反日常系

日常派

規則的に揺れる車両の中

 車窓はビルと同じ、もしくはそれ以上の高さを持ち、高速道路の高みから下を見下ろすと、そこからは周囲の建物に押し竦められた駐輪場が見える。そこには中高生と思しき背格好をした少年たちが、チャリのハンドルをしっかりと握りしめながら道路にいざ行かんとて左右を確認している。イヤホンから流れる曲がヴァースからコーラスに移動するより早く、車窓は瞬く間に変わり、高速道路は新たな車線を飲み込む準備を始めた。新たな車線を高く掲げる道路の足元には、補修もしくは拡大を目的とした工事の建材が行儀よく置かれている。その建材の名前を、パイプと言うのか土管と言うのか──パイプと言うには大きく、土管と言うには細長い気がする──思い出せないことを歯がゆく感じながらも、体が規則的な揺れのせいで微睡みに同化していく。

 言葉が思い出せないことがここ数年で急激に増えた。類語辞典、連想語検索と仲良くつるんでばかりいる。奴らは正解を口にすることはほとんどない。奴らはただ、そうだった気がするがそうではないという後味の悪さを与えるが、ないよりはマシという貧すれば鈍するでしかない考えでそこから言葉を拝借している。そのせいで僕の文章はジグソーパズルに無理やりほかのピースを押し込んだような居心地の悪さを持っている。

 言語野の低下を不思議に思っていたが、女性ホルモンについて調べていた時、女性ホルモンを服用している人々が口々に記憶力の低下を訴えていたのを目にした。女性ホルモンを服用し始めてから十年以上経つため、ここ数年の失語症もどきの原因とするにはいささか納得いかない話ではあるが、無闇に否定出来はしない程度の説得力がある。

 かと言って、女性ホルモンをやめようとはならない。なんとなくで服用をやめていた一年間にもこの薄く脳裏を取り巻いていたもやが晴れることはなかったし、僕はそもそも言語とは関係ないところで服用を決めている。このもやが晴れないことより恐ろしいものに突き動かされて服用しているのだ。

 やや話が変わるが、この失語症もどきとホルモンの関係で僕が最も恐れているのは、心や精神の問題とされている、ミステリアス故に僕の心を奪った病理は、ただ単にホルモンの数値などに端を発する極めて肉体的なものではないか、ということである。精神という数値化されないものは旧時代に人々が魔女や悪霊や奇跡を信じていたのと同じように、医学によってその存在を馬鹿馬鹿しいものに変えられるようになるのではないか。そうなれば、僕はきっと敬虔な信者として馬鹿にされるに決まっている。化学によって気の所為のレッテルを貼られた時のことを考えると悪事を暴かれたような気分になる。

 微睡みの中で悪夢の前兆を察する。身を守るための姿勢を取ろうとして目が覚めた。