保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院六日目

 昨日、ぼんやり病棟に一つのラウンジで本を読んでいると、同室の青年が話しかけてくれた。話してみると歳が一つしか違わず(ぼくの方が上)、同年代ということで二人とも安心して話し合った。同室のもう二人は三十と四十らしい。四十のほうはやばい人らしい。

 なんとか人と話せたと思い、安心と久し振りに人と話した興奮を落ち着かせて眠る。

 

 書くこともないが、ほとんど気力で更新している。今日は本を読み、また友人から本が届き、本を読み……。本を読む気力がなくなると、誰に見せるでもない文章を黙々と書いている。入院する前はYouTubeだとかを見ているだろうが、YouTubeを見るにもヘッドホンをかけなくてはいけないし、なんだか今までの暇つぶしに気後れして文章に取り組んでいる。いつか発表できればと思う。

 友人に頼んだ本はすべて届いた。感謝している。ありがとうございます。今日は『町でいちばんの美女』を二百ページ読んだ。

 『心臓抜き』を読み切った。幻想文学で、しかも毒があってただの幻想にとどまっていないところがいいと思った。冷笑的なジョーク。過剰な人々。暴露するみたいに率直な描写と世界。

 今でも通用するどころか、今だからこそ通用するものもあると思う。子供を産むことで母的になった女と夫の関係とか。母性がほとんど狂気になっていくのは毒親なんて言葉がある今だからこそ語れる点もあると思うし。

「子供たちに何か起こるかもしれないと思うと、彼女は気が狂いそうになるのです」

「でも彼女は、彼らになんにも起こりえないと考えてもおなじく気が狂いそうになるでしょう」

↑この会話が好き。

 

 それに主人公の「苦痛みたいな無益なものが、たとえどんな権利だろうと、誰にだろうと、なんについてだろうと、権利をあたえるなんてことは」という言葉には本当に同意する。

 

 現実に物言いをしている作品であるかのような感想を言ってしまったが、もちろん世界観は独立してて素晴らしい。幻想文学にとどまりつつ、批評精神を忘れていない。