保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

蛙かおたまじゃくし

 物干し竿がないので、カーテンレールに様々なものを吊るして生活をしている。洗濯物、着ることがないため洗ったのかどうか定かではない服、風鈴、ドライヤー・・・・・・。殺人鬼が獲物を飾るようになんでも吊るしているのだが、そうなるとカーテンの明け閉めにやたらと時間がかかるので、時おりすべてを床にぶん投げる。そうすると、曇が動いて光差すように部屋が明るくなる。その時、初めて陸に上がる生き物の気持ちでやたらと感動したりして、自分は当たり前のことに何をやっているんだと思わなくもない。自分で自分のことを形容するのは恥ずかしいけれど、白痴のようで、よく言えば子供のように思える。

 無垢や子供らしさは、それ自身への肯定を伴ってはならないような向きが自分から発せられる。似非天然キャラへの嫌悪なんかが例になると思う。人間、少なくない程度の人が無垢やイノセントでありたいと思いながら、それを願望や祈りのまま近づくことも遠ざかることもせず、向こう岸を見るように子供を見ていると思う。ぼくの偏見である。ぼくは自分の狭い視界で、自分を見て人間とはと学びとることがよくある。賢くならないまま幸せになれたらどんなに幸せだろうか。白痴志願のぼくは、賢くなってしまったチャーリィゴードン(アルジャーノンに花束を)のように、過去を羨みながら歳を取る。