつぶれないようにがんばるね!」

「うん……」

「もー、私さあ、八年間も働いて、コンビニのことしか知らないわけよ。それがこんなに簡単にぽんとコンビニの外に放り出されちゃうと、不安になっちゃうな。コンビニのことしか知らないのにさ!」

「わたしも、コンビニのことしか知らない……」

「ねー! もうさ、嫌になっちゃうよ」

「……」

「……これから、どうしようね」

「これから?」

「三ヶ月くらいは何もしなくても蓄えで生きていけるけどさ、何をしたらいいのかな。ねえ、これから何するの?」

「私にこれからはないよ」

「? 働かないってこと? いつも働いてたから、蓄えあるの? いーなー!

………………まだ見たところ三十代でしょ? そんなに長い間暮らしていけないでしょ」

「ううん。まだ十歳だよ。終わったらもう私廃棄だから」

 この人電波だったのか、と思うも、酔いが回った頭では危険とは思えない。変わったところを面白く思う部分だけが働いて、笑い飛ばす。

「あはは! なにそれー」

「本当だよ。私は店長が買ったロボットで、十年前に作られたんだ。十年前、店長が体を壊して、まだ療養すれば治るかもしれなかったから、その間だけ働かせようと思って買ったんだって。でも、長引いちゃってね。ロボットで十年って言うと、もうおばあちゃんだよ。私みたいな労働ロボットはね。中古で売られるかもしれないけど、十年前の型だと、まず買い手はいないと思うな」

「どっかで暮らすとかはないの?」

「暮らす? 誰も雇い手がいなかったら、ロボットじゃなくなってしまうの。ロボットの語源は『人の代わりに労働をする』で、労働しなきゃ存在意義、レゾンデートルがなくなっちゃうから」

「どっかでニートしたらいいじゃん」

「働かなかったら、ロボットじゃなくなってしまうでしょう……」

「人間じゃだめなの?」

「人間?」

 彼女は考えたこともなかったというような顔でこっちを見る。

「存在意義がわからない人間になるなんて、御免だわ」

 なんとも言えない話をされて腹が立ったので、「証拠見せてよ」と言う。意地が悪かったかもしれない。彼女は私の手を取り、女子トイレにつれていくと、洋式便器の蓋に私を座らせた。彼女はジーンズをおろす。臍の下、女性器の上に、小さく穴が空いていた。彼女がポケットから、充電ケーブルを取り出す。「穴にはめてみて」恐る恐る穴に差し込むと、それはカチリと音を立てて嵌った。コンセントに挿すほうの端が、ぶらりと股の間で揺れていた。

 席に戻ると、なにがなんだかなんとも言えなくて、ぼうっとしたまま、時間が過ぎてしまった。水をがばがば飲んでも酔いが覚めたのかわからず、なんとなくそれから酒を飲んで意識の外に信じられないことを投げ捨てようとした。なんとなく時間になって、なんとなくお金を払って、なんとなく解散した。

 帰り道、月明かりが私を照らすと、ひやりと酔いが覚めた気がして、脳裏に彼女が廃棄されるイメージが鮮明に描き出された。大きなシャベルだろうか、それとも回転する歯車か、よくわからない物に彼女が押しつぶされる。血は流れないかもしれないけど、彼女がねじ、オイル、その他諸々になっていく。いけない! と思う。でも、飲み屋からどこに行ったのだろう。わからない。スクラップ工場? 店長の家? わからない。どこへ……。とりあえず飲み屋へ戻らなければ、そう思うと飲みすぎたせいの千鳥足が別の意識を持っているように動き、恨めしく思える。くそっ、頭だけ重く膨れ上がったようにバランスが取れない。気分が悪くなって道端に吐く。頭の中でスクラップにされていく彼女が、こちらを眺めている。──暗転。

 気づくと私はガンガンに痛む頭を抱えて、自分の部屋にいた。彼女を探して助けるよりも、家に帰って寝るほうを選んだのか……。情けない。まだ、どこかにいるのかもしれないと思って、立ち上がると、二日酔いが思ったよりも酷くてすっ転んだ。変に転んだせいか、関節が痛む。また立ち上がろうとする。

「まだ酔ってるでしょう。今日は仕事ないんだし、休んでなね」

 彼女の声。疑問に思うのもつかの間、台所からエプロンを付けている彼女が現れる。

「酔いつぶれたら家に送ってよ、って言ってたでしょう」

 そうだった。いつでも彼女は頼み事を断らないのだった。

「ねえ、頼み事があるんだけど」

「なに?」

「お味噌汁飲みたいな。毎日……」

「それは仕事?」

 仕事ということにした。そうしないと、私の元からいなくなってしまうと思ったから。