保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

 四月になったそうです。そうです、という物言いに理由を求めるなら、私に四月の到来を実感させる物事がないということや、そもそも論では人間は四月を感じとる器官はなく、地球の公転や陽の高さなどから暦を作り出した人々のことを鵜呑みにする能力が備わっていることが挙げられるでしょう。

 

 疲れやすい体を引きずって、図書館にやってきた私は何一つにも感動しない精神のことを考えずにはいられませんでした。四月について語ろうと思いました。去年度と今年度を区別するものを探し、同学年が大学を出たことを考えたり、逆に私が大学をやめた理由について書こうと思ったりしました。大学をやめる理由も、頭に思いついた端からつまらないものでした。健康的理由は愚鈍な動物が俊敏な動物から逃げおおせるのが不可能なように、不健康で鈍感な今から、健康的で何事も楽しめた(ように今では思える)昔を語るのは難しいことです。家庭内の理由もありましたが、昔の不幸を語ることは、今度は俊敏な動物が愚鈍な動物を理解するように難しいことなのです。

 

 図書館を出ると、スマートフォンが鳴りました。昨晩、二週間後に人と会う約束を寝ぼけながらも取り付けたらしいのですが、先方の理由によってなくなりました。人と会わないで済むということが救いでした。ここのところ、人に会うことは人とコミュニケートできないということの再確認であったからです。いつから物事が難しくなっていったのかはわかりません。ただ、私に出来ることはこの変化が不可逆的なものではないことを祈るのみです。