保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

日記

 飲みすぎて眠ったのか倒れたのか、夜中に気づいたらゲロに顔をつけてぶっ倒れていた。血まみれというにはそんな血まみれでもないけれど、ちょうど自分がよく寝てるあたりに血がこびりついていた。腕に包帯が下手くそに巻かれている。こたつの敷布団が一気に汚れて、どちらかというとそっちに落ち込んだ。腕は木を隠すなら森的にどうやっても変わらないのであまり気にしなくなった。それに数年経てばケロイド以外は白く薄れていく。とりあえずティッシュで髪の毛のゲロを拭いて、こたつの敷布団も雑巾で拭いて、ファブリーズをかけて寝た。

 

 めちゃくちゃAmazonでこたつ布団を検索した記録が残っている。朝起きたら九時だったので、下手くそにやたらめったらにテープやら包帯やらが貼っている自分の腕が恥ずかしくなって病院に行った。きっと頭の回っていない状態で混乱している自分が頑張ってたのだろう。微笑ましい。寝間着のまま外に出てから、自分が風呂に入ってないことに気づいて恥ずかしくなった。家に帰るまで、自分がゲロの臭いがすることに気づかなかったのは幸いだった。さらに言えば袖口が血で汚れていた。めちゃくちゃ混んでいる病院でも自分の両隣が空いていたのをぼくは不思議に思いながら、爆音でサイケバンドを聴いていたら「イヤホンをしてください」と注意された(イヤホンついてると思っていた)。確実に会えるタイプのキチガイになっている。ぼんやりとテレビを見てると名前を呼ばれ、手を挙げて診察室へと急ぐ。

 医者は老人で、明るい性格だった。「おいおい〜、どうしたの〜」みたいな感じで話をしてくる。地元にいた外科医もこんな感じだったなと思って一人で笑った。地元にいた時は外科が最寄りになく(田舎の人間は腕の一本くらいなら勝手に生えてくるため)、一時間に一本の電車で三つ先の駅まで行って、縫合や消毒をしてもらっていたのだ。医者は麻酔をして縫っていく。麻酔をすることに驚いてしまった。田舎では麻酔をされなかった(田舎には麻酔というものがない)ので。あまりにも長い間縫ってるので、眉間に皺を寄せたまま何も考えずにいたが、医者がめっちゃ話しかけてくる。

「地元どこよ」

「えっ、千葉です」

「千葉か……。こうなってるの親御さん知ってんの?」

「いや、まあ……知ってるんじゃないですかね(前に救急搬送された時に親に連絡がいったので、それを危惧して嘘をついた)」

「ふーん、何年生よ」

「えっ、二十三です」

「あっ、何してんの?」

「何もしてないです……」

「病気よくなるといいね」

 そうして聞くこともなくなったのか、押し黙り、ぼくは目を瞑って縫合の終わりを待った。終わると思いきや糸が足りなくなったらしく、新しい糸を持ってきた。結果、二十三針縫った。明日の午前中にまた来て消毒を受けてくださいとのこと。薬局で薬を待ってる時に、自分の歳と縫った針の数が同じということに気づいた。去年は十八針(首)と何針か(手首)だったな。なんだか符合が面白くて一人で笑った。特に手首を切った理由や、去年首を切った理由はないのだ。躁鬱の転換地でぼくは手首を切りやすい。そして、周りが思ってるよりは切っている人間はそんな重いこととして捉えていないことが多い。ぼくも転換地に来たらやってしまうというだけ。手首を切った後、なんだか感情の発露が済んだ後だからか、頭が冴えるというか、フラットな気持ちになれる。ガラスの曇りが取れていく感覚に似ている。

 家に帰って、手首を濡らさないように風呂に入って、思いついて改名への手続きを進めた。郵便局に行って書類を送る。洗濯をして、パン屋に行ってパンを買って食べた。パン屋のパンは人を幸せにする成分があるから合法ドラッグと同じ立ち位置にあるなとか考えた。この一日が始まった時はゲロと血にまみれていた人間がなにを普通に生活してるんだと思って笑った。幸せな一日でした。