保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

昨日の日記

 朝起きてリモコンをエアコンに向ける。その後に布団にもぐる一連の動きにさしたる違いはなかったが、名前が変わったのだと思うとなんとも嬉しくにやついた。別段一人で暮らすぶんには違いはないのだ。名前とは他者が居て初めて成り立つ。昨日と同じように朝御飯を食べる。

 とりあえず、障害者手帳の名前を変えにいこう。マイナンバーカードだと、身分証明書としてはなにかと民間の企業には断られることが多い。障害者支援センターに行き、障害者手帳と自立支援の紙の名前を変更してもらう。やはり赤い判子と手書きの文字で訂正が入るだけだ。新しく発行してもらえないのかと、いい加減一年前の証明写真、銀髪の自分を睨む。書類を書いているといつもの癖で前の名前を三画目まで書いて訂正した。恥ずかしかったが、これからは新しい名前に馴れていくのだろうか。不馴れからかただ書いただけの新しい名前が、やけにキラキラ輝いて見えた。このブログでは何かと「慣れ」や「成長」という言葉を使う。今になってみれば、この人生のテーマであるような気がしなくもない。本籍も名前を変えるために戸籍謄本を取り寄せねば。

 そのついでに神社に初詣に行く。初詣にしては遅く、もう世間は正月を忘れかけているけれど、ぼくとしてはちょうどいい。それに地元の神様から参るべきだと聞いたことがある。どちらかと言うと信仰というより神に対するマナーで参拝をする。初めて初詣に行った。それまで初詣に行ったことはなかった。地元は神社に行くのも遠く、田舎特有の無駄にいい神社があったが、人出が多かったので行ったことはなかった。一緒に行くような友人もいなかったし、そもそも行ったことがバレたら新興宗教を信じている父親に何をされるかわからない。小学生の頃は修学旅行でお守りを買ったら捨てられて怒られた。なんとなくの信仰と反抗のまま、なんとなく神を信じて、なんとなく新興宗教を信じれないままだ。近場の公園の、人気のない神社に二礼二拍手一礼し、特に何を願うわけでもなく、その場しのぎ的に「今年も健康で生きれますように」と願ったが、「今年も」ではないだろうと自嘲的に笑った。去年よりも健康に。去年も後遺症も障害も残らなかった(双極性障害は残った)ことを考えると健康とも言えなくもないが、生活は不健康極まりなかった。そんなふうに考えながら神社を後にする。願いや祈りは行動でしか身を結ばないのかもしれない。そうでないのなら夢がある。もしそうなら堅実な世界だ。

 郵便局に行く。返信用切手と定額小為替を買い、封に入れ、郵送する。定額小為替の発行に手数料がかかり、全部で五百五十円かかった。Vジャンプが買える。Vジャンプには遊戯王カードだって付いてくる。定額小為替ではダイレクトアタックも特殊召喚もできないんだぞと思う。その後にゆうちょ口座の名義を変える。比較的早く終わる。

 その後に銀行へ。口座の名義変更とデビットカードの変更。結構待ったので、その間に各種ポイントカードの名義変更について調べるが、あまりにもめんどくさかったので諦める。

 

 何回も新しい名前を書き、近所を右往左往していろんなところから新しい名前で見てもらえるようにした。家に帰るときに、これで親にバレたらと思うが、かといってどうするわけでもない。入院等でバレるかもしれないから、入院をしないで済みたい。何よりもう関わることなくひっそりと生きたい。