保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院二十日目

 調子が悪いのか、本が合わないのか、ページを繰る指がもつれる。

 昨日、ミシェル・ウエルベックの『プラットフォーム』を読了した。面白かったが、元々ウエルベックのそういう面が好きにしろ、露悪的すぎた。悪趣味というか、読者をげんなりさしてやろうみたいなグランギニョル感があった。あとがき読んで気づいたのは、ぼくがこの作家読む度に冴えない村上春樹みたいだなと思うのは女性の書き方によるのかもしれないということ。ウエルベックは孤独の書き方がうますぎて、読んでると人に会いたくなる。何にしろ、人を動かすというのは作家の力だ。サンドイッチを食べたくなるとか、セックスしたくなるとか、いつもと違った服を着たくなるとかね。ウエルベックは孤独の書き方が上手いけれど、孤独をプラスに考えたりはしない。孤高ではあれないという弱さがウエルベックの魅力だ。読者は孤独に打ちのめされる登場人物を見て、共感したり身につまされたりする。あまりにも冷笑的なジョークにやられながら、確かになと笑う。綾小路きみまろ毒蝮三太夫的とも言えるかもしれない。

 

 今はシャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ・オハイオ』を読んでいる。アメリカ文学に多大なる影響を与えたらしいけれど、これ以前のアメリカ文学を読んだことがないのでピンと来ない。なんだかジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』っぽいなと思った。逆か。

 

 今日は幸いか友人からよく連絡が来た。午前中に小学校の頃からの友人から連絡があって、「最近どう?」と聞いてきた。ぼくはちょっとこういう連絡に気後れしちゃうのだけれど、今回は胸を張って「本読んだり、本書いたり、楽器やったり、バー行ったりしてるよ」と言った。いつもはみんな充実してるのが当たり前に思えて、なんだか「最近どう?」と聞かれるたびに落ち込んでいたけれど、最近のぼくは間違いなく充実していた。これも周りの人のおかげである。この友人はぼくに本を勧めた人で、それからまわりまわってぼくは本が好きになったし、今も本を介して話すことができる。感慨深い。それに彼はぼくに「才能がある」と言った初めての人だった。彼はあまりにも臆面もなくそれを言うので少し恥ずかしくなるけれど、ほとんど彼のおかげで物を書いたり楽器をやったりするようになったのだ。感謝しかない。今でも彼はしょっちゅう「すごいな」と言ってくれ、その度に襟を正して頑張ろうと思う。「近いうちに実家に帰ってくる?」と聞かれたが、帰る予定もないので、「帰ったら話そうな」と返した。少しでも求められているのは嬉しい。

 

 それから、高校の同級生から連絡が来た。初めは高一の時、近くの席になって音楽の趣味が合ったのだ。そして話すと中三の時に同じライブに行っていたことがわかって、それ以降、センスを信用できる友人の一人になっている。電車が一時間に一本もない田舎で、しかも県外のライブに行っていたなんてほとんど奇跡に思える。それからなんだかんだ連絡を取り合って、高一が十五歳だから、もう七、八年だ。年月が流れるのは早い。高校の頃、つるんでいた友人たちの数人は連絡も取らないしツイッターも知らない。だから、こうやって今でも話せる人を大切にしなきゃな、と当たり前のことを思う。ツイッターでかつての友人を検索してセンチメンタルでいっぱいになるのはもうやめよう。

 元同級生は一緒に高円寺に行かないかということだったが、残念ながらまだ入院していて、長い外出には前日までの届け出が必要なので行くことができなかった。それを説明してまたの機会に遊ぼうとなった。あとドレスコーズの志磨遼平が色気の塊だという話をした。高校の頃はそういう話をしなかった(単純な音楽の話だけをしていた)ので、仲が深まった気がして嬉しかった。

 

 そして、一人を高めるための無駄遣いをしそうになったので、羽川さんに連絡した。行動的で外へ向かうタイプの人だから、振り回してもらえるととてもありがたい。それまでぼくは一人で「外出した時の思い出を撮れたらな」とか思って、カメラを見たり、「一人で録音できたらな」と録音機材を見たりしていた。自分に物より先に行動をしろと言いたい。今は一人で趣味に耽るより、複数人で笑いたい。そのほうが趣味にも力を向けることが出来る気がする。それに、一人でいる時の過ごし方ーー例えば音楽や本ーーが人を見る目の素養になっている気がする。入院して三週間、いろんな本を読んだ。音楽も聴いた。次は人だ。

 

 いろんな人間と「また今度」の約束をしたから、早く退院したい。あと二泊だ。もう少し。最後の風呂を済まして(日曜は入浴ができない)、荷物を少しまとめた。気が早いかな。少しそわそわする。生活が楽しみだなんて、素晴らしいことだ。