保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

眠るまであと何ミリリットル

 酒を飲んでいる。あまりにも毎日ネット生放送をしても喋ることはないし、酔っ払って自分の顔と向き合ってると自分にキスをしそうになるから今日はやらないようにしたい。酒があると何も考えずに飲んでしまうからいけない。辛くもないけれど、自我をボヤけさせて鏡か地面にキスをしそうになる。

 自分の書いた昔の記事を読んでいると、なかなか良いことを言っていて、賞賛を送りたくなる。自分に対する距離の遠さがぼくにはいつもあって、そのせいで自分に対する不理解が調子によって高まったり低まったりする。記事によっては冷笑がひどくこびりついていて、少しひやりとさせられる。ぼくはある程度、性善説を信じているから、冷笑はポーズというか人と会うのに必要な格好つけだと思っている。人はそんなに悪くないんじゃないの、というのがぼくは常に思っていて、特に人が「思ったよりぼくは悪い人だよ」などと謙遜する時に、性善説を感じる。冷笑や悪さは身に付けるもので、本質ではないと思っている。だから、逆にぼくは文章を書く時に悪ぶる。パンクスが唾を吐くように、ぼくは文章を書く。セックス・ピストルズのライブでは親愛の情として唾がステージに向かって吐かれていたという。それではやはりダメだから、愛を伝えられたらいいなと思う。パンクスからヒッピーへ、ラブアンドピースでありたい。こんなことを思えるのは、酒を飲んでるからではないとありがたい。こんなことを言えるのは、酒を飲んでいるからだけれど。愛してますよ。人類。