反日常系

日常派

小説

 借り物の軽トラックは乗り心地が悪く、慣れない座席に体を預けると、必要以上の力に押し返されてまた心地の悪い姿勢になる。眠ることも叶わず、横を見れば流木に髭を生やしたような父親が不機嫌に前を睨んでいるだけ。

「お前は一体なにがしたいんだ」

 下らないくせに重大な質問を何回も繰り返される。俺が何をしたいと言っても馬鹿にされる。この何を答えてもいいような質問の意味するところは、父親の望む答えを出さなければ馬鹿にされ、詰られ謗られ殴られるということ。こういう問答を生まれてからずっと繰り返しているから、何をすれば怒られないかはわかっている。無言で、相手が満足するまで爆発するまで待つしかない。質問をされるたびに阿呆になり白痴になり、向こうが白痴を見て優越感に浸るのを待つしかない。

 トンネルに入ると暗くなって、窓ガラスに自分が映った。血色のいい顔が窓ガラスを睨んで鬱屈としていた。睨む目に父親の面影を感じて、遺伝を感じた。

 この軽トラは祖母の家に向かっている。先月、祖母は死に、さしたる感慨もなく灰になっていった。祖母の家は物で溢れているらしく、父親と俺の二人で遺品整理をしなければならない。祖母は父親と叔母を産んだ後、祖父と別れた。その家庭自体素晴らしいものとは言えなかったので、父親と叔母は成人後に祖母から距離を置いた。父親を見ていると、不幸を再生産するということの愚かさに呆れ、自分がそれを獲得していないか鏡に映る自分に怯える。

 二人ともむっつりと黙り込んで、カーラジオだけが喧騒を作り出している。カーラジオはサザエさんみたいなステレオタイプファミリーの微笑ましい笑い話を読み上げていて、苛立って舌打ちしそうになる。

 ペットボトルの水で頓服薬を飲み込む。父親といるだけで、非常時になる自分が情けなくもあり、父親が憎くもある。精神病によって年金を貰えているが、それが父親は気に入らないらしく、働くわけでもなく日々を煙に巻く俺を見るたびに苦虫を噛み潰したような顔をする。

 祖母の家に着く。無言で車から降りると、二人とも同じように眉をひそめた。物が乱雑に家を取り囲み、カーテンのかかっていない窓から覗く限り、物がひどく多く、整理は相当時間がかかるであろうことが察せられた。祖母はぼろの借家を数年毎に転々としていて、この家は初めて見た。

 中に入ると、こたつが三つ縦に積み重ねられていて、その中におそらく拾ってきたであろう炊飯器が複数納められている。物は乱雑に置かれ、リモコンのないテレビだけが二つ(ブラウン管テレビとデジタルテレビがひとつずつ)、異臭こそしなかったが、なにかが布団に染みを作っていた。物をすべて家の外に出して、それから掃除をすることに。ゴミ袋を軽トラックの荷台に投げ、荷台が埋まると父親が軽トラックをゴミ処理場に走らせる。父親がいない隙に煙草を吸った。高校の時から親に隠れて煙草を吸っていたのが癖になっている。もういい大人だというのは、俺も父親もわかっているというのに。父親が帰ってきそうな時間になると、用水路に吸い殻を捨て、掃除をし始めた。

 父親は俺を見て何が憎いのか舌打ちをした。そんなに憎いならちゃんとコンドームつけとけよと思いながら、なるべく視野に入れないように掃除をする。言葉を交わせば必ずどちらかが不機嫌になるくせに、父親はよく俺に話しかけた。

「ここに住んでみないか」

「あ?」

 父親によると、祖母の家賃は父親が出していたらしく、これ以上実家で消耗するくらいなら家賃を出すから祖母の家に住んでみないかということらしい。幸いか俺には障害者年金が僅かながら入るし、何も断ることはなかった。

 あらかたゴミを捨て終えると、父親は「お前が住むんだから後はお前がやれ」と言い残して軽トラに乗っていった。床が見えたとはいえ、未だ乱雑と言える部屋に残される。車の免許もなく、車がなければ広すぎる田舎に一人置いていかれた。布団をコインランドリーまで背負い、ついでにスーパーまで歩き雑巾を買う。物が多すぎたせいか、埃が床に辿りついていないが、全体的に淀んだ部屋は居心地が悪い。部屋を隅々掃除していると、本棚の奥に煙草が何カートンもあるのを見つけた。祖母は煙草を吸わない人だったので、この発見は些か不思議ではあったが、祖母の友人の物だろうと深く考えずに戴くことした。

 

 煙草を吸う。煙草を花びらにして、灰皿に花を咲かせる。灰皿もいっぱいになると、軽くなったコーラの缶に吸殻を捨て、中でジュッと音がするのを聞いて、中身がまだあったかと訝しみ、缶を振るとチャプチャプと音がして少し惜しく思う。煙草の箱がなくなる度にコーラの缶を振ると、煙草が水を吸ってそれなりの重さになっていることに満足気になり時間をすり減らす。山のようにあった祖母の煙草も、どんどん減っている。減らした物の数で過ぎた時間を測る。

 こたつに入ってテレビを見て、乱雑に散らかった部屋の中を巣にして眠る自分と、死んだ祖母の姿が重なって嫌になる。嫌になるも、それから逃れようともしていない自分がさらに嫌になり、嫌になることを免罪符にまた自分を嫌う。祖母は末期の癌だった。特に自分を嫌うでもなく、またそういう人々の常として、人に不幸を振りまいて生きていた。なにも考えずに喋り、なにも考えずに動き、その結果としてなにも考えない人々が周りに住み着き、それはそれで平和的とも言える共同体で過ごしていたが、体の不調を覚え、医者に行き、そのまま何もできることはなく死んだ。遺したのは多大なるゴミばかりだったし、それを息子と孫によっておおかた捨てられた。残してやったのは仏壇と布団と生活に必要な家電だけだった。父親は祖母の入っていた新興宗教を嫌い、敵対する新興宗教に入っていた。祖母も父も俺を自分の宗教を信じさせようとしていたが、俺はそういう連鎖を見ているとなんだかげんなりしてしまって、入る気になれなかった。父親でも祖母の仏壇は捨てることができず、引き取るというより取り残されたという感じで仏壇が俺の居住スペースを奪っている。

 リモコンがないからテレビの側面にあるボタンを押して電源を落とす。どうしてなのかボタンが窪んでいて、押しづらい。記憶の中の祖母と、祖母の遺したものが一致しない。記憶の中の祖母はいささか道理に欠ける部分があったにしろ、こう、気狂いじみた行動をするわけではなかったのだ。ゴミを収集して部屋を汚くするような人では。白い壁紙に染み付いた何かの汚れが目立っている。仏壇の扉が閉じられている。部屋を掃除した時からずっと閉じたままだ。仏壇の扉を開ける。中は綺麗で、俺の記憶の中の祖母のイメージ通りだった。しかし、長年開けられていなかったせいか、空気が淀み、また、部屋に住んでいた時間で築きあげられていた死の間際の祖母のイメージと遠くなりすぎてしまって、現実と解離したかのような仏壇の中身は痛々しくもあった。

 収集所に仏壇を投げ捨て、スーパーに飯を買いに行く。数日後、仏壇に粗大ゴミの処理方法についての紙が貼られて取り残されていた。仏壇の処理の方法を電話で聞くと、年末年始のせいで休みをはさみ、一ヶ月は引き取れないという。わかりましたと返事をして、仏壇を家に持ち帰る。用水路の上に仏壇を置いた。灯油を撒いて、マッチを擦る。火をくべる。よく仏壇は燃えた。延焼しないようにホースを片手に仏壇を眺める。仏壇がぐつぐつに崩れて、小さなかけらになった部分から用水路に流れ、ジュッという音とともに水の中に入って見えなくなった。