反日常系

日常派

死にたい

 ぼくはいっつも死にたくなる。スーパーで余計なものを買うと死にたくなる。家賃の更新ができなくて死にたくなる。バス代が思ったより倍高くて死にたくなる。自分の病状が重くても軽くても死にたくなる。なんでこんなに死にたくなるんだろうと思う。誰も助けてくれないから、ぼくと裁判官だけの法廷で、リストカットを宣言されて、快でも不快でもない傷が左腕に増えて、「あーあ」と思う。さっさと死んでしまえばいいと思う。なんでこんなに死にたくなるんだろう。自分は生きるのには無能すぎる。運も悪い気がする。持って生まれた物全てが捨てるに値する物な気がする。死んだほうが、死んだほうがいい。

 友達と病気のその母親の話をしていると、羨ましくて死にたくなる。ぼくが代わりに死んであげるみたいな上から目線のヒロイズムなんてない。なにもわからなくていい。ぼくの人生からわかるのはただただこんな最低な、羞恥や自分の低脳具合だけだ。ドーナツも過量のドラッグもいらねえよ。ぼくの人生には死の直前に飾り付けるものもない。生きている最中だって。悲鳴にも似た嗚咽が出た。暑さに負けてしゃがみこんだ。割高な自動販売機の水を購入する。汗は玉のようにポロポロと流れる。俺の方が泣きたいよ。ふざけんじゃねえよ。殺してくれよ。俺をぶっ殺してくれよ。跡を濁しても、誰も知らなくてもいい、カメラ1がずっと俺の目の前を映してんだよ。視界があるから他者への比較だって簡単になるんだよ。ぶっ殺してくれよ。もうこれは人に対する愛嬌なんかじゃねえよ。ぶっ殺してくれって言って助けてもらうようなそういうプロレスなんかじゃねえよ。俺を屠れよ。脚をもいで骨と分離させろ。削げ! 首だって辞めるためにこんな構造になってると言うのに、みんな感謝してやがる。俺がキレてるのはなんで俺がこんなに無能かだけだよ。無能かそうじゃないかは能力によって決まるもんじゃないんだよ。人が固有の能力や特定の人を愛せるかどうかなんだよ。愛されなかったら何も意味はないんだよ。人は技能で延々と笑いあってるだけだ。愛されたいだけだ。遠いところまで転がるように考えてもぼくはやはり死にたいです。