保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

退院

 荷物が多くなって、スーツケースに入らなかったコートを着たら額に汗をかいた。

 夜中はうまく眠れなかった。同室のおっさんが鮮明なおならやいびきをしていた。こんなに騒音を通るように鳴らせるなんて、50周年リマスター版かと思った。マスタリングが施されてるおならだった。あまりにも通るのでまじでびっくりした。おっさんは起きててもおならを平気でするので、どういう神経してるのかわからない。ぼくだったら恥ずかしくて音を消す。消す技術がまだぼくのアナルにはある。再生した処女膜でおならの音を消す。何の話だ。

 

 なんだか、いろんな人に話しかけられた日だった。みんな会話の糸口を探っていたのかもしれない。朝、いつも元気なおばさんに「おはようございます」と言われ、返したところ「いつもさわやかだね〜」と言われた。ぼくは適当にはにかんで「そうですかね〜」と言った。最近、年上の方にさわやかと言われることが増えたので、アイデンティティが崩壊しかけている。

 荷造りをして、コートと暖かい帽子を被ってナースに見送られていると、病棟にいたおばあさんに「あら〜ハロウィンには早すぎるじゃないの〜その帽子〜」と言われた。ぼくは適当にはにかんだ。「そうですかね〜」

f:id:freak_tanatra:20181022165145j:image

 

 エレベーターを降りると、ちょうど一番うるさかったおじさんがエレベーターに乗るところだった。

「あれっ、今日退院ですか?」

「そうなんですよ〜、ありがとうございました」

「お元気で〜」

「あはは、ありがとうございます。それじゃ」

 すべて、過ぎ去ってしまった。だから、そんなひとつひとつの会話が愛おしく思えてしまう。家に帰って、荷物を全部解いて、スーパーに行って豆腐と食パンを買って、洗濯物を回してしまうと、すべての物事から遠ざかった。なんだかさみしくなってしまうけれど、さみしかったり愛おしかったりを遠ざかってから思うというのはただのエゴだ。感傷に操られたただの一過性の気分だ。一人の部屋に戻ったら、ギターを弾こうと思ってたのに、布団に横たわっている。眠れもしないな。過去が懐かしくなって、今現在から未来を待ち遠しく思っていくんだ。生活というのは。

 

 ずっとひとつのフレーズだけが思い浮かんでいて、曲名を忘れた曲を思い出せた。それを聴いていたら、去年も同じ時に聴いていたのを思い出した。過ぎれば懐かしくなるだけの生活に戻ってきたのだ。飲み込んでからしか味がしない生活に。