保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

散歩

 昼頃、春の陽気にあてられて六キロメートルをぼんやりと歩いた。大きな公園があったものの、私の記憶力では今何を語るべきかがわからない。選別することができない。いびつに大きく回った一周は引き伸ばされた写真のような、星座のような円をマップアプリに描いた。

 家に帰ると、何をしていいのかわからなくて、網戸を前に体育座りをする。スマホを見ていると夕暮れはもう終わっていた。オレンジを剥いてしゃぶり尽くすと、手がべたついた。靴下で拭くと、靴下は鮮やかな色になってしまった。何をしたらいいんだろう。何を私はしていないのだろうか。混乱しているわけではない。今になって思えば、躁がなんとなくの範囲を広めたのだ。私はなんとなくコートを着た。なんとなくバッテリーを持った。なんとなく靴を履いた。なんとなく外に出た。

 記憶力はないのに飽き性だから、適当に歩くことにした。電車は下り方面。線路に沿ったら知らない住宅街だ。住宅街はどこでも同じで、住宅街とはすこし外れたところに生まれた私からしたら、ずっとすこし外れたところにあるのだろう。音楽を聴いていたら初めて東京に来たみたい。失恋を引きずってるみたい。いろんなことを考えているけど、どれも固執するほどの距離ではなくなっていた。元カノのことや、元友人のことや、元同級生のことを思い出した。時折強がりみたいに足元の小石を蹴っ飛ばすけど、どうせまた追い付いて、蹴り飛ばして、見失った。みんな見失っていけばいい。

 いろんな東京が耳元で鳴っていて、おそらくこの人たちは東京という土地と個人的の記憶を結びつけるみたいに祈っているのだと思う。風船を木の枝に結びつけて飛んでいかないように、またこの場所に来たら思い出せるように。私は記憶力がないので、出来事を覚えていられない。デジャヴを見たら、前にもここに来たことがあったのではないかと記憶の方を疑ってしまうくらいだ。蹴り飛ばす小石と、靴のなかで違和感を発し続ける小石。どっちがいいのかわからない。なるようになるのか、なるようになるまで待てるのか。不安になるくせに答えはでない。

 どこにでもある三叉路が地元の道に似ている。遠いために歩いては行けないが、親の車に乗るとよく通る道。たまに夢のなかに出る。私は夢の中で帰れないと嘆く。現実の私は帰りたくないと嘆いている。

 市外局番が03から042になるほど歩いた。どこへも行ける気がする。一晩どっかの漫画喫茶で泊まってもいいと思う。子供の冒険のように一歩だけ日常の外に出て、高揚感だけ持ち帰って馬鹿にされたい。あまりに遠く歩きすぎたから、近所に貼られた猫の捜索のポスターを思い出した。猫なんて一匹もいないから、都会では猫を食べるのだろうか。野良猫のことを思い出す。小学生の頃、誰かが公園で猫を飼おうと言い出した。みんなでツナ缶を買って、クロと名付けていた。一週間後、友人のいとこがその猫をもらっていった。クロはエミリーと名付けられた。私は野良のくせに名前で呼ばれるような人でありたい。でもそれが向いていないことだってわかっている。

 時々思い出したように空を眺めて、なにもないことを確認する。偽札だと知っているのに透かしを見るみたいだ。元カノと入った菓子屋に、思いがけないルートで遭遇する。一駅歩いたのだと気づく。戻るなら今のうちのような気もする。でも、戻るほどの気力がある訳じゃない。私はすでに臭いのついたものを嫌うために、見慣れた景色に落胆するようになっている。まだまだ歩く。カップルが歩いていたり、自転車を買ってもらえない子供が走っていたりする。カップルを見ていると繋いだ手で何か持っているのではないかとの思いに固執してしまう。昼間はベビーカーを押す夫婦を見て、葬列のようだと思った。私の祖母は死にかけている。

 祖母が死んだ。千葉への下り列車を待つスーツ姿の私があまりにも遠い次の発車に時刻に項垂れている。わかっている。帰るという現実を受け止めきれないから、高速バスに乗らなかった。遠回りして時間がかかっても電車を選んだ。東京から初めて電車で千葉に向かう。空想が飛躍して、この事を真実としてツイッターにでも呟いてみようと思うのだが、誰も興味がないからこそ嘘だと見破られない嘘はなにも価値がないことに気づいてやめた。

 もう一駅歩いた。帰路を歩くほどの体力はなかった。駅に入るかを悩み、うずまきのように駅との距離を縮めて、意を決して駅の階段を上る。車中は一回壊されてボンドで修復された陶器の人間たちばかりだ。私を責めている気がする。二駅先の最寄りへは七分弱で着いた。一時間以上歩いたのに。

 改札で先を行く人が、トラウマをフラッシュバックさせた。後ろや横を並走する人が私を笑っている気がする。私の知り合いな気がする。鍵をメリケンサックになるように強く握りしめた私は、後ろを振り向けずにいそいそと階段を上る。散歩は終わった。iPhoneでは私は今日十四点八キロメートルを歩いたらしい。躁病だ。眠たくない。腹も空かない。なにかをしたい。理性では押し止めようと、なにもするなと騒いでいる。私と冷静な観点の私、そしてそれを見る私に私は苛まれている。病的だよくそったれ。近いうちにまた病院に入るような気がするよ。