保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院二十一日目

 何もない一日だった。明日を待ち遠しく思っても、明日は退院以外何もない。でも入院してても何もないから、外の方がまだマシだと思う。そして、そう思うための入院だ。

 明日は何をしようかなと思う。久しぶりにそう考える。そうなるのが健康な人間かもしれない。

 

 今日、起きれたことに驚いた。早起きだとかではない。昨日、退院まであと二日だと思い続けていたから、明日退院になると思っていなかった。ずっとあと二日でループしていくものだと、半ば本気で思っていた。カーテンを開けられて、陽の光がぼくに射し込んだ。そうやってぼくは今日にたどり着いた。同室のおじさんが独り言を大きな音量で言っている。「今日はきつい」らしい。誰かがきつくて、きっと誰かが幸せな十月二十一日。そして明日は誰かがきつくて誰かが幸せな十月二十二日。

 おじさんが指でビートを刻んでる病室を逃げ出して、カフェでぼんやりしている。明日はこの時間には外だ。あと三十時間、二十時間とカウントダウンを頭の中で計算し直して確認する。また外に出て、くだらないものに金を使い、くだらない話をして、ぼくのくだらない愛をばらまきたい。くだらないものこそが人生かもしれない。そしてそんな繰り返しを愛せるならそれほど素晴らしいことはない。抗うつ薬か、アッパーな幸せの文章ばかりになってしまう。

 小学の頃からの友人が暇な日を聞いてきた。入院の時にある程度書き終えた自伝は数十冊刷って文庫本にしようと思っていたけれど、そんなに長く書けなかった。ブログ記事を含めても原稿用紙百枚いくかどうかの人生だった。でもブログ記事を含まない原稿用紙六十枚分をまた消してしまうのは惜しいので、羽川さんに見せた。いつも、始めたり終えたりを繰り返して、紙が燃えるゴミになったり、データを跡形もなく消してしまうから、それまでに見せておきたかった。

 昨晩、羽川さんはぼくのジョークをTシャツにしようと言った。言葉だけだと恥ずかしいし、説明にぼくの名前がつくものがダサかったら嫌だから、必死にデザインを考えた。そしたら自信作にドン引かれた。まあ、いいや。ぼくはこれなら作ってもいいかなと思っていたのだ。なのでこれを押し通したい。元気に溢れてる。まあ、退院するから当たり前か。

 

 明日も何もない一日を感傷まみれにして、文章にしていく。世間の人々が求めて彷徨ってるのは自分の感傷と素晴らしいライフハックだから、ぼくの感傷とくだらない日記はここにひっそりと連なっていくだけだ。それが生活なのかもね。