保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

人間観察を考える

 一時期、十年くらい前は「趣味、人間観察です」という不思議系女子が学年に一人はいたものです。ぼくの周りだけかもしれませんが。そして、そういう女の子がハブられたり、ネットで「趣味が人間観察の奴は痛い」みたいなスレッドが立っていき、今では人間観察という言葉を知らない中学生もいるんじゃないでしょうか。

 

人間観察をしている、と言うことについてばかり考えられている

f:id:freak_tanatra:20180407191010j:image 人間観察で検索すると、大体が「趣味が人間観察の奴は~」みたいな「人間観察のやつを分析する」記事ばかりでエッシャーのだまし絵みたいな構図になっています。そもそも趣味として人間観察は考えられてきたのでしょうか。人間観察というのが変わっているように見られたい奴の道具、逆張りのための言葉に思われているのではないでしょうか。例えると、「犬を可愛がる私かわいい」「単眼娘がかわいい俺異端」のような構図ですね。インスタにあげる写真で、写真なんかより写真を撮る自身が伝わってほしい、のような。

 

今と昔

 そう、インスタ。インスタの話をしようと思っていました。十年前はSNSなんてありませんでした。サイトでした。掲示板でした。あってもmixiでした。リアルな関係をそのままネットに持ち込み、独り言を言うように写真や言葉を伝えることなんてできない時代です。今考えてみれば、露出狂のように自分をさらけ出す場所があり、みんな「あいつのちんぽは右曲がりだ」となんとなく暗黙で知り、リアクションもない今がおかしいのかもしれません。ちんぽは例えです。ぼくがfc2で女装アナニー動画をあげていたこととは関連ありません。

 昔は自分のことをクラスメイトにアピールするのは一番最初の自己紹介の時しかありませんでした。わざわざ趣味の話など、自分からするのは気が引けますし、自分が話したいことから逆算して話しかけるのはオタクの悪いクセです。もちろんこれは「人間観察」をアピールとして使っているという仮定ですけどね。

 よく考えると、今の時代は大人間観察社会です(ディストピア感あるな)。人が自分のことを言い、それを拾うだけでも人間観察です。そうでなくても、ネットには知らない人が水を買っただけで泣いたり、ヒカキンは変な顔をしている動画があります。変人を見ればツイッターに載せる、五人組か? 

 

 あの娘は一体何をしていたのだろう

 そう考えると、人間観察をするあの娘がしていたのは今のぼくらと何ら変わりのないことです(もちろん、本当にしていたら、の場合ですけど)。

 趣味として、能動的に人間を観察することについて考えてみましょう。趣味としては人間観察は悪いものではありません。人間がいればできますから、鳥取県以外ならどこでもできます。散歩してもよし、喫茶店にいてもよし、遠出してもよし。お金はかかりません。他の趣味と同じように、すこし極めるとお金がかかるかもしれません。例えばクラブに行けば「クラブに行く人」を観察ができ、猫カフェに行けば「猫カフェに行く人」のサンプルがとれます。そう考えると都会の方が面白いかもしれません。田舎は車社会なので、歩いても老人、子供、きちがい、の三種類しかいないからです。それらのサンプルを取り、ノートなどにまとめていたのかもしれません。

 

 

 今まで、人間観察をできるだけ肯定的に捉えてきました。観察していることを公言すること自体にはどうかなと思うものの、人間観察自体は悪いものではないと思います。てか、『隣の関くん』の女の子とか人間観察ですからね。ストーカーだって人間観察ですし、以外とみんな人間観察しているものですよ。でもぼくにはやめてください。思考盗聴と集団ストーカーをしていることはわかっています。やめてください。