保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

日記

 ここ数日の記憶がほとんどない。どう過ごしていたのかと思うが、きっと過ごすと言えるほどの何事もなかったのだろう。過ごすというよりやり過ごす、そんな、生活に対して誠実ではない態度で数日をパスして、二度寝から起きるみたいに思ったより過ぎている時間に対して様々なことを思う。

 明日は最高気温が十四度らしい。天気予報がぼくの社会との接点だから、天気予報ばかり気にしてしまう。徐々に冬になっていく。思ったより冬の足が遅いことに腹を立てていると、すぐに秋が去ってしまう。終わってから全てに気付く気がするのは、もう答え合わせがなくてバツをつけられないからだ。すべての解答欄を感傷で埋め尽くして何かあったような気持ちになるけれど、やはりそれもやり過ごしているだけで嫌になる。

 ネットを見ていたら、落ち葉で遊んでいる記事が出てきた。そうか、もう葉っぱは落ち始めてるのかと思う。冬になって裸になった木を見て、思ったより過ぎた時間に混乱させられないように外に出た。隣駅の公園に行くと、日曜日だからか家族づれや何かを観察しているらしい老人たちで溢れていた。数ヶ月夜にしか公園に行っていなかったので、公園に子供がいるのかと当たり前のところで驚いた。公園は木陰ばかりで、数日前に降った雨が落ち葉を腐らせて、土との境目を曖昧にしていた。なんとなく誰もいない場所で木にもたれてみる。涼しい。こういう時に煙草でも喫む人なら座り込んでても何もおかしくないのかなと思う。三人目の通行人と目があったので、立ち上がって歩きまわる。懐かしいことばかりだ。桜が咲いていた頃に散歩して、公園にある売店で酒を買うか悩んでいた。夏になって秋になったけれど、未だにそこで酒を買ったことはない。まあ、何にせよ季節を感じられるのはいいことだと思いたい。毎回何かを失った気持ちになるマスターベーションクリシェでも、溜め込むよりは幾分かマシだろう。感情に慣れていかないと。どうせ病気で感情が溢れるから、備えていかないといけない。