保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

 祖母が死んだ。二三か月前に入院し、そのまま引きずられるようにして死んだ。そんなに仲良かったわけでもないし、頭の悪い人の常として子供や孫がたくさんいるので、向こうとしてもあまり関心があるわけではなかったと思う。

 生きることは困難さを増していってる。

 父親は手負いの獣みたいに、生きることへの反抗を態度で示している気がする。よりつまらなくすることで、一種の寓話にも見える。父親は多くの物事が気に食わない。もうケチをつけることでしか社会とかかわることができない。父方の親族は叔母が統合失調症、大叔父が殺人未遂、あまりいい血筋ではない。そしてぼくはその血筋を受け継いでいるように思う。

 あまり、不幸だと境遇を書き連ねる気にはならない。それは理由にはならないから。もう二十二にもなっているから、あらかた境遇には慣れてしまったし、慣れですべてを許せそうになる。自分にさえ、幼少期の自分は軽視される。花枝と増山で飲みに行ったとき、祖母の話をして笑いを取ることができて安心した。森と飲みに行ったとき、父親の話をして笑いを取れた。不幸を笑いに変えられることは救いだ。不幸からコミュニケーションに昇華することができることの確認をしている。

 文章を書くことは難しい。どうしたって笑いを取れない。ぼくの文章の書き方は落ち込みきって、投げ飛ばす。いつもそのやり方でお茶を濁している。

 ぼくの人生はおもしろいらしいけれども、ぼくが順序よく喋ることが得意にならない限り日の目を見ることはないだろうと思う。それに、一貫性のない思考を持った人間を順序よく語れば意味がつながらない……。