保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院十三日目

季節を穿つ

 昨晩、外に出たら寒かった。そんなことでも虚をつかれてしまう。街灯が目につく。ただの街灯も水族館のクラゲのようにそれぞれ意識を持って動いているような気になる。光が細く伸びる季節。夏の緩慢さが終わり、冬の鋭敏が来る。季節の移り変わり。その度に、ぼくは女性が急に態度を変えたような気持ちになる。季節の移り変わりにいろんな物事が隠れていないかを考えては、その無為な行動を感情に変えたりする。季節の顔を穿って、そうして弾き出された結論はいつも的外れになる。的すらないところに矢を射ってるのだから当たり前なんだけれど、矢を射ることに意味があると思いたい。

 

 朝も季節の後を追うように外に出て、何もすることなく散歩して帰った。今日も同室の人が退院していく。ぼくより一つ下で、よく喋っていた。なんだか、別れが苦手で、一時間の外出をして時間を潰した。その後、病室で本を読む。
 昼前に同室の人と喋った。なんてことはない話だ。世間話や天候の話、その人がその人である必要のない、当たり障りのない話たち。そして、ばらばらに飯を食う。
「じゃ、ぼく入浴予約入れてるから」
「あ、そうなんだ。じゃあね」
「その間に退院するかもしんないんだよな……。あの、ごきげんよう……。じゃねえわ、なんだっけ、あの、お元気で! お嬢様みたいになっちゃったよ」
「ははは、じゃあ、元気でね」
「おう、じゃあね」
 ぼくは部屋に向かう。昨日今日と次々と人がいなくなって、広くなった部屋に。
「あ、そうだ」
 背中から呼び止められる。
「あの、さ、楽しかったよ。短い間だったけど。ありがと」
「おう、ふふふ、ぼくもだよ。ありがと」
 そうして、ぼくは何回も後ろを振り返りながら手を振って風呂場へ向かった。ぼくは別れが下手だ。そして、彼も。昨日はあっさりとした別れ方だったのだ。昨日退院した人は「ここでお別れにしましょうかね」とだけ言って、エレベーターにいっぱいの荷物と共に帰っていった。別れがうまい人は強い。年の功なのか、ぼくらより一回り以上上のあの人はすっぱりと別れた。ぼくもそうなれたらと思うのに、そううまくはいかない。後ろ髪を引かれて何回も振り返る。そうして、ぼくの方を見なくなってからぼくは前を向く。
 もう会えない人をどういうファイルで整頓しておくべきかがわからない。忘れてしまうのが正しいのかもしれない。忘れようとしようとしなかろうと、どうせ忘れてしまうのだけれど。ぼくは最後という形が、もう取り返しのつかないというのが怖い。不可逆なものはなんでも怖い。ぼくらはまだ別れが下手くそだ。そのうち、もう会えない人のファイルは頭の中に収まらなくなって、片っ端から捨てるようになるのかもしれない。そうすることで別れがうまくなるのかもしれない。別れがうまくなるまでのかなりの間、ぼくは別れの度に感傷に逃げ込む。感傷はいつだって変えられる。感傷は治るから、簡単に傷がつけられる。感傷のためにこの文章を書いてる。