保育所

言葉なんて子を捨てる親と保育所のやりとり

日記

 ウットの後遺症で体が異様に重い。ここ最近ではODばかりしている。先週金曜日から土日はロラゼパムとブロンを決めて、一昨日はロラゼパムに酔ってどこかへ徘徊していた。昨日はウットとクエチアピンを酒で流し込んだ。何が楽しいのだろう。さっさと死にたい。記憶がない。渡るのは薬の空き袋の数だけ。

 昨日救急車に乗った。もはや乗り慣れてしまった車内で、色々なことを聞かれた。でもぼくは閉鎖病棟に入るか否かしか興味がなかった。入っても入らなくてもどっちでも同じだった。ぼくはもう、正直なところ、人生に興味が持てなくなっている。生きていたって手に入れられるものはたかが知れてる。死んだってつまらない。人生は自分が行く道を行くまでの時間だなあと思う。自分の興味を持っている範囲に飽きたらおしまい。警察と少しお話しした。うつ病は筋トレをすれば治ると長い間熱弁されたが、権力にむかってへらへらしただけだった。

 バンドをやってもドラマーがいない。文章で自分を助けるなんて希望はもうとうに捨てた。自分の声や演奏や文章が恥ずかしいだけ。『祐介』で曲を書かないメンバーは楽だ。自分のせいじゃないからみたいな文章があったのを思い出す。ぼくは人の曲いじるの苦手だし、一人で十分ではないけど、言いたいことは分かる。

 ギターに希望はない。ブログに希望はない。それでもやっぱり社会は怖い。助けて欲しい。首を吊るしかないだろうか。

 何も考えない自我が欲しい。人格が欲しい。人格に任せてあとはずーっと空想の部屋で何も入り込まないようにしていたい。

 

 何もしていない。いや、何も出来ないが正しいか。ただただ時間が過ぎていく。どうせ良くも悪くもなりやしないのだ。人生に輝きがない。興味を認めるほどの輝きが。