保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院日誌(11/18~11/27)

入院の時、暇に耐えかねて、もしくは物事を整理しようとしていたノートの中身をここに写す。

 

11/26

(18日に風邪薬を大量に飲み、救急へ。そのまま19日に精神科閉鎖病棟入院し、24日まで身体拘束される。これは26日にボールペンとノートを買い、18日からを思い出した文章)

 昨年風邪薬を飲んで担ぎ込まれた病院に、風邪薬を飲んで担ぎ込まれた。去年は八十四錠、今年は九十六錠。薬は違うが。意識が途切れる前に、カプセルが溶けて胃液と混じった白い錠剤が口から出てきた。

 何事もこうして書き起こしているのは「幸せになったら駄目なチキンレース」という「表現」の場の中で、幸せになっていないことを誇っていたいだけなのかもしれないと思う。しかし、幸せになる以外の方法で脱落するのは馬鹿らしい。

 記憶があやふやになっている。長い長い夢のような気もする。子供の頃の、生まれた瞬間の記憶か、目の前の記憶かがわからない。天井を見ている。「あー、生まれちゃったよ」「何言ってるか、わかりますか?」えっえっ、やり直し?人生とは生まれてから二十数年をループするということ? 人か神がなんか言ってる。人はぼく以外いないのかもしれない。時計の部分みたいに、しょうもないことをずっと繰り返してる存在もいるのかもしれない。みんなそうとも、自分がそうとも思いたくないけれど。

 気付く。気付くと男が話しかけてくる。「このライン、誰?」「これは森、友人」「これは?」「これは羽川さん。バーで会った」十何回か繰り返し、その中で男が「親が見つからねえよ……」とつぶやいた。そのうち、両親に辿り着いて、妄想と救急車が走り出す。こうしていると、自分に責任を持ってくれる人が少ないことに気付く。親は貧乏くじを引いたな。誰かぼくという貧乏くじを貰ってください。尻を拭ってください。

 気付く。気付くと男が話しかけてくる。狼狽しきっている。

「あ、あの、今はいつですか? ははっ、今はいつですかって言うのもおかしいかな。今はいくつですか?」

「11月18日」

「あ……19日です。どこだかわかりますか?」

「練馬」

「あ、ははっ。それは、それはそうなんですけど、どこ病院かわかりますか?」

「N病院……」

「あっ違います……」

「Y病院」

「あっ、正解ですー」

 男はいつも笑っている。助けてくれとも思えないほど弱り切っている中、意味のあるのかわからない問答を何回もやった。手を動かそうと思ったが、ある程度のところで手が止まる。足も、腰も。歯が勝手にうごく。「あ」と言いたいのに「えぅ」になる。そのまま歯が歯を押しつぶそうとする。ゆっくりのスピードで、万力のように顎が閉まる。助けて、痛い。と言いたいのに、口を自由に動かせない。看護師に助けを求めると、看護師は深刻な顔をして、汗を拭いてくれた。どうしようもないのだろう。看護師は同情の目線をくれて、立ち去ってしまう。体が勝手に動き、歯が自分を砕こうとする。助けてと身をよじると、体が思ったよりもずっと動く。手首や足首でもがこうとも、拘束されて動けない。「ふあえええええええ!!!!」と母音も子音も何もない助けてを言う。口も舌も自由に動かない。汗をかく。叫ぶとナースがやってくる。どうしようもないことを悟る。汗をかく。汗を拭かれる。

 だるま状態になってどうしようもない。飯はミキサーにかけられたものを口に入れられる。自分のペースなどない。「ふっ」や「あっ」でいるいらないのコミュニケーションを取る。じょうろのようなもので口にお茶を流し込まれる。汗がピンボールみたいに痛みに張る目に入りそうになる。そうして五日過ごす。

 三日目には浣腸もした。元々オムツをされていて、痛みに失禁することはよくあったが、うんこをしていないという理由らしい。浣腸をされて、ケツを拭かれるのは思ったよりも屈辱だった。

 徐々に痛みも取れ、身動きが取れる時間も増えてきていた。時間を長く感じなかったのは、身体がどうしようもなかったからかもしれない。拘束が取れると暇との戦いになってくる。

 ゆっくり体を起こすと、介助と一緒に立ち上がる。そして、トイレまでの数歩を歩いて、排尿する。五日ながらすっかり弱まった身体を実感する。どうしようもなく一人になると、とりあえずずっと歩いた。半径二メートルもない部屋を。歩けるようになった喜びなどではない。こうする他ないのだ。夜になっても歩き続ける。暇で押しつぶされる重圧から歩いている時だけ楽になった。

 眠れないのも困った。一晩中、トイレのあたりにずっと灯りが着いているので、四畳半もない部屋では眠れるわけがない。眠前に睡眠薬もなく、医者は土日祝とやすんでいる。することがないため、夕食後の薬を飲むと電気を消して貰っていたが、頓服の睡眠薬が貰えるまでそこから三時間ある。それに三時間後に飲んでもすぐ眠れる訳ではない。結果、八時から十二時までずっと布団と格闘する羽目になる。一回寝ても一時間で起きる。寝たことで変に頭が冴えて、「これは布団をメタファーにした文学劇で、私は客を満足させなければいけない」などと意味不明なことを盲信している時もある。

 部屋の外に出るまでが長かった。医者と会うこと自体、土日祝を挟んだせいで少なかった。三日を間に開けて会った時にはまた聞かれた。

「今日はいくつですか?」

「二十六日です」

「おー」

 正解できるくらいには気を取り戻していた。

「食べ物のきざみをやめて貰っていいですか?」イエス

「家から何も物を持ってきてないので持ってきたいです」ノー。

「この部屋に病棟の本を持って入ってもいいか」イエス

「二十八日に名前を変える裁判があるので、外に出してください」ノー。

 そのかわりか、病棟のホールに午前午後一時間ずつ出してもらえるようになった。久しぶりに人と話す。

 風呂に入ることになる。ゲロを吐いた服か病衣しかなく、まだ病衣しか着れないが、服がないことが病衣を着なくても済むようになると問題になる。ロッカーを初めて開くと、実家の両親から送られてきたスリッパ、パンツ、シャンプー、リンス、バスタオル、が入っていた。病院から入院の連絡が来て、急いで買ったのだろう。

 今日ホールに出て患者と話してみた結果、あまり悪い人はいないように思えた。話しづらくても、話せるだけで御の字だ。暴力がない患者というだけで平穏だ。

 

11/27

 今日医者と話した結果、今回の入院は解毒の入院なので、外出できるようになったら退院とのこと。ホールに出る時間は二時間ずつに。