反日常系

日常派

日記

 老婆が、一人だけ重力に配慮されているかのようなスローモーションでゆっくりと倒れてきた。駅の上りエスカレーターでのことだった。

 老婆は杖をよたよたとつきながら、逆Uの字に見えるくらいの姿勢で、エスカレーターに乗るのも三段くらい様子を見て、えいやと覚悟を決めてその流れに乗った。僕はその様子を見ながら、大縄跳びで躊躇する子供や想像上の三本足の生き物の子供が生を受けた様子を連想してしまう。僕は、降りる時も時間を要するだろう老婆のプリケツを本田圭佑のボールトラップの動きで蹴り上げてしまったらどうするべきかとか、老婆の尻がプリケツである可能性は限りなく低いだろとか考えていた。尻を蹴り上げてToLoveるにならないとも限らないので、何段か余裕を持って後に続く。

 エスカレーターは緩慢に動き、それでいてなめらかな動きで僕と老婆、その他数人を運ぶ。

 老婆は手に持った荷物を下に置き、背伸びをしたかと思うとバランスを崩し、こちら側へ向かって背伸びの体制のまま倒れた。僕は何が起きているのかを理解するよりも早く体を横に移動させ、避けてしまう。その結果、老婆は凄まじい音を立てて七八段程度滑り落ちた。下にいたスマホを弄っている女性の足元で、ようやく止まる。怪我はないかと思いながら、エスカレーターを逆走して老婆の元へ向かう。出来れば少女漫画のように受け止めてやるべきだったか。しかし将棋倒しになっては全員が危ない、と自己保身の考えも思い浮かぶ。老婆はあまりの衝撃で驚いてしまって立てないようで、手を握って立たせようとする。スマホを弄っていた女性はスマホをしまい、もう片方の手を握って助けてくれる。老婆は強く手を握っているが、なかなか立てず、エスカレーターを止めるべきかとも思う。手を握って立たせようとしているが、手を離して老婆が自分自身で立つのを見守った方がいいのだろうか。しかし、バランスを崩してさらに下に転げ落ちる可能性もある。その折、下りエスカレーターに乗っている中年男性が「危ないなあ!」と苛立ち紛れの大きな独り言を言いながら下へと運ばれていった。何故関係もないのにそんなことを言うのだろうとも、何故老人にそこまで怒れるのだろうとも思う。老婆をどうするのが正しいのかで困惑して、手を離した時に老婆が立っていたかどうかも定かではない。とりあえず、大丈夫そうなのを確認し、エスカレーターの最上部で地面に蹴られ続けている老婆の荷物を持ち、最上部で待つ。

 老婆がようやくエスカレーターから降りる。それを見ている野次馬がエスカレーターの降り口に溜まっていたので、「とりあえずエスカレーターから降りましょう」と言う。老婆に手荷物を渡すと、少し重い荷物は力ない老婆の手ではかなわず地面に落下してしまう。老婆から感謝されたかも覚えていない。感謝に値するような適切な対応ができたとも言いきれない。一番適切な対応はなんだったのだろうか。周りから自分は良い人に思われているのか、無能でおろおろしている人に思われているのかと余計なことも考える。ただ、苛立つ中年男性はそんなこと考えていないだろうなということだけはわかる。

 自分を批判する自分の声とそれに対する言い訳で絶えず口論が脳を蠢いている。いい気持ちで生きるためにも、常に行動するのは前提で、適切に行動できるようになりたい。