反日常系

日常派

実家

 やっぱり親は苦手だ。実家に帰ってから、父親は友好的な雰囲気を醸し出し、「一時停戦とでもいこうじゃないか」とでも言いたくなるような顔で執拗にぼくを追いかけ回し、話を聞いてやれば、やれ薬の数がどうだやれ病状がどうだと自分の話ばかりで辟易としてしまった。父親は障害者年金を受給したいとぼくに相談してきたのだが、父親の医者は障害者年金の受給は無理だと言っているらしく、医者がそう言うならそうだろ以外の感想はなかったが、ぼくの経験から障害者年金を受給するにはどうしたらいいかの最適解を教えてやった。にも関わらず、父親は自己中心的で自分のことしか見えていないようで、暇つぶしとしてぼくに「なぜ精神疾患を罹患したか」を聞き出すことに執心し、ぼくが気を使って「この家庭がとても苦手だったので」という答えを出さずにお茶を濁すと、「特に辛いことはなかったのに病気になった」と勝手に答えを出し、「お前はいつも悲劇のヒロインぶるよな」「お前が俺の環境にいたら一日で逃げ出すだろうな。俺は十五年頑張ったけど」と得意げな顔をするのでストレスで体が震えた。

 死んでほしい。実家の人々を久々に見るとそういったマイナスの気持ちを抱く。父親は聞いてもないのに様々なことを語り出し、語尾に必ず「(お前と違って大変だからな)」と言ってるように感じる。叔母の婚約者が獄中で自殺してたらしい。そんなこと知るか。でも、そういう血のところでカスなことを知ると、自分に流れる血は変えようがないから絶対だめな運命なのかなって思う。父親は「俺の方が大変だ」という話しかしないし、母親も「私の方が大変だ」という話しかしない。これが実家なんだと帰る度に思う。帰る度にもう二度と帰るかと思う。なんで毎回帰るのかわからない。おそらく親がぼくを育てる際、支配的に育てすぎたためにぼくは半ば被支配的にしか生きられなくなっているんだろうなと思う。

 父親は自分が一番辛いと考えることも公言することもはばからないような人間なので、周囲の人間に自分の辛さでマウントを取る事に余念が無い。人に気を使わせることに躊躇がない。父親はずーっと自分の辛さを語り続け、「お前のせいでストレスがかかる」と言い、「俺は病気なんだからストレスかけるようなことをするなよ」と言ってきた。俺はお前よりも病状が重いんだが? お前よりも俺の方が障害者だが? とぶん殴りたくなったが、ぐっと堪えた。論理が通じるような相手ではない。俺は病気だから人に気を使え、と、今まで全くぼくに気を使っていない人間が言ってるのが笑えた。いや、全く笑えなかった。精神病を笑い、新たな虐げる理由にしていただろと思い出すと、泣きながら笑うみたいな、感情の行き場のない虚脱で力が入らなくなった。いくら弱くなろうがまたそれを理由にぶん殴ってくるようなやつだったのだ。マウントを取り、自分のために行動するように仕向けるためだけに生きるようなやつだったのだ。忘れていた。急にすべてが無理になって東京に帰った。母親に父親のことで愚痴を言っていたのに、それが理由で帰るかもしれないと言っていたのに、帰ることを伝えたラインに「台風で停電してるもんね😆」と帰ってきた。ぼくが何を言っても、何が不服でもなかったことにされる。そもそも父親にも母親にも「この家庭がいいものではなかったので精神病に罹患した」とは言っていたんだった。答えが両親の望むものでなかったなら何回だって聞き直される。都合のいい耳と都合のいい脳が羨ましい。人を支配することに罪悪感のない人間が羨ましい。毒のある家庭では、人種差別みたいに生まれた瞬間に支配層と被支配層が決まる。それはもう生まれてしまったら変えることができない。