反日常系

日常派

もうそろそろでおしまい

 実家に帰った。五月の一日に入院が決まったのは、実家に帰るバスに乗りながらだった。日に日に飯を食べる気力すらなく、風呂に入ることさえ出来ずに部屋が散らかっていくのを見ていた。なんだか現実感が喪失していて、これならオーバードーズしていた方がリアルだなと考えてみる。実家に帰ると父親は日に焼けた古本みたいな色をして、笑うでもないのに目を細めていた。

 何も聞かずに五月の一日まで置いてくれと言った。ぼくから父親からどちらからも話しかけず、テレビだけが空回りするみたいに騒いでて、母親が何か言うと、それでようやく母親を介して会話みたいなものが雰囲気の中に漂った。それから、父親から話しかけてきた。それは母親から前もって聞いていた内容だった。父親の原因不明の頭痛は心因性のものらしく、父親は同級生の紹介で精神科に通っているらしい。残念に思うでもなく、ざまあみろと思った。高校生の時、精神科の薬を捨てられたことを思い出していた。

「お前は、何種類の薬を飲んでいるんだ?」

 半分笑いながら言ったのは、父親なりの気の使い方だったのかもしれない。

「三種類。頓服は別に三種類ある」

「そうか。俺は四種類だよ」

 なんとなく、マウントめいたものを感じてしまうのは被害妄想だろうか。何も返すでもなく、父親は父親なりの悲劇の主人公で、ぼくはぼくなりの悲劇の主人公なのだと思うことにした。誰しもが悲劇の中を演じるので精一杯なのかもしれない。これを書いているのは、ぼくという一人称が存在していると声を大にして言いたいからなのかもしれない。ぼくの目から見ると、世界はこんなにも醜悪なのですと、同情を引きたいだけなのかもしれない。

 母親から父親の克明な病状を聞くのは、いくら父親を憎んでいるとはいえ辛いものがあった。同情なのか、因果を思うものか。父親はストレスがかかるものがすべて苦手になってしまい、外に出るとストレスがかかり、歩くのが幼児のようにおぼつかなくなってしまうという。ストレス性は誰のせいだろうかと、自分を責める要因にしてしまう。犯人がわかりきっているから、自分が悪いから、話を聞くのが辛いのだろうかと思う。弟は髭を涎で濡らしながら、何もわからずうめいては動いた。弟は障害者年金で自分の施設代とオムツ代などを払っていると母から聞いた。なんだか、「お前はどうなんだ」と聞かれているようで辛くなる。弟は何もわからずにすべてを一人の世界で終えているのだろうか。父親のストレスの原因になっているのだろうか。ぼくはせめて、少しのことが出来ないより、何もわからない幸せな白痴でありたいと思った。罪悪感も覚えず、自分のマイナスを自分のマイナスで補完していく生活。三人とも、悲劇の主人公を生きながら、悲劇自体が人生を終わらせる要因にならない悲しみを背負っている。

 みんなが浮かれるように「そろそろ平成が終わる」と言う。ぼくらはいつ終わるのだろう。いつ終わって、いつ終わらないのかがわからない。いつ終わるのかが決まっている物事すべてに嫉妬してみたりして、それでも終わるのを待っている。神が自分を見放すのを待っている。エリ・エリ・レマ・サバクタニなんて言える日を待っている。