保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

失われた時を求めて(過去や不安のこと)

 なんだか落ち着かなくて頓服ばっかり飲んでる。何回も時間を確認しては「一時間後に飲めますからね」と言われる。

 ナースステーションに薬を貰いに行った。ナースコールに対応するナースたち。その中でひときわ大きい声が聞こえた。「そんな赤ちゃんみたいな声出さないの」この病棟にはぼくと同室のおっさんしか男性がいないので、ナースコールをしたのは女の子だろう。ぼくは女の子のことがわかった気持ちになって(こういう理解の勘違いは一番しちゃいけないんだけど)泣きそうになってしまった。ナースはコールを切って「びぇぇぇんって泣くから、赤ちゃんみたいに泣かないのって言っちゃったよ」と他のナースに向けて言っていた。ナースは笑った。ぼくは背筋を伸ばした。なるべくぼくの中の赤ちゃんがバレないように。

 

 ぼくの人生も、幼児性をイノセントと勘違いしたり、幼児性を愛される理由だとして行使したり、そんな感じに過ぎている。今でもたまに勘違いする。何回か赤ちゃんプレイの風俗に行ったしね。小学生か、中学生でこんなところに入れられて、ナースをママだと勘違いしてるんだろう。こういう、「わかるよ」的なことを言う自分にも吐き気がする。だからこの文章を読むなら、人のことを勘違いしている人間の一人称だと言うことを念頭において読んでください。ぼくも閉鎖病棟にぶち込まれた一年前、たくさん薬を飲んでいたから、イかれたということを免罪符に、幼児のふりをしていた。薬を飲むたびに「ねーねー、褒めて!」って言った。何人かに褒めてもらって、何人かに「はあ?」という態度を取られた。そりゃそうだ。不幸も、イかれてることも、不当も、自分の感情さえも、愛される理由にはなり得ないんだ。愛なき世界だ。ピーター&ゴードンのほうね。訳詞のサイト置いておきます。今読むとここ(病院)にマッチしてるね。

World Without Love - 愛なき世界Lyrics - 訳詩の世界

 

 例えば、不幸を語っても不幸だから何かもらえるわけじゃないしね。最近、羽川さん(最近よくブログに出る友人です。名前出てるの森とやっさんだけだと言ってたので出しました)に「たなかの見た目と書いてる文章のギャップがすごい」と言われ、そこから広がり、「幼稚性と耳年増」について考えていました。

 一般には不幸とされるか、悲劇のヒロインぶりやがってになるかわかりません。これは人を見て、自分のことを考えるオナニーだ。ナースコールを紅茶に浸ったマドレーヌにした自分の話だ。

 ぼくには弟がいる。もう実家に帰る限り見ないので頭の中からよく消えて、あまり語ることはないけど。弟が四肢の麻痺とてんかんを得てこの世に生を受けたことは、ぼくに凄まじい衝撃を与えていると思う。幼少期はぼくがまともにしていないと家庭が回らなかったし、まともにしてたら影の薄い子供だった。そうやって、なかなか親の愛情を受けられないというのが、ぼくの中で育まれてきていました。小学校も卒業に近づくと、太宰治NIRVANAで不幸の文脈に憧れていたというのもあって、その文脈で自分の人生を思っていました。太宰治は麻疹だから仕方ない。早くかからないとひどくなる。

 女性ホルモンを打ったのも、弟の影響とも言えるかもしれない。その当時のぼくの判断基準はイノセントかそうでないかで、イノセントであれば愛されると思っていた。この時は性愛も恋愛も親子の愛も違いがわからず、愛が欲しかったのだろうと思う。中学生の童貞哲学では女性はイノセントだから愛されているのだし、男性は汚い。と思っていた。さらに大人はもっと汚いと思っていた。もう声変わりは終わっていたから、髭が生えるまでもう少しだ。そう思うとすぐに薬を飲み始めていた。子供が作れなくなるというが、さしたる問題ではなかった。両親は問題のある家庭に生まれてきていて、うちも問題のある家庭だ。子供を作ろうとは思わなかった。連鎖だけはさせてはならない、と思っていた。さらに子供に障害があったら絶対に愛せないと思っていた。若さゆえなのか、今もなのかはわからない。

 それから、高校生になって、SNSが普及して、いろんな人間と関わった。自分が歳下なのは当たり前だったし、それが心地よかった。歳上からの愛に飢えていた。その頃から弟はぶん殴られていた。様々な悪さをするから、それは当たり前だと思っていた。何人かと疑似家族を形成しては、その度にままごとをして楽しんだ。

 それから、大学生になってまたそんな感じだ。二十も超えてアンファンテリブルであり続けたいなんて。それから赤ちゃんプレイの風俗に行った。

一回目

気うとい一日 - 保育所

二回目

明日天気になぁれと蹴ったビーサンは体育倉庫の屋根裏に - 保育所

 あと、ふと、出会った夫妻にくっつくように子供であろうとしたりした。でも、やっぱり甘え方がわからないんだよな。そして自分が何を求めてるのかも完全にわかってるわけじゃない。もがいてるだけ。そのうち、ぼくがここにいていいのかなって思ってしまってる。夫妻は離婚しちゃって、ぼくはまだ子供でいていいのかなって思ったり、どこかで友達という関係にならなきゃなのかなって思ったりしてる。遊びに行きたいな。友達でも、子供でも。ぼくは多分今年中にその夫妻がつけてくれた名前に改名する。

 

 ぼくはここ数年で、酒場で話すくらいの人生訓や悟りを得た。閉鎖病棟入ったり、冷静になったり、いろいろとね。これを読んでいる人は酒入ってないだろうし、酒飲んでも飲んでなくても、人生論なんてクサいし、自分の中の信仰にとどめるべきなんだけど、書きますね。

 人生はどこからどこまでを諦めていくか。っていうのが悟りなんだ。ぼくは死ぬのも諦めた。ぼくに死ぬ才能がないから。ぼくのこの幼児期への満たされない思いが満たされることはない。そういうものだ。あの時セカンドフライを落としたとか、そういう物事と一緒なんだ。もう同じ場面はこない。

 ぼくは思い出せる限り、三回かそこら自殺未遂して、やっとこうやって悟った。母性への思いは未だにある。半分くらいは諦めきれたかもしれないけど、たまに思い出してごうごう泣いてる時もある。改名だってするのは、そういう気持ちなのかも。

 弟を羨ましく思う自分と、弟のケツ拭いた自分が口論している時もある。無知や無垢になったら、ぼくの代わりに迷惑する人がいる。そう思う。それと社会的通念とかね。みんな少なからず、そうやって外面を形成してるんだろう。

 

 電話口の女の子が誰であれ、何もいうことはできないししない。でも、ふと、鏡に映し出されたみたいでびっくりしてしまったんだ。いつか、ぼくらは大人になれるのかな。中学生がそういえば様になるけど、ぼくはもう二十三だよ。参ってしまう。室町時代のかぶき者は「生きすぎたりや廿三(二十三歳はもう若者ではない)」なんて言ってるし、でも若者をやめられない。ましてや赤子から引きずってきてるんだ。どうしたらいいのだろう。救いはないというのに。不幸はやはり愛される理由にはならないよ。少女に年の功で教えられることはないよ。物事はいろんな場所から見れば見るものが違うから、自分の悟りは人に効かない。自分の悟りは「こっちからはこう見える」でしかない。ほかの人には「いやいや、そうは見えない」でしかない。自分の答えを見つけ出すのは自分でしかありえない。

 

 家に帰ると、弟はぶん殴られている。仕方ない。そうする他ない時だってある。弟は薬の影響で喉や頰や鼻の下に髭が生えてる。いつのまにかオナニーだって覚えた。オムツの中に手を突っ込んで精液を出してる。どこが無垢? どこがイノセント? 中学の時のぼくの理論なら、イノセントさを失ったから殴られている?

 ぼくはあんまりオナニーしない。ホルモンかうつのせいか。まだ髭はほとんど生えてない。ムダ毛は処理してる。まあ、親とは普通に話せるくらいには仲が良くなった。たぶん、生活の面での関わりあいがなくなったからだろう。それに、両親は老いはじめている。

 そんな、寓話性のある兄弟になってしまった。なにも得られる教訓はないけど、絵本みたいにうまく収まったのではないかと思う。

 

 

 ナースに「退院大丈夫?」って聞かれた。あと一週間。延ばさないか? ということだ。抗うつ薬の効果が出る頃に退院予定だ。しかし、ホルモンを打ちに行きたいし、長期の入院のためには錠剤のホルモンも買っておく必要がある。

抗うつ薬も不安だから、一旦退院して、ホルモン打って錠剤もらってきてまた入院したいですね」的なことを言った。これが本心なのかわからない。入院日数短いですね、と言葉の裏を嗅ぎとり、変に思われないために言ったのかもしれない。でも、外でうまく生きていける気がしない。一人でいたら怖い。ここは何も無いから、生き延びてはいられる。だけど、ここは死後の世界みたいに何もない。穏やかすぎる生活。慣れちゃだめなんだよね。

 でも病院じゃできないことで、すごいやりたいことがない。今少し鬱に入ってるから、帰ってもギターも弾けないと思う。それならどうせなら入院してたほうがいいんじゃないかな。いつ入るかわからないけど、また入って仮死の世界を漂ってたほうがいいんじゃないかな。人がいないって怖い。病院では誰とも喋れないくせにね。

 初めは人がいる中の孤独の方が辛いって言ってたのに、もう慣れてひとりぼっち怖がってる。人のいるところの置物になりたい。誰かに危害加えないくらいの社交で愛されていたい。