反日常系

日常派

入院してました

 ジャンキーと言えば横文字好きの中年層に対して一定の格好もつくが、実際はせせこましい中毒症状だ。依存とそれを満たす一瞬の解放を繰り返した結果、身体は必要以上に(そもそもそんな必要はないのだが)弱くなりすぎたらしく、数日の尿閉塞と精神薄弱によって入院していた。千円と少しで買える酩酊。最初はいいが次第に利息と返済の周期が増してくる。身体は支払いをすることが出来なくなっていき、末期症状と言うことが値するであろう状態に俺を持っていく。

 俺は俺の愚かさがいちばん怖い。次に熱さを忘れた喉元で「今回は副作用がないかもしれない」なんて考えることが怖くて仕方がない。十年を超えた市販薬ジャンキーの経験として言えるのは、「副作用が軽くなることはない。酷くなる一方だ」と言うことだ。これはテストに出ない。出ないが、そういったことが一番忘れてはならないことだということは往々にしてある。そしてそういうことばかりだ。そういうことしかないのかもしれない。

 数日間、尿意と頑として動かない尿道を脳裏に絶えず、絶やすことも出来ず、浮かび上がらせながら時計の針を眺めているのはとても辛いことだ。久しぶりに入った隔離室はいつも通り何もない。そしていつも通り慣れない退屈に頭を悩ませる。持ってきた古本を読むことで現実から逃避する。本の方がよっぽどマシなトリップだ。気分の上昇こそはないが、現代アメリカから中世のファンタジー、どこでも行ける。ベッドでの空想や取り憑かれた妄想では辿り着けない誰かの足跡​──文体​──を眺めるのは知的な遊びだ。ドラッグの喜びは初めて性器に触れた赤ん坊と同じだ。これを戒めととるか、質のいいスローガンととるかは読者に任せる。そしてこれを読み直す自分が前者ととることを切に願う。

 俺が酩酊に求めるものは自己からの解放だった。生きたいとも思わないし、死にたいとも思わなかった。ただ、積極的に生きたくはない。そうした消極的態度の表れだった。表れでしかなかった。そうやって浪費した時間と健康を思うとやり切れない気持ちになる。精神病院でキチガイに追いかけ回された。人間というより怠惰な犬、怠惰な犬というより強欲なゴブリンのような気狂いの醜女に追いかけ回され、抱きつかれるなんてことはもう散々だ。知的な楽しみのない人間は気持ち悪い。もっと格好のつく言い回しもあるのだろうけれど、気持ち悪いとしか言い様がない。生理的嫌悪が頭を蹴り飛ばして、思慮の海の中で言葉を探す作業をさせてくれない。ただ、気持ち悪かった。俺はずっと知恵のある自己から逃げ回ってきたが、そんなものは気持ち悪い存在になるためのショートカットでしかなかった。精神病院でのワンシーンは、ただ、身の毛もよだつ経験として頭に刻まれている。そしてその傷痕が自分への戒めになることを願う。俺は俺の愚かさが怖くて仕方ない。また尿が出ないという三流コメディの悩みに値しないよう。再度気狂いの醜女に追いかけ回されるというホラー映画の体験の轍を踏むことのないよう、願うしかない。