保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院九日目

 医者と話して疲れる。抗うつ薬を明日の朝から飲むことになったが、抗うつ薬なんていつぶりだろうか。ずっと抗不安薬だった。抗不安薬に対しては諦めがついている。どうやったって人は不安になるし、薬でそれを改善するにはそれ以外のことも知覚できないくらい飲む必要がある。

 抗うつ薬は三年以上前に飲んでいた。三年以上前って言ったら友人とルームシェアをしていた頃か。あの頃はまだマシだった気がしなくもない。手首を切って風呂に入ったが、それ以外は特に何もなかったかもしれない。まあ、昔を見る目線なんて常に理解者たりえない。遠ざかって見る。真実の輪郭はぼやけてきらきらしているようにさえ見える。例えば赤子の頃。赤子になりたいと思う。人間は言葉を持った時点で、赤子が考える大いなる恐怖を理解しないくらい賢くなっている。

 

 今、恐れるのは前のように不覚になることだ。手首を切ることで高揚し、コミュニケートする。酒を飲み、薬を飲み、荒廃と怠惰の役割を演じられた気持ちになる。抗うつ薬躁転に向かわなければいいのだが。何やっても不安が付いて回る。脅かして不安を遠ざけようったって自分についてる影だ。意味がない。望むのはベッドに磔にされたような日がなくなること、それだけだ。死にたい気持ちは今のところ気持ちに留められている。そのままでいい。それも望んでおこう。そのままを。不安になろうが、死なないことを祈ろう。ぼくがいくら死ぬ才能がないからといっても、今はバンジージャンプのような仮死体験さえ怖いのだ。今は未来の理解者たりえないから、なるべく今精一杯の賢さで、未来について祈るしかない。未来は今より馬鹿かもしれない。その逆もあるかもしれない。だからこそ、信じてもない神に、効能のある薬に、祈るしかない。なるべく過去未来現在の自分が、馬鹿にしない行動をとれますようにと。

 

 今日は『町でいちばんの美女』を読了。感想は昨日の日記に書いた。次は『ワインズバーグ・オハイオ』を読んでいる。本当に今日は調子がいい。本が読めている日は調子がいい。ガソリンみたいに本を読んでいる。それか走らない車が悪くなるのを踏まえ、走るように読んでいる。錆びつかないように本を読めていることに感謝しかない。神こと、抗不安薬睡眠薬、陽射し、めざまし占い、その他諸々……。