保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

生活ごっこ

 昨日はずいぶん混乱してしまい、久しぶりに家で酒を飲んで寝た。一人酒とオーバードーズは個人的に似たところにあって、分かりやすく不健康だったり、落ち込んでいるときにすると(個人的に)決めている物事を行うことで自分のムードを決めて生きることができる。混乱しないで済む。

 酒を飲んで寝たら、当たり前だけれど朝で、なにも考えずに食パンを焼いて食べたら変な味がした。たぶん、病院食に慣れたのだろう。でも、朝起きた場所と眠る場所が同じということに混乱が収まってよかった。病院を入って出たら秋も深まって寒いくらいだ。去年もそうだったな。ぼくは寒い季節が大好きだから、なにもないのに高揚して、早めに外に出て用事を済ませたりした。趣味より生活を。最近のモットーだ。生活は態度だ。生活は思想だ。だから、生活にはなるべく誠実でいたい。強くそう思い、こたつをAmazonで注文した。見慣れない生活に身を入れようとしている。

 

 電気代を払って、病院に行くために電車に乗った。いつも早く着きすぎてしまうので、丁度着くように駅のホームでぼうっとした。冬ごっこをしたくなって、缶コーヒーを買って手を暖めた。少し小さいコートを着てる。身を縮めてホームに見えるように作られた看板を睨んだ。昨日重い荷物を運んだからか、無駄に歩いたからか、節々が筋肉痛だった。

 病院では改名のための診断書をもらった。ほとんどがトランスジェンダーの待合室では、年配の人が(娘だろうか)若い女性に叱られていた。診断書に書いた内容としては、「日常生活を女性として過ごしているために改名が必要」ということらしい。女性としてどころか、生活自体に慣れない。名前を変えた時やそれこそ本当に女性として過ごす時、その度に慣れない生活に一喜一憂して慣れていくんだろう。

 それから乗換駅で楽器店に行って立ち読みをした。女子高生がかわいかった。目の前にいた人が血文字でPEANUTSと書かれた服を着ていて欲しくなった。人々の秋服が格好いい。いろんな事が新鮮に映るから、ぼくはきょろきょろ周りを見てしまった。なんでもよく見えて特筆に値するから、この記事だって『ユリシーズ』的冗長さに足を踏み入れている。

 帰りがけに一人暮らしじゃ食べきれないほどのじゃがいもと玉葱とピーラーを買って帰った。何を作ろうか悩んで、結局昨日買った材料でもやし炒めを作った。なんだか、こんな記事は夏休みの絵日記的で、一日一日の差異を細部に渡って書きつらねた挙げ句にどの毎日もしらけてしまうのではないかと思う。でも、差異が輝いて見える日だってあるのだ。退院したからでもなく、急にすべてを忘れたかのように新鮮な日が。ぼくはそういう日があるから生活を行えるような気がする。たとえば音楽、本や映画もそう思わせてくれる。イヤホンで音楽を聴きながら、BGMに合う役になってみたりする。ごっこ遊びのように日々から日々へ新しい毎日を渡っていく。人から見たらくだらない、幸せな白痴のような一日だった。