人には誰しも、他人には言えない関係があるものだと思う。それはなにも不倫だとか浮気だとか世間一般の倫理に反するからという理由ではなく、面白くないから、話したってどうしようもないからという理由なこともある。
ぼくには数年来、もう三年以上になると思うが、出会い系で連絡先を交換した女性と会話している。ぼくは子供を演じて意図して平仮名を多くし、向こうは「あらあら、~ですよ」と大人の女性を演じていた。雪の日には「ゆきふったよ!」「足元に気を付けるんですよ」、雨の日には「あめふってる……」「外に出れませんね」と。それだけの関係がこれだけ続いたのは奇跡というか、暇のなせる技だったのだろう。それが、昨日、急に彼女が豹変した。ぼくが悩みを相談していた時であった。
「すっごい好きだった人がすっごい憎くなっても、忘れられるかな」と、ぼく。
「あたらしくまた好きな人や人間関係が増えたら薄れると思います」と、女性。
「忘れたいな。嫌な人のこと」
「あー、もう燃やしたらいいんじゃない? 燃やしなよ。全部」
驚いて返信もできないぼく。
「嫌な人のものとか写真とか、穴開けてから燃やしたらいいよ!」
「少しスッキリすると思うよ」
「手紙なんか釘で打ち付けてやりゃよかったのに!」
驚きつつも返信を考える。もう手紙は捨てていた。
「とっておくか悩んで、やっと風が吹くみたいにゴミ箱に入れたんだよ」
「可燃ゴミだもんね」
なんだか、同い年と喋っているみたいであった。二十三の、困ったことばかり言う女の子。付き合っているわけでもないけれど、よく遊んでいて、UFOや妖怪の話をしては困惑した人間の顔を見て笑う女の子。という空想。ぼくのインナーチャイルドは、未就学児から大学を中退した無職の男に引き戻され衝撃を受けた。彼女の二面性は、彼女によると病気でもなんでもないらしい。彼女の二面性だって外見の三十九の女性と中身の二十三かそこらの女の子を行き来しているのだろう。誰もが、人に言えない自分が潜んでいるのかもしれない。意図的に子供に戻ろうとしなくとも。解離性障害でなくとも。
彼女はしょっちゅうメッセージを送ってはぼくの邪魔をした。
「いまなにしてるの」
「ねえ」
「ねたのか」
「おい」
大人の方の彼女はそんなことはしなかった。それに二十三のぼくは「本を読んでるんだよ」と返す。
「ねえ」
「本読んでるのを見てる」
「ほんよんでるのをじゃまするろうじん」
「まだ三十九でしょ」
「もうねようよ。いやなひはねむるにかぎるよ」
なんだかこうも平仮名でこられると年下な気さえしてきてインナーファーザーでも出てくるんじゃないかって気持ちになってくる。幼いの方の彼女に釣られるようにちゃんとした方の自分が出てくる。
「そうだね。今日は話聞いてくれてありがとね」
「れいはいいよ。だってわたしいやなことしかいってないもん」
「おやすみ」
「まだ寝てないでしょ」
「うん」
「やっぱりね」
「睡眠薬は飲んだよ」
こうしてまた下らない会話の幕が開ける。瞼を擦り目を開けるものの、夢の中かさえも定かでない中、ぼくはこんなことをタイピングしていた。
「当たり前だけれど人には二面性があって、その中には敵意とか嫉妬とか不快とかマイナスな感情がある時があるんだよね。それが何かの拍子で見える時があって、その度に初めてそれを見た気持ちになるんだ。毎回出会っては忘れちゃうんだね。周りが優しいと。そして、人にはマイナスがあることを思い出したら最後まで付きまとってくるから、死にたくなってしまうんだ。眠っているときだけは忘れているでしょう。だから永眠したい。二人目がいるような君は病気じゃなくてただの二面性だって言うけど、ぼくのは病名がついて解離性障害って言うんだ。難しいかい? 多重人格だと思ってくれていいよ。たまに別のぼくがぼくの体を乗っ取って、ぼくなんかぶっ殺してくれと思うよ。なんでもないよ。難しかっただろ?」
「んー、わたしがのっとったらぷりんたべさしてあげる」
「はは、ありがとう。じゃあ乗っ取られてこようかな」
ぼくは歩いてドラッグストアまで行って、プリンを買った。プリンなんかより咳止めの方が幸せになれることはわかっていたけれど、プリンを買った。
プリンを食べながら、糖衣錠を越えた甘さに少し生きても良いかもななんて思ったりした。
二十三の彼女は放置子だった過去を語り始めて、親みたいな人ばかりを好きになった過去まで話した後、ぼくと一緒に「親なんかポイしよね」と言った。ぼくも恵まれたとは言えない家庭環境だった。虐待されて解離するなんて、不幸の典型例みたいで嫌だなと思った。でもなんとかなるだろうという結論になんとなく二人で達した。ぼくらはなんとなく信じたのだろう。死にそうなときに現れる、プリンを食べる人格を。