保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院十六日目

 朝起きたら憂鬱はなくなっていた。いつものようなまっさらな白痴の気分で、眉をひそめて窓を眺めた。ぼくは眉をひそめる癖を作っていた。眉をひそめて、目を開く。ある程度、自分の動作に演技性を被せとこうと思ったのはいつだったか忘れたが、最近ではなんにも考えずに癖が出るようになった。眉がひとりでに動くし、唇を突き出す時もある。たまに腰が痛いふりもする。腹は減っていないが、飯を食べる必要はある。一日三食は明らかに多すぎる。飯を食う。病院ではもう詰め込むというより、整理整頓してる感じだ。適当に入れたら入らないものを、畳んで入れている。それだけだ。咀嚼。

 単純な話。退屈に頼るだけの力が切れていたんだろう。ひとりで本を読む、ひとりで音楽を聴く、ひとりでゲームをする。そういう物事にもパワーがいる。特に病人には。そうなると、どうしようもなく受動的になるか、病むしかすることはない。典型的な二十一世紀病だ。物事はより簡単になるが、生きるのはより困難になっていく。ネットを見て、買うものがないことを確認する現代病を一通りこなした後、スリッパのまま病院の外に出て、ドクターペッパーを買った。現代には無駄遣いが必要な時もある。それから退屈に頼って本を読む。数十ページ。

 

 朝にナースがやってきて、脈が早いことを理由に手首を握った。可愛いナースだなと思った。結局、彼女がしたいことは脈の確認ではなく、手首に包帯が巻かれているかの確認だった。昨日は、あまりにも取り乱しすぎていて、手首を切る方法をナースに伝えていたのだ……。

 それから医者と昼過ぎに面談。さしたることはない。退院日の確認。決定。気分。以上。

 

 わりかし、これは入院するたびに思うのだけれど、もう少し接触を増やしたら治るのではないかと思う。人の孤独は接触のなさから現れる。まあ、不必要に汚い男に触れたくないだろう。同室には太った中年男性が新しく入ってきた。中年男性たちが揃って歯磨きの後に嗚咽を鳴らしているのを聞くと、嫌悪を超えて悲しくなってくる。ぼくはほとんど手当のために手首を切ってるのかもしれないな。ほとんどは言い過ぎても、一因はあるだろう。

 明日は羽川さんと遊ぶ。絵を観る。