保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院七日目

 昨日、同室の人と話したんですが、一時間半くらいためになるありがたい話を聞くのは流石に疲れました。悪意はないんですけどね。でも同室の人の顔がわかって、少し話せただけでも嬉しいというか、楽になれます。共有スペースの人間と知り合うことで、少し警戒の度合いを下げられるというか……。

 同室の人の一人はピーズのハルにめちゃくちゃ似てるので、ハルっぽい顔の人がメンタルについて話してるなと思うとめちゃくちゃ趣深かったです。

 

 そんなこともあって、今日は完全にダウナーになってしまいました。もともと入院の日に向けてHPもMPもなく、体がだるくなってしまっていたので、少しのことでも疲れると何もできなくなってしまいます。なので今日はブコウスキーを少し読んで、JAZZ PERSPECTIVE vol.16をパラパラ読んで、IDM definitiveを読む(そして聴く)だけでした〜。ぐで〜。

 あと余計で露悪なリアリズムを急に挿入するとすれば、急にオナニーしたくなってしました。病棟の階のトイレではなく、人のいないところのトイレで。最近眠りが浅く、寝ぼけて睡眠薬貰いに行ったこともある。今朝はオナニーする夢を見た。現実でないことを祈るしかない。これは女性ホルモンが減ってるなと思って、適量飲みました。

 それから来たる十一日に私の誕生日があるので、それを祝ってくれる友人と日程を合わせました。前日からの外泊届も出しました。楽しみです。

 

 あと、それからかわいくなりたいの発作が来て、ヘアスタイルとか検索したりタトゥー検索したりしました。ぼくはかわいくなりたいという目的はあるのに、どうかわいくなりたいかなど欲望の細部が決まってないのが悪いなと思いました。細部が決まってないなら、自分を見つめ直して、自分に一番合ったかわいくなり方を探すとかあるんですけどね。教えてくれ〜。

 同じような問題で、ぼくは音楽をたまに作るんですけど、全く満足することがないのはそれ自体に取り組む時間自体も少なく、技術が足りないのもあるけど、欲望の細部が見えてないんでしょうね。なんでも好きすぎて、何に取り組めば……。ゴミ屋敷の掃除と一緒だ。

 

 唯一取り組めているのが文章です。文章はなりたいものをめっちゃ読んだ後にそれを少し真似したり、すこしディテールがわかりやすいんですよね。そして自分が好きな表現がわかる。あとは話の筋にもその触覚を伸ばしていきたいです。

 

 入院してから、服をぼんやり眺めたりしてるけど、外の世界に出ないから少し服欲は小休止してます。あと楽器欲は買っては使わないとかよくあるので意図的に休止させたい。あと派手な髪にしたい欲は維持だるいので消したい。あとタトゥー欲はタトゥーが入れたいが先に来ちゃって、何入れたいで迷ってるような感じだから駄目。なんか欲しいけどなんも思いつかない。からっぽ気味。鬱かな〜。

 

 

『町でいちばんの美女』チャールズ・ブコウスキー

 読んでる途中ですけど、短編集だし、思ったこと(感想とは少し違う気がする)書いておきます。


 ブコウスキーは下劣であろうとし続けたし、その話が酒場での与太話の範囲を超えないようにしているように思えた。ジャンル分けがなんの意味にもならないという人もいるだろうが、ブコウスキービートニクではなくパンクだと固執していたことは、ブコウスキー本人がジャンル分けに何らかの意味や誇りを持っていたということだ。個人的にはパンクの源流であるパブロックでもあるように思える。必要以上に劣悪であろうとすることは間違いなくパンクであったのだけれど。

 さらにパンクの話を続けると、ブコウスキーの繰り返し書く、どうしようもない男がさらにどうしようもない女に振り回されるという話はシドとナンシーのようである。仕方ねえなあ……というふうに付き合ってやり、双方の仕方ねえなあ……がずるずると堕ちきるまで続く。こういう話が女性作家ではなく、ブコウスキーのような老いた男性作家から出てきているのは珍しいと思う(女性作家が書くにはハードボイルドすぎる筆致ではあるが)。なぜブコウスキーはそんなロマンチックであり続けられたか。それはブコウスキーが醜男であったからに他ならない。さらにパンクからの連想で、パンク的であったセルジュ・ゲンスブールもロマンチックであった。どうしようもない女と好色の醜男はロマンチックであるしかないのだと思う。そうでないと、あまりに現実は惨すぎるから。