保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

呆け、呆れ

 九月に恐怖を抱いている。去年の九月に入院し、三ヶ月間の大いなるロスタイムを過ごしたからだ。風邪薬でハイになって手首を切り、翌日風邪薬でハイになって首を切り、その翌日には閉鎖病棟の隔離室でおおいびきをかいて寝ていた。退院した理由は市販睡眠薬でハイになった結果、病院でゲロを吐いて暴れたらしく、医者には諦められて退院をした。放り出された、と言った方が良いかもしれない。

 退院してからの人生がロスタイムではないとも言えないけれど、強制的にロスタイムを過ごさねばならないことよりはかなりましなロスタイムを過ごしている。

 毎回毎回、病院に行っては一区切りとして文章を書いている。二週間に一度がこうも早く来るものかと思えるのは、ぼくの日々になにも特筆に値するものがない現れだろう。本当に何をしたのかの記憶がない。病院に行くと医者が前回同様入院を勧めてきた。前回は言葉でそれとなく選択肢を匂わせるようなものであったけれども、今回は事務員に入院の話を聞いてみてくださいとのこと。

 自分はそれほどまで酷くないと思っていた。それほど気分も悪くない。ただ、言われてみれば症状としては鬱が色濃く出ている。自分はまともなのだろうか、という問いに答えを出すためには自問自答が一番意味を持たない。医者によると入院が必要らしい。

「あの、フリークス的な所に居場所の良さを感じてしまうということに前回の入院以降恐怖があるのですが・・・・・・」

「うちは解放病棟ですから、それほどひどい方は居ないと思いますよ」

 そのような受け答えを何回かして、とりあえずと入院に必要な書類を書いて、とりあえずと検査をして、とりあえずと話を聞いて、とりあえずと病床に空きが出たら入ることになった。あー、まただ。去年もこんな風な調子だったんだよな。風邪薬の力で朦朧として「はい」と言った受け答えを、今度はシラフで「はい」と言っている。また忘れるために熱いものを飲んでいる。より呆けていく。繰り返しの自分を自分が眺めて呆れていく。後悔した分だけ賢くなった気持ちで、後悔するために学んだことを忘れていく。繰り返しの九月。