反日常系

日常派

手紙みたいな日記

 手紙みたいな日記は形式に反して気恥ずかしさを得て、誰にも読まれたくない気持ちをほんの少し以上は沸き起こすものです。

 言うことが特にはない日々を、書くことが特にはないように過ごしています。今日は病院に行って遊ぶための薬をもらった。最近、禁酒していたはずなのに、酒を買いにふらふらと幽霊のような足取りで行き、そのくせ余計な物まで買った重いバッグを提げて帰る。いつのまにか、いつものように戻った。さっさと死ねば良い自分の生活が、猶予期間をだらだらと延ばして、やはり余計に歳を取る。若さを誇るほどでもないが死ぬには早いと言った、微妙な、その後のために動くための期間にぼくは何をしてるだろう。何もしていないから焦って、何もしていないように思わないために無駄に作曲をしては、いいねは一つ二つだかしかつかず、どうせこの文章も大概読まれず感想もないだろう。都会の落書きに新しいものを発見することの難しさのような、似たり寄ったりでそのくせにどれも迷惑さだけを主張する日々を書き連ねている。そのくせ自撮りをあげると反応が良く、いいねが五十ついたツイートもあったりして、中途半端に生き残る術だけが欠落しているなあと思う。

 彼女と会う日が少なくなったからだろうか。日々を消費するスピードが遅い。会ったってすることもないし、喜ばせる術も、どこかに行こうなんて気の利く提案もぼくにはないし。まあ、一人でいたって自分の時間を持て余して、それが二人になっただけ、ぼく以外の退屈も背負って、重さに耐えきれず不貞寝に似たくたばり方で部屋にいる。一人の時も、将来の不安に潰されてくたばっているのだが。くたばってのたうちまわるだけじゃなくて、のさばるような術が一つや二つは欲しい。

 

 何か面白いことはありますか。人はウイルスを恐れてマスクで顔を隠し、電車に並んだ顔はマスクの有無にかかわらず、すべてどのような気分なのか測りかねる。こんなつまらない気分誰かと共有したいのにな。それがバンドと言うものかしらん。世間への不協和だったり、現実の情感のなさ、それをバネにして、不満をエンジンに変えて転がる石は苔を振り払うものではないか? ギタリストは彼女がいて、ぼくと会話する暇もないらしい。暇がないことには良いことと悪いことの両方の要因が考えられるけれども、良いことがあるから暇がないのだろうなと何となく思う。妬みや嫉みもあるかも知れない。悪いことになっていないで欲しいという祈りもある。何もわからない。夏になったらドラムが入る予定です。ぼくは生きていられるでしょうか。まだ不満はありそうです。ベースは四月から社会人か。ぼくだけを置いてみんなが暇を捨てていく、置いていかれるような、それとも自分だけチキンレースをアクセル踏みっぱなしで進んでいるような、よくわからない気分になります。何か面白いことはありますか。それでぼくは笑えますか。何か一つでも良いことありますか。それでぼくは喜べますか。人に聞くようなもんじゃない言葉ばかりが浮かんでしまう。その答えがすべて悲しいものだとして、ぼくは悲しさをものに出来ますか。それだけあれば後は悪くても文句は言いません。何卒。