反日常系

日常派

年齢

 四捨五入したら三十歳である。二十四まではへらへらと生きてきたのだが、二十五にもなるといい加減成長することもなくなり、不承不承完成体であることを認めなくてはならなくなってきた。今では「(十の位を)四捨五入したら零歳です」と躊躇いなく言うことに決めているが(なるべく真っ直ぐな目で言うことにしている。老いたまともな人と見られることよりも若いキチガイと思われた方がいいので)、三回くらい同じ人に同じジョークを繰り返していると、「この人年齢をこんなに頑なに言わないってことはかなり歳をとっているのでは」と思われ、最終的に老いたキチガイという一番避けたいイメージを持たれることがある。このまま五十になって、「四捨五入すると百歳です」と躊躇いなく言うジジイになるだろうし、早く呆けることを考えると、零歳から百歳になった後に数年して、本当に真っ直ぐな目で「五歳です」と断言する、衒いの無いキチガイになると思う。

 当たり前のことだが、なるべく歳をとりたくない。消費されやすい見た目をした、消費されたい女の子を敵視しながら、女装をして消費されることを願った、至る若気がまだあった頃がとても懐かしい。いい加減人に消費されなさすぎて、消費期限も間近になり、利用や消費でいいから人に好かれたいなど思うようになってきた。歳をとっても戦いは年齢関係なく無差別級で行われるので、歳をとることのメリットは本当にない。金がない青年と金がない異常成人男性だと絶対前者が選択されるし、後者の方が明らかに激ヤバの翁(おきな)だ。たぶんそのうち、コブ取り爺さんのように、期待だけしているただの取り柄のないジジイだと言うだけで酷い目に遭うような気がしている。