保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

入院日誌(12/10〜12/11)

 九時間眠る。今日はおそらく退院の日程を決める。

 退院の日程が決まる。しかし、朝に医者と話すと木から土曜の間、夕方に看護師が「退院の日程が決まりましたね」と言う。「えっ、いつですか」「先生から直接言った方がいいかな」と教えてくれない。

 なににしろ退院も決まり、話すこともなく、仲良い人に半生を面白半分に語ると「大変だったんだね」「それは虐待やネグレクトだよ」と言われる。大変とは思いすぎて麻痺してしまった。中学の時に気付いて、着古した不幸は今では昔よく着ていた服のように見える。だから笑えるけれど、病気だけが癖として残り、今着る不幸を探し出してしまう。自分の人生は自分しか経験しないから、みんな違う人生で同じ量の違う不幸をそれなりに生きてるのだと思うが、もしそうでないのなら、違う幸福を生きていることにもなる。その事実だけを見つめる。

 

 おそらく自伝には書いていない過去を思い出したので書く。

 

 小学生の頃は障害者の弟をオムツ替えする時に暴れる弟を抑えつけていた。抑えつける係だった。

 

 中学の時に、ライブに行きたく、そのライブが富士急ハイランドであったので、隠れて行こうと思ったが、親が定期的に子供の持ち物を隠れて漁る人間だったのでバレる。プチ家出などもして、どれだけ自分が我慢しているのかをぶちまけると、親が富士急に連れていってくれると言う。それを待ち遠しく思っていると、ライブの前日に父親に「お前を明日ライブに連れて行くよな」と言われる。「はい」「だから俺の行きたいところにお前を連れて行くのも許されるよな」「はあ」寺に行く。複雑な道を行き、徒歩で帰れない寺に連れて行かれ、住職、住職の嫁、父親、が密室で地獄についての話をするのを聞かされる。で、最後に「どうする? 入るか?」と言われる。入らないと明日険悪な仲すぎるし連れて行ってくれなくなるので、宗教に入る。実家に帰ると母親が無宗教なので、家族喧嘩になる。死にたくなる。

 

 大学三年に上がり、鬱もひどく、往復六時間かけて実家から大学に通っている(監視しないと気が済まないタイプの親だったので)と、父親が「どうせ卒業できないなら大学を辞めろ」と言う。父親にありがちな発破のかけ方だった。「卒業するために頑張ります」と言わせ、父親の意思に反抗していると言う形で父親の意思に沿わせようという意図はわかるものの、それをすると表向きはわがままを言っていると言う形になり、親がぼくを言葉で殴る理由になるので、大学を休むという形をとった。休学のための金額は四十万だった。わざわざ大学の事務に休学届をもらったり、親身になってもらったが、金額を見て父親が「お前もう大学辞めろ」と言った。もう何も考えられず、反抗するという考えも思い浮かばないので「はい」と言って大学を辞める。借金が四百万以上残る。辞めた後に母親に「あなたの意思で大学を辞めたんだから、父親を恨まないことね」と言われて頭をひねる。死にたくなる。

 

 大学を辞めた後に祖母が家に来て、「蕎麦を食べよう」と言う。田舎だから蕎麦屋まで遠いだろと思って外に出たら、祖母の友人の車があり、車に乗せられると、祖母の友人が「会報をコピーしなきゃいけないから会館行っていい?」と言って、創価学会の会館に行く。入信を迫られる。断る。死にたくなる。

 

 実家にいると父親と喧嘩になり、「もう死ね!」と言われたので首を切る。救急搬送されたら母親になぜそんなことをしたのだとキレられる。そういうことがよくある。今入院している患者に、「父親が回旋塔から手を離して吹っ飛んでいった弟(発達障害で、回旋塔が回っている時にはしがみつけば怪我をしないということがわかっていない)に『なんで手を離すんだ』と心配もせずに叱った」という話を聞かされ、そういう感じだなあと思った。最善策がわからなかったことを叱られる。父親が流石に申し訳ないと思ったのか、眼鏡を買ってくれる。青山にしかその店がなく、青山に行き、その帰りに父親が秋葉原に寄って、JKカフェに入って無銭で女の子と話して帰るのを傍観する。

 

 たしかに、着慣れているから何も思わないけれど、頭がおかしい。話してみてから、自分の家庭がおかしく、自分にアダルトチルドレン的な性格や思考があるとわかる。あまり誰に話しても解決法を言ってくれるものではないから、奥底にしまいこんでいたが、この生きづらさは生育環境によるものが多いかもしれない。情報通の患者に相談窓口を聞く。そこがダメだったらカウンセリングでも受けて、考え方の癖とそれとの向かい方を学ばなければいけないなと思う。