保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院二日目

 ここは思春期の患者もいるらしく、思春期の患者が一番元気だ。そしてその次がそいつらとつるんでいる奴で、最後尾にぼく属する思春期を終え、若者ともつるめない奴らだ。順々に生気をなくしているようだが、どこも明るい奴がいて、明るくない奴がいて、中間がいるという形は集団の基本形だ。と言っても、ぼくが年寄りに属しているということはない。肌を露出した中年やひっそりと佇むだけの中年もいる。X JAPANのロゴを背中に背負った老人もいた。

 まあ、こういうことを言うくらいには歳をとったってことだが、「子供の頃からこんなところにいるとおれ以上におれみたくなるぜ」まあ、言わないけど。無責任に過去に言葉を投げるのと同じように若いものには我が物顔で喋りたくなる。

 

 朝起きて見回すと子供が思ったよりも多い。まるで自分がなにか間違った場所にいる気がする。そして子供たちも同じことを思っているだろう。そして中年たちも。ここはぼくの居場所ではない、と。居心地の良し悪しは別として、ここは居場所になるにはまともすぎる。まともじゃない人間が収容されるには、素晴らしすぎるな……。新しい教団みたいだ。どこも綺麗で、目を凝らさなきゃほころびも見えない。原義のユートピアディストピアと呼ばれるようになるのと同じように、ここは素晴らしくもあり、表裏一体で素晴らしくもない。テーブルマナーさえ知らない人間が社交場に行けるか? まともだけれど、ぼくとは合わないな。居心地が悪くぼんやりしている。

 人々がそれぞれを認めつつ居ないように過ごす……。そんな場所で生活をするなんて、ホームレスと変わらないじゃないか、人々がホームレスであり、他に家のある一般人である。主観で見るホームレスの他人と客観で見られるホームレスの自分を交換しながら、ひっそりと生きている。