保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

大学を辞めてからの数か月

 大学を辞めた。大学を辞める前も半ば辞めていたようなものだったし、まじめに行っていた日々を思い出そうにも、日々自分の鼻が明かされるような、居心地の悪い無能感ばかりが思い出されては、忸怩たる思いに肩までどっぷり浸かってしまう。大学生活で得たものは、どうしようもないのだという確信と、無駄にした時間の取り返しのつかなさだけであった。

 大学二年の時に手首を深く切って、浴槽に浸かって死のうとしたのだが、うまくいかずに救急車に乗った。それが親に知れて、自殺防止のためか、大学近くのアパートを引き払い、実家から通えと無理やり押し付けられた。親とは折り合いが悪い。往復六時間もかけて大学に通うのがうまくいくはずもなかった。徐々に行かない日が多くなり、行ったとてストレスでズタボロになりながら帰っていた。

 大学を辞めようと切り出したのは親からだったが、親の脳内では「ぼくが辞めたがっていたから辞めさせてあげた」という設定になっていた。そのせいか、親がぼくに辛く当たってくるようになった。まあ、いいけれど。勝手に悪者にされるのは慣れている。

 大学を辞めてから、貯金とも言えないような奨学金の残りで病院に通っていた。生きてもさほど意味はないのに、と思いながら東京の病院の近場までの高速バスを待つ。それが母親に「近場の精神科にしなさい」との一声で、逆らえるはずもなく近場の精神科に行くことになった。近場の精神科医とも折り合いがつかず、また、診察に親が口をはさみ、嘘を吹き込むので診断名は徐々に現実と乖離するようになって、適当なものになっていった。親はいつも、ぼくを医者に連れて行くときに「感謝しなさいよ。あんたなんかを病院に連れて行ってやってるんだから」と言って、それから僕を詰った。

 嫌になって、自分の金で病院に行くようになった。どうせ、診察費などは自分持ちだったから、交通費が増えるだけだと高をくくった。親は、ぼくのお金が無くなれば働いてくれるだろうと楽観的に思っていたし、ぼくは、自分のお金が無くなれば死ねばいいだろうと楽観視していた。近場の精神科に行くために、一時間に一本の電車を乗り継いで、三四十分歩いて病院に向かった。医者とはやはり折り合いが悪かった。

 日々お金が減っていくから、楽器を売った。ぼくが持っていても弾けるとは思えなかった。弾く能力はあった。弾く気力はなかった。部屋から徐々に物が減っていった。本だけはいっぱいあった。これも読めない。あれも……。ということで、興味の持てるもの以外を売ることにした。段ボールに本を詰め込んでいたら、すべての本が段ボール四つに入った。母親に頭を下げて、車をブックオフに出してもらう。車からブックオフに本を運んでいる最中、段ボールの底が抜けて本がばらばらと落ちた。地面に這いつくばって本を集めた。昔、興味あったものがぼくを見つめているような気がした。無言で責められているような気がした。小説家になるためにはみたいな本たち、中学の頃よく読んだライトノベル太宰治カート・ヴォネガット……。集めてブックオフに持っていく。それなりのお金になって、すぐに病院への交通費と医療費に消えた。今ではあまり、過去に対して真剣なまなざしを持って接することができないでいる。過去に対する現実感の喪失。そして誠実ではない現在。やはり、売らないでおくべきだったのだろう。

 鉄道自殺するだけで、天才になれるだろうかとよく考える。神聖かまってちゃんは人生終わりみたいな感じで出てきてるのに二十三歳でサマーソニックに出てる。NHKにようこそ!の佐藤くんは二十二で人生終わりだと言ってる。ひどいもんだよ。何もないのに今年二十四になります。高校生になって、「うちの学校には涼宮ハルヒなんていないし、変な活動をする部活もない」とやっと気づくオタクみたいに、すべては終わってから気付く。そのくせに何かが起こるための何も準備していないんだ。